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冥府の森と英雄の花

わたくしの身体はなんと表現いたしましょうか。

どろどろ、と。

誰が見ても一目でわかる外見をしております。

そう、化け物。

化け物のわたくしは人間に恐れられておりました。

ゆえに、冥府の森を任されたのです。

そこは人の言葉でいうところのーーーにあります。

冥府の森は異界と繋がっております。

そこは異形たちの住処。

かつて異形と人間は共存していました。

意外と思われるかもしれませんね。

しかし、異形は人ほどの知能がありませんでした。

それゆえ。

わたくしだけが人の言葉を話せる異形として、冥府の森を任されたのです。

人間たちは、わたくしを恐れておりました。

だからなのでありましょう。

ひとびとは供物を捧げようとしました。

子どもをいけにえとして。

わたくしは人を食べません。

側仕えもいりません。

子どもはあるべき場所、人の世界で健やかに育つべきでしょう。

そう考えたのであります。

わたくしはいけにえにされた子どもたちを匿いました。

そして頃合いを見て逃しました。

この風習は教科書では習いませんね。

民話のなかで神隠しとして語られるに留まっているようです。

さて、冥界の森に佇んでいたときのこと。

ひとりの愛くるしい男の子がいけにえとしてやってきました。

大抵はわたくしが声をかけると、怖くて逃げてしまうものです。

しかし不思議なことに少年はわたくしを怖がりませんでした。

それどころか話しかけてきたのです。

「おねえさん、だあれ?」

と。

あるいは。

「ここでなにをしているの?」

「この花はなんていうの?」

「お外で遊ぶの楽しいねえ」

などと。

わたくしは質問にただ答えるばかりでした。

こんなことはこれまでありませんでしたから。

夜になると、男の子は悲しい顔をしてしまいます。

「ぼくね、おうちに帰れないんだ」

「帰ってきちゃだめって言われたから」

「おねえさんは帰らないの?」

わたくしはここに住んでいると告げました。

すると男の子はいっしょに住みたいと言い出したのです。

わたくしは断りませんでした。

男の子はジロウと名乗りました。

三人兄弟の真ん中だそうです。

長男は後継に。

末っ子は可愛い。

ということなのでしょう。

なぜこの子がいけにえに選ばれたのか。

わたくしには分かってしまいました。

そう思うと、この子がかわいそうです。

わたくしは化け物です。

長く生きてきました。

この子がすこやかに成長できるよう。

せいいっぱい育てようと思ったのです。

「お姉さんは、何ていう名前なの?」

ある日、ジロウがそう尋ねました。

わたくしは困ってしまいました。

化け物には名前がないからです。

思えば私は化け物としか呼ばれたことがありません。

「じゃあ、ぼくが名前を付けてあげるね」

「アヤメさん、薪をもってたよ」

ジロウが12さいになりました。

ちなみにアヤメというのは、ジロウが付けてくれた名前です。

わたくしには似合わないと思います。

けれどもジロウはそう呼びました。

「わぁ! 今日のお昼もご馳走だねえ」

山菜のスープとあずき豆のご飯。

わたくしの作る素朴な料理をジロウは喜んでくれます。

食事の間、わたくしは昔話を語りました。

化け物は食事をしないのです。

ジロウはよく聞き、すくすくと育っていきました。

「村の英雄になりたいんだ」

ある時ジロウが自分の夢を語ってくれました。

軍人となって悪者を成敗し、英雄となる。

そんな未来の物語です。

わたくしもそうなれるように願いました。

戦い方には詳しくありません。

とはいえ冥界にはいろいろな化け物がおります。

その中には戰に優れたものもおりました。

そういったことを思い出しながら話したのです。

ジロウはよく学びました。

きっと村の誰よりも賢くなったことでしょう。

ジロウが15さいになったころ。

すっかり成長して、たくましくなりました。

もう大丈夫でしょう。

わたくしはジロウを森から返す手筈を整えました。

「立派な大人になります」

「アヤメさんにまた会いにきます」

なかなか納得してくれませんでした。

それでも最後はそう言って、巣立ってゆきました。

わたくしは寂しさを覚えました。

ここに残ってくれと言えば、留まってくれることでしょう。

ですが、そうしませんでした。

人の幸せは、人とともにあるからです。

大きく手を振るジロウ。

手をふり返したとき。

ビチャ。

と、音をたてて、どろどろの一部が落ちました。

そう。

わたくしは化け物で、ジロウは人間なのです。

風の便りが届きました。

ジロウが士官学校に入ったとのことです。

なんでも一番の成績だったと聞いて、自分のことのように嬉しくなりました。

村の誇りだと、地元でも賑わっているようです。

わたくしは心から願いました。

ジロウがこれからも強くすこやかに成長していくように、と。

ジロウが20さいになるころでしょうか。

もう軍人になれたでしょうか。

彼ならきっとできると思います。

ジロウのことは心配いらないでしょう。

近頃、化け物と人間がうまくいっていません。

便りを届けてくれるものもいなくなりました。

わたくしはただ冥府の森の奥深くで佇むだけです。

今年でジロウが25さいになります。

人は化け物との共存をやめてしまいました。

人間は知恵を蓄えることができます。

それゆえ、今なら自分たちだけでやっていけると思ったのでしょう。

わたくしはそれを冥界のものたちに伝えました。

共存は終わったのです。

しかし、化け物たちは裏切られたと感じました。

化け物たちは今にも暴れだしそうです。

ああ、ジロウに会いたい。

ジロウは30さいになるでしょう。

きっと立派な殿方になっていることでしょう。

軍人としても活躍しているに違いありません。

もう結婚はしたでしょうか。

どんなお嫁さんを選んだのでしょう。

わたくしはそれを確かめることができません。

なぜなら、戦争が始まってしまったからです。

それも人間と化け物との戦いです。

わたくしには化け物たちの暴走が止めることができませんでした。

もう人間と平和に暮らす未来はないでしょう。

どうかジロウが無事でいますように。

ジロウが会いに来てくれました!

化け物たちが攻め寄せてきたことで、わたくしに助言を求めにきたのです。

わたくしは教えました。

化け物は化け物にしか傷つけられないと。

それから、あるものをジロウに渡しました。

自分のどろどろを小瓶に入れたものです。

それで弾薬を作れば、化け物を倒せます。

ジロウは何度も尋ねました。

「これを撃てば『化け物は元の場所に帰る』というのは本当なのか?」

わたくしはうなずきました。

嘘は言っておりません。

人も化け物も、いつかは元の場所へ還るものなのです。

これは一人の英雄のお話です。

その少年は小さな村で生まれました。

その名をジロウと言います。

彼は幼いころ神隠しに遭いました。

そして15さいのときに帰ってきました。

その間に何があったのか、彼も村のものも何も言いません。

しかし、彼は深い知識と強いな精神を身につけていました。

士官学校に首席で合格、そして卒業します。

軍人となった彼は数々の快挙を成し遂げました。

そして彼を一躍有名にしたのが、人間と異形との戦いのときです。

人間の武器は異形には通用しませんでした。

剣も矢も、銃も爆弾も効かなかったのです。

しかし、ジロウは化け物に対抗することができました。

彼の鉄砲は化け物を消滅させます。

徐々に人間側が優勢になりました。

ジロウはたった一人で人類を守りました。

誰もが彼を英雄と呼びました。

そして、最後の化け物を始末したとき。

人類は歓声をあげてジロウをたたえました。

「うそ・・・だろう?」

ジロウが呻きました。

「うそだと言ってくれ・・・」

ジロウは化け物の最後の生き残りである、わたくしを抱えました。

遠目にはトドメを刺しているようにしか見えないでしょう。

「なぜこんなことに・・・」

私はジロウが最後の瞬間、銃を入れ替えるのを見逃しませんでした。

化け物を倒せる銃から、倒せない普通の銃に。

ジロウはわたくしを倒すつもりなどなかったのです。

そう。

わたくしが弾をすり替えてえいなければ。

「まってくれ・・・いかないでくれ・・・」

ジロウ、どうか泣かないでください。

今日は喜ばしい日。

あなたが英雄になる日なのですから。

・・・ジロウ、

・・・優しい、

・・・人間の、

・・・英雄。

「うう・・・うわあぁぁぁ!」

冥府の森。

そこは人と人ならざるものを繋ぐ場所があった。

そして、そこにはかつて化け物がいたという。

もちろん、ただの御伽噺にすぎない。

なにしろ、

そこにあるのは、

ただ一輪の、

可憐なアヤメの花だけなのだから。