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すれ違うクリエイターたち

よく仕事では『現場と営業は分かり合えない』と言われます。どちらにも真っ当な言い分があるため、関係が難しくなることがあります。クリエイター間でも同様のことが起こり得ます。今日はそのことについて記事にしたいと思います。

作曲者と作詞者の場合

作曲者と作詞者はとても相性の良い組み合わせに見えるかもしれません。仲良く活動できているクリエイターも多数います。しかし、作曲者と作詞者の間でも、すれ違うことはよくあります。

ネット上では、作詞者は多くいて作曲者を必要としており、逆に作曲者は少なく需要があります。仮に歌詞に曲をつけてくれる作曲者が現れたら、引っ張りだこになるでしょう。

この崩れたパワーバランスは、作詞者にも作曲者にも影響を与えています。

作詞者は作曲者に対して強い意見を述べることができず、作曲者は作詞者に対して厳しい言い方をする場合があります。

実際には作曲者も作詞者も同じクリエイターですから、立場は対等なはずです。しかし、残念なことにそうしないクリエイターも存在します。

作詞者が言ってしまいがちな、でも言ってはいけないセリフがあります。それは「歌詞を自由に変えてもいいです」という言葉です。なぜでしょうか。

もしも作曲者が「曲を自由に変えてもいいよ」と言われても、作詞者は困ってしまうでしょう。それと同じです。また、実際に歌詞改変がされたら、たとえ許可していたとしても、どうしてもがっかりしてしまうものです。

作曲者がやってしまいがちな問題行動は、ネット上の強い立場を乱用することです。作詞者に説教したり、何度もリテイクしたり、歌詞を勝手に変えたりすることです。

作曲者も作詞者と同じクリエイターです。作曲するには機材の費用や長い制作時間を必要とするのは事実ですが、作詞者が何か楽をして歌詞を書いているわけでは決してありません。

大切なのは、互いに相手の作ったものを最大限に尊重することです。

優れた作詞者はこう考えます。

『作曲者さんが一生懸命に考えた曲を変えちゃだめだ。だからメロディーを変えないように文字数ぴったりの歌詞を書こう』

優れた作曲者はこう考えます。

『作詞者さんが一生懸命に考えた歌詞を変えちゃだめだ。だから一字一句たりとも削ることなく曲を作ろう』

そして、そうするには信頼関係が不可欠です。

作曲者と絵描きの場合

作曲者と絵描きは相性の良い組み合わせです。というのも、作曲者にとっては曲に絵が付くのが嬉しいし、絵描きにとっては絵に曲が付くのが楽しいからです。

例えばこうなります。

作曲者「イラストのイメージで音楽を作ってみました」 絵描き「わーい!」

あるいはこうなります。

絵描き「音楽のイメージでイラストを描いてみました」 作曲者「やったー!」

このように絵と音楽だけで作品が完結する場合に問題が生じることはほとんどありません。

しかし『動画を作りたい』『CDを作りたい』などの目的がある場合には問題が生じることがあります。

絵描きが作曲者に依頼するのは稀ですから、作曲者が絵描きに依頼するときに問題が発生する可能性があります。

ありがちなケースは作曲者が絵描きに無茶な依頼をすることです。例えば『一枚絵を10枚描いてほしい』といった具合です。

人にもよりますが一枚絵は1週間に1枚描けるか描けないかというぐらいの労力がかかります。人によっては1ヶ月から数ヶ月かかる方もいるでしょう。

しかし、作曲家はその事実を知らないために、無茶な依頼をしてしまうというわけです。

絵描きの側が問題を起こすことはあまりありません。あるとしたら、有償依頼の場合でしょう。どんな商売でもそうですが、価格の折り合いがつかないというのはよくあることです。

お互いがどんな作業や苦労をしているのか知ることは大切です。

作曲者と歌い手の場合

作曲者と歌い手の関係は、とてもうまくいくか、全くうまくいかないかの両極端なケースがあります。

うまくいくケースはお互いがお互いのファンであったり、信頼しあっている場合です。音楽と歌は結びついていますから、うまくいかないはずがありません。

音楽を歌ってもらえてハッピー、好きな曲を歌えてハッピーという感じです。

うまくいかない場合は、お互いを毛嫌いしている場合です。

あらゆる音楽は、ポピュラー音楽であれボカロ曲であれ、流行れば必ずと言っていいほど歌い手が歌います。場合によっては原曲よりも有名な歌い手が歌った方が広く聞かれることさえあります。

それを快く思わない作曲者もいます。特に楽曲の二次利用を許可していない場合は問題になります。その作曲者の言い分は『自分が生み出したわけでもない曲を勝手に歌って人気になるなんておかしい』といった具合です。

当然ながら歌い手には歌い手ならではの苦労や工夫があります。他の人から見ればさらっと歌っているように見えるものでも、それは何度も練習した、そして何度も撮り直した結果です。

どちらかが嫌いになれば、お互いが嫌いになるのは時間の問題です。

一緒に楽しく建設的に活動できる人と行動しましょう。

歌い手とMix師の場合

Mix師とはレコーディング・エンジニアが行うミキシングに由来するクリエイターで、曲の楽器のそれぞれの音質を調整したり、歌を音楽になじませたりします。

Mix師は何をしているのかなかなか理解してもらえないクリエイティブの一つでしょう。無料のアプリを使う方もいますが、音質を調整するプラグインを何十種類も駆使して最良のサウンドを目指す方もいます。

歌い手とMix師はクリエイティブに関する考え方の違いで問題が発生する場合があります。逆に言えば淡々と作業のやりとりをするだけなら、あまり問題は発生しません。

またMix師の力量や効果がわかりにくいことも、問題になりえます。歌と音楽を合成するだけの簡単な作業もミックスと言えばミックスですし、高価なスピーカーでしか聞き取れないレベルでの最高の調整をしたものもミックスです。

歌い手やMix師に限ったことではありませんが、クリエイターはそれぞれクリエイティブに関する考え方や行動原理を持っています。

Mix師は基本的にコンピューターの前に座り、マウスで修正や調整を行ない、側から見ると事務的に作業しているようにも見えます。しかし、Mix師はそれぞれ、その人なりのクリエイティブがあります。

その考え方がうまくかみ合えば良いのですが、衝突してしまうとうまくいかなくなってしまうことがあります。

基本的な解決策は、相手の専門分野に立ち入らないことです。技術的な問題について話し合うのは良いかもしれませんが、考え方にまで踏み込まないことです。

自分の持ち場を忘れず、それに徹することは大切です。

作曲者とMix師の場合

この関係は難しいものがあります。最近の作曲者はミックス作業までこなしてしまう場合が多く、さらにミックスしてもらうことを望まないことがあるからです。

作曲者がMix師と連携する場合は、作曲者が一時的に組み立てた音楽を一旦楽器ごとに分けた状態で、Mix師に渡します。

この段階で作曲者が仮にミックスしていた場合、すでに望む音楽はほとんどできているので、それを崩すのに抵抗を感じるかもしれません。

Mix師は渡されたデータをもとに最良と思える状態に楽曲を調整します。ここでMix師の目指す方向性と作曲者の方向性が違うなら、問題が発生するかもしれません。

作曲者は楽曲のデータを送った時点で、すべてその人に任せるような、相手に対する信頼が大切になってくるでしょう。餅は餅屋という言葉の通り、その手の専門家に委ねるのです。

Mix師は人からは評価されにくい『縁の下の力持ち』です。作曲者の方向性を尊重してはみ出さないようにしつつ、音楽をさらに磨きたいと思うことが大切でしょう。

互いに尊敬しあえるような人と巡り会うのが理想です。

作曲者と動画師の場合

動画師はMix師に次いで理解されにくいクリエイターかもしれません。その苦労もやっていることも、知らない人からすれば謎だらけです。

動画師のやることは多岐に及びます。文字入れから、種々のエフェクト、高度な動きを取り入れたコンポジションなどです。1秒の動きを作るのに、多くの時間を割きます。

ほとんどの曲は4分程度なので、動画師の作業は膨大です。そのことを知らずに依頼してしまうと、問題が発生してしまうかもしれません。

作曲者や歌い手は動画を作りたい場合、基本的に絵描きにイラストを頼んでから、そのイラストを使った動画を作ってもらうために動画師に頼みます。

そのため、作曲者はほとんど必然的にプロデューサー的な立ち位置になり、クリエイターたちの仲介者になります。そこに落とし穴があります。

クリエイターはなにかを創るのが大好きで、得意です。しかし、人をまとめる能力があるかと問われれば、多くのクリエイターは首を横に振るでしょう。それは作曲者も同じです。

当然ながら、動画師も個性やそれぞれ自分のクリエイティブの考え方を持っています。うまく折り合いをつけながらプロジェクトを進めていけるでしょうか。

動画編集は決して安くはない機材とアプリ、そして多くの時間と労力を必要とするので、有償での依頼に限定する場合も少なくありません。作曲の費用も決して安くはないので、費用の折り合いをつけることも大切です。

互いの努力を認めつつ、力を引き出し合える人と出会いたいものです。

絵描きと小説家の場合

小説を書く方は絵描きと同じくナイーブな方が多く、ちょっとした言葉で諍いが発生してしまうことがあります。

絵は比較的見てもらいやすい創作ジャンルです。SNSで何十人かフォロワーがいれば、全く見てもらえないということはあまりないでしょう。そのため絵描きは、作品を見てもらうことに慣れています。

小説は見てもらいにくい創作ジャンルです。全く見てもらえないということもあります。作品を見てもらうことになれていない方は少なくありません。

そのため、絵描きのいつもの感覚で小説を書いている方に接するとトラブルが発生する場合があります。

とはいえ、絵描きと小説を書く方が接点を持つこと自体あまりないでしょう。また、イラストを描いてもらって喜ばない人はほとんどいないでしょう。

私の絵柄では小説のお仕事は来なさそうなので、いっそ自分でお話を書いてもいいかなと思っています。

絵描きとゲームクリエイターの場合

ゲーム開発のクリエイターは規模やジャンルによりますが、シナリオライター、プログラマー、3DCGエンジニア、コンポーザー、サウンドエンジニア、イラストレーターなどがあります。

これが企業であれば、仕事ですから、人間関係もなんとかこなして、いそいそと作業に励むことでしょう。

もし同人ゲームサークルだったらどうでしょうか。必ずと言っていいほどトラブルが発生します。

絵描きは企画者やシナリオライター、プログラマーたちのトラブルを達観しつつ、割り当てられた無理難題に頭を抱えることになるでしょう。

描けども描けども終わらない作業が待っています。

ゲーム制作は年単位での作業になるので、いつものお絵かきとは何もかもが違います。そしてメンバーもそれぞれの生活があるので、徐々にプロジェクトは進まなくなり、やがて頓挫します。

同人ゲームは完成しない前提で、経験を積む過程として参加するとよいでしょう。

絵描きとデザイナーの場合

絵描きがデザイナーと組む場合は、デザイナーの指示に従って、イラストを描くことになります。

例えば『ページのデザインはこんな風にするから、右下の空いているところに可愛い動物のイラストを描いてね』といった具合です。

デザイナーは絵描きと組むことに慣れているので、それほど心配しなくても良いでしょう。

絵描きと絵描きの場合

絵描きは絵描きと仲良くなります。問題が生じることは、あまりないでしょう。絵描きは繊細ですから、どうしても傷つけ合うこともありますが、それは仕方のないことです。

いさかいというほどではないですが、ちょっとした問題が生じるとすれば、絵ではない交流を持ったときでしょう。例えばコメントやチャット・メールなどです。

絵描きも皆個性を持った人間なので、それぞれに違いがあります。黙々と作業をする人、なんでもない世間話を好む人、想像を膨らませて楽しむ人、建設的な会話をしようとする人などです。

多少の相性の良し悪しはあるようなので、ちょっと気まずくなったり、無言になったりしますが、それはそれで悪くないように思います。

絵描きと絵描きの遭遇する別の問題は、SNSのフォロワー数によるマウントです。本人にマウントを取る気が全くなくても、フォロワー数が違いすぎると場違いに思ってしまい、離れてしまいます。そして、フォロワー数が近い人同士が繋がるようになります。

これは絵描きの問題というよりはSNSの問題と言ったほうが正しいでしょう。

基本的に絵描きと絵描きは仲良くなりやすいです。

まとめ

この記事ではクリエイターたちの間で起こりうる問題について考えてきました。

クリエイターたちのクリエイティブに対する考え方はそれぞれ異なるので、すれ違いがあるのは当然のことだと思います。

それらがすべて悪いとは思いません。

ありきたりな言葉ですが、違いがあるからこそ、創作に多様性が生まれ豊かになってゆくのだと思います。

私たちも、それぞれ考え方を尊重しつつ、自分の目指す創作を模索していけたらいいですね。

この記事は以上です。

ではまた!