冥府の森と英雄の花
わたくしの身体はなんと表現いたしましょうか。
どろどろ、と。
誰が見ても一目でわかる外見をしております。
そう、化け物。
化け物のわたくしは人間に恐れられておりました。
ゆえに、冥府の森を任されたのです。
そこは人の言葉でいうところのーーーにあります。
冥府の森は異界と繋がっております。
そこは異形たちの住処。
かつて異形と人間は共存していました。
意外と思われるかもしれませんね。
しかし、異形は人ほどの知能がありませんでした。
それゆえ。
わたくしだけが人の言葉を話せる異形として、冥府の森を任されたのです。
*
人間たちは、わたくしを恐れておりました。
だからなのでありましょう。
ひとびとは供物を捧げようとしました。
子どもをいけにえとして。
わたくしは人を食べません。
側仕えもいりません。
子どもはあるべき場所、人の世界で健やかに育つべきでしょう。
そう考えたのであります。
わたくしはいけにえにされた子どもたちを匿いました。
そして頃合いを見て逃しました。
この風習は教科書では習いませんね。
民話のなかで神隠しとして語られるに留まっているようです。
*
さて、冥界の森に佇んでいたときのこと。
ひとりの愛くるしい男の子がいけにえとしてやってきました。
大抵はわたくしが声をかけると、怖くて逃げてしまうものです。
しかし不思議なことに少年はわたくしを怖がりませんでした。
それどころか話しかけてきたのです。
「おねえさん、だあれ?」
と。
あるいは。
「ここでなにをしているの?」
「この花はなんていうの?」
「お外で遊ぶの楽しいねえ」
などと。
わたくしは質問にただ答えるばかりでした。
こんなことはこれまでありませんでしたから。
夜になると、男の子は悲しい顔をしてしまいます。
「ぼくね、おうちに帰れないんだ」
「帰ってきちゃだめって言われたから」
「おねえさんは帰らないの?」
わたくしはここに住んでいると告げました。
すると男の子はいっしょに住みたいと言い出したのです。
わたくしは断りませんでした。
*
男の子はジロウと名乗りました。
三人兄弟の真ん中だそうです。
長男は後継に。
末っ子は可愛い。
ということなのでしょう。
なぜこの子がいけにえに選ばれたのか。
わたくしには分かってしまいました。
そう思うと、この子がかわいそうです。
わたくしは化け物です。
長く生きてきました。
この子がすこやかに成長できるよう。
せいいっぱい育てようと思ったのです。
*
「お姉さんは、何ていう名前なの?」
ある日、ジロウがそう尋ねました。
わたくしは困ってしまいました。
化け物には名前がないからです。
思えば私は化け物としか呼ばれたことがありません。
「じゃあ、ぼくが名前を付けてあげるね」
*
「アヤメさん、薪をもってたよ」
ジロウが12さいになりました。
ちなみにアヤメというのは、ジロウが付けてくれた名前です。
わたくしには似合わないと思います。
けれどもジロウはそう呼びました。
「わぁ! 今日のお昼もご馳走だねえ」
山菜のスープとあずき豆のご飯。
わたくしの作る素朴な料理をジロウは喜んでくれます。
食事の間、わたくしは昔話を語りました。
化け物は食事をしないのです。
ジロウはよく聞き、すくすくと育っていきました。
*
「村の英雄になりたいんだ」
ある時ジロウが自分の夢を語ってくれました。
軍人となって悪者を成敗し、英雄となる。
そんな未来の物語です。
わたくしもそうなれるように願いました。
戦い方には詳しくありません。
とはいえ冥界にはいろいろな化け物がおります。
その中には戰に優れたものもおりました。
そういったことを思い出しながら話したのです。
ジロウはよく学びました。
きっと村の誰よりも賢くなったことでしょう。
*
ジロウが15さいになったころ。
すっかり成長して、たくましくなりました。
もう大丈夫でしょう。
わたくしはジロウを森から返す手筈を整えました。
「立派な大人になります」
「アヤメさんにまた会いにきます」
なかなか納得してくれませんでした。
それでも最後はそう言って、巣立ってゆきました。
わたくしは寂しさを覚えました。
ここに残ってくれと言えば、留まってくれることでしょう。
ですが、そうしませんでした。
人の幸せは、人とともにあるからです。
大きく手を振るジロウ。
手をふり返したとき。
ビチャ。
と、音をたてて、どろどろの一部が落ちました。
そう。
わたくしは化け物で、ジロウは人間なのです。
*
風の便りが届きました。
ジロウが士官学校に入ったとのことです。
なんでも一番の成績だったと聞いて、自分のことのように嬉しくなりました。
村の誇りだと、地元でも賑わっているようです。
わたくしは心から願いました。
ジロウがこれからも強くすこやかに成長していくように、と。
*
ジロウが20さいになるころでしょうか。
もう軍人になれたでしょうか。
彼ならきっとできると思います。
ジロウのことは心配いらないでしょう。
近頃、化け物と人間がうまくいっていません。
便りを届けてくれるものもいなくなりました。
わたくしはただ冥府の森の奥深くで佇むだけです。
*
今年でジロウが25さいになります。
人は化け物との共存をやめてしまいました。
人間は知恵を蓄えることができます。
それゆえ、今なら自分たちだけでやっていけると思ったのでしょう。
わたくしはそれを冥界のものたちに伝えました。
共存は終わったのです。
しかし、化け物たちは裏切られたと感じました。
化け物たちは今にも暴れだしそうです。
ああ、ジロウに会いたい。
*
ジロウは30さいになるでしょう。
きっと立派な殿方になっていることでしょう。
軍人としても活躍しているに違いありません。
もう結婚はしたでしょうか。
どんなお嫁さんを選んだのでしょう。
わたくしはそれを確かめることができません。
なぜなら、戦争が始まってしまったからです。
それも人間と化け物との戦いです。
わたくしには化け物たちの暴走が止めることができませんでした。
もう人間と平和に暮らす未来はないでしょう。
どうかジロウが無事でいますように。
*
ジロウが会いに来てくれました!
化け物たちが攻め寄せてきたことで、わたくしに助言を求めにきたのです。
わたくしは教えました。
化け物は化け物にしか傷つけられないと。
それから、あるものをジロウに渡しました。
自分のどろどろを小瓶に入れたものです。
それで弾薬を作れば、化け物を倒せます。
ジロウは何度も尋ねました。
「これを撃てば『化け物は元の場所に帰る』というのは本当なのか?」
わたくしはうなずきました。
嘘は言っておりません。
人も化け物も、いつかは元の場所へ還るものなのです。
*
これは一人の英雄のお話です。
その少年は小さな村で生まれました。
その名をジロウと言います。
彼は幼いころ神隠しに遭いました。
そして15さいのときに帰ってきました。
その間に何があったのか、彼も村のものも何も言いません。
しかし、彼は深い知識と強いな精神を身につけていました。
士官学校に首席で合格、そして卒業します。
軍人となった彼は数々の快挙を成し遂げました。
そして彼を一躍有名にしたのが、人間と異形との戦いのときです。
人間の武器は異形には通用しませんでした。
剣も矢も、銃も爆弾も効かなかったのです。
しかし、ジロウは化け物に対抗することができました。
彼の鉄砲は化け物を消滅させます。
徐々に人間側が優勢になりました。
ジロウはたった一人で人類を守りました。
誰もが彼を英雄と呼びました。
そして、最後の化け物を始末したとき。
人類は歓声をあげてジロウをたたえました。
*
「うそ・・・だろう?」
ジロウが呻きました。
「うそだと言ってくれ・・・」
ジロウは化け物の最後の生き残りである、わたくしを抱えました。
遠目にはトドメを刺しているようにしか見えないでしょう。
「なぜこんなことに・・・」
私はジロウが最後の瞬間、銃を入れ替えるのを見逃しませんでした。
化け物を倒せる銃から、倒せない普通の銃に。
ジロウはわたくしを倒すつもりなどなかったのです。
そう。
わたくしが弾をすり替えてえいなければ。
「まってくれ・・・いかないでくれ・・・」
ジロウ、どうか泣かないでください。
今日は喜ばしい日。
あなたが英雄になる日なのですから。
・・・ジロウ、
・・・優しい、
・・・人間の、
・・・英雄。
「うう・・・うわあぁぁぁ!」
*
冥府の森。
そこは人と人ならざるものを繋ぐ場所があった。
そして、そこにはかつて化け物がいたという。
もちろん、ただの御伽噺にすぎない。
なにしろ、
そこにあるのは、
ただ一輪の、
可憐なアヤメの花だけなのだから。