箸でコバエを捕まえたら恋が始まっていた
僕の名前は橋田ハシオ。
なんの取り柄もない。
頭は悪いし、音痴だし、運動も苦手。
だけど、ひとつだけ特技がある。
それは『箸を上手に使える』ことだ。
小学4年生の夏。
6月の梅雨が明け、夏休みももうすぐというころ。
まだ湿気の残る教室に、一匹のコバエが入り込んできた。
ちょうど昼食の時間だったから、クラスメイトはハエを追い払おうと騒いでいた。
みんな、使命感があって偉いと思う。
僕にはそういうところがないから、少し羨ましい。
「はぁ」
ため息をつきながら、僕は弁当を机に出した。
僕の通う学校は、一週間に1日だけ、弁当を持参しないといけない日がある。
それが今日、『お弁当の日』だ。
僕の弁当は、今朝コンビニで買った日の丸弁当。
本当はみんなみたいに、手作り弁当が良かったけれど、僕のお母さんは忙しいから、しょうがない。
隣の席の、倉本ミノリちゃんの弁当をチラリと見る。
ピンク色の弁当箱に、丁寧に盛り付けされた、ご飯におかず。
いいな、と思う。
ミノリちゃんは手を合わせて、小さな声で「いただきます」と言った。
食事の挨拶を欠かしたことは見たことがない。
今日みたいに、騒がしいときでも。
真面目でいい子だ。
僕も見習わないといけない。
手を合わせて、食事の挨拶を口にしようとする。
そのとき。
「きゃっ」
ミノリちゃんは小さな悲鳴をあげた。
教室を飛び回っていたコバエが近づいてきたからだ。
コバエは執拗に顔の前を飛び回る。
何度追い払っても、ミノリちゃんから離れない。
そんな様子をみて、クラスメイトの女の子たちがクスクスと笑い出した。
「見てよ、倉本さんハエに懐かれてるぅ」 「え〜、それってぇ〜、そういうことぉ〜?」 「ウケる〜」
ハエが飛び回るのが、そんなに面白いのかな。
ときどき、クラスメイトの女の子たちは、ミノリちゃんのことを笑う。
どこがそんなに笑えるのだろう。
きっと僕の知らない、ミノリちゃんの魅力に気づいているのだと思う。
僕もみんなを笑顔にできる人になりたいな。
でも、ミノリちゃんが笑っていないのはどうしてだろう。
「っ」
ミノリちゃんは息を飲む。
ふいに、コバエがミノリちゃんのお弁当にとまりそうになったのだ。
その瞬間。
「・・・・・・え?」
ミノリちゃんは目を丸くして、一点を見つめていた。
そこには僕が突き出した、割り箸。
そして割り箸につままれた、コバエ。
僕は割り箸をパキッと割ると同時に、ミノリちゃんのお弁当の上に腕を突き出し、コバエを捕まえたのだ。
箸を上手に使えるだけの、つまらない特技。
やっぱり格好がつかない。
僕は少しがっかりしながら、コバエを窓の外に逃がした。
「・・・・・・すごい」
ミノリちゃんが小さくつぶやく。
たぶん、お弁当のことだろう。
お母さんが早起きして作ってくれたんだろうな。
できれば僕のお母さんも・・・と思ったところで、頭を振る。
お母さんは忙しいんだ。
500円を握らせてくれただけ、感謝しないと。
そうして自分の弁当に向き直り、気づく。
コバエをつまんだ箸じゃ、食べられないじゃないか。
どうしよう。
手で食べればいいのかな。
「・・・・・あの・・・・・・これ」
困っていると、ミノリちゃんがおずおずといった様子で、箸を差し出してくれた。
「いいの?」
「・・・・・・うん」
僕は感激した。
箸がなければ食べられないのに、ミノリちゃんは箸を貸してくれた。
そうか。
ミノリちゃんは、すごく優しい子なんだ。
もしかすると、予備の箸を持っているのかもしれない。
だとすると、すごく賢い子だ。
僕も見習わないと。
今度からは、予備の箸を持ってくることにしよう。
ミノリちゃんみたいに、困っている誰かに貸せるように。
僕は貸してもらった箸でご飯を食べ始めた。
ピンク色の可愛い箸だ。
そんな僕の様子を見て、またクラスメイトの女の子たちが笑い出す。
「倉本さんのを使うなんて、ないよねぇ」 「そうそう、洗って使えばいいのに」 「不潔ぅ〜」
僕はハッとする。
どうして気づかなかったんだろう。
僕の割り箸を、洗って使えばよかったんじゃないか。
ちゃんと石鹸で洗って、消毒もして。
きっとそのことを、彼女たちは指摘してくれたんだと思う。
本当にみんなは頭がいい。
そして、ミノリちゃんに申し訳なく感じた。
だから、彼女たちには感謝を、ミノリちゃんには謝罪を伝えよう。
彼女たちのように、直接ではなく、少しだけ聞こえるくらいの声で言う。
「ありがとう・・・あと、ごめんね」
ミノリちゃんはきょとんとして、それからしばらくして頬を朱色に染めた。
どうしたんだろう。
謝罪はいらない、ということかもしれない。
だとしたら、それはとても謙虚で立派ことだ。
僕はパクパクと弁当を食べ始める。
「・・・・・・」
チラ、チラとミノリちゃんがこっちを見ている。
もしかして、予備は持っていなかったのだろうか。
そんなはずは・・・。
でも、もしそうだとしたら、ミノリちゃんを困らせちゃいけない。
できるだけ急いでご飯を食べる。
そぼろも米粒も残さず食べる。
僕は今だけは、箸を上手に使えてよかったと思った。
「ふぅー」
無事に弁当を完食した。
さて、どうやって箸を返そう。
感謝と尊敬を込めてお礼を言いたいけれど、良い言葉が思いつかない。
それに女の子たちの使う言葉は、よくわからない。
なにかを略しているのだと思うのだけれど、それがどんな意味なのか、バカな僕には分からないのだ。
でも。
ひとつだけ僕でも知ってる言葉を思い出した。
女の子たちがとてもよく使う、わかりやすい言葉を。
「ミノリちゃんありがとう、“かわいい”箸だね」
「・・・・・・っ」
ミノリちゃんの顔がさらに赤くなる。
受け取った箸をじっと見つめていたから、きっとミノリちゃんも自分の箸をすごく気に入っているんだろう。
僕は選んだ言葉が間違っていなかったことにホッとした。
ミノリちゃんは、意を決したように、ご飯を食べ始める。
顔を真っ赤にしながら。
それを見ていたクラスメイトの女の子たちが、またなにか盛り上がり始めた。
賑やかで良い教室だと思った。
中学1年生になった。
それでも僕、橋田ハシオは相変わらずだった。
成長すれば、なにかが変わると思っていた。
でも、特技すら変わらなかった。
僕にできること、それは。
箸を上手に使えること。
それだけだ。
でも周りは変わっていった。
賑やかだった女の子たちのグループが変わった。
リーダーだった女の子がグループから外れた。
二宮アリサという女の子だ。
彼女は男の子たちと一緒にいることが多くなった。
僕はあの賑やかさが好きだったから、少し残念だった。
でも、誰とでも仲良くなれるアリサちゃんは、すごい子だと思った。
それに対して、僕はどうだろう。
学校の昼休み、僕はひとり寂しく校庭をぶらついていた。
するとアリサちゃんたちが旧校舎の方に向かうのが見えたので、少しだけ付いて行ってみることにした。
こんな会話が聞こえてくる。
「ちょっとぉ、ほどほどにしてよね」 「大丈夫だって、ちゃんと武器もあるし」 「なんたって俺たちはヒーローなんだから」
なんと、アリサちゃんたちはヒーローだったらしい。
驚きの真実に衝撃を受ける。
平凡な僕とは大違いだ。
それにしてもアリサちゃんは、男の子たちの中にいても、みんなをよくまとめているようだった。
やっぱりすごい子だなと思う。
会話に耳を傾けていると、アリサちゃんたちはどうやら、スズメバチの駆除をするらしい。
ハチを自分たちで駆除するだなんて、まさにヒーローの発想だ。
思わず感心してしまう。
僕なら大人に任せてしまうだろう。
どうやってスズメバチを駆除するのだろう。
気になって、こっそり覗いてみると、男の子が武器の実演をしていた。
「これをこうやって・・・」 「うおっ!すげー!」 「ちょっとこれ、本当に大丈夫なの?ねぇ!」
スプレーのガスにライターで火をつけ、小型の火炎放射器にしているようだった。
男の子たちはやる気に満ちている。
でも、アリサちゃんは心配しているようだ。
アリサちゃんが心配しているということは、成功しない可能性があるのかもしれない。
でもヒーローは敵から逃げはしない。
その証拠に、アリサちゃんは渋々ながら、男の子たちに付いて行っている。
先陣を切らないところをみると、サポートに徹するようだ。
さすがだと思ってしまう。
状況に応じて役を変える。
簡単にできることじゃない。
僕はアリサちゃんを、ますます尊敬してしまう。
しばらくして、ついにヒーローたちは敵と対峙することになった。
スズメバチの巣は思ったより、ずっと大きかった。
それでも構わず男の子は果敢に炎をぶつける。
驚き惑う敵たち。
でも、敵も強かった。
「やべ!にげろ!」 「ちくしょう!ちくしょう!」 「ちょっ、まって!きゃあ!」
スズメバチに追われて、一目散に逃げる男の子たち。
アリサちゃんは小石につまずいて転んでしまった。
どんどん敵に追い詰められる。
「こ、来ないでぇっ!」
ポーチをぶんぶん振り回して必死に抵抗をしていた。
しかし非情にもスズメバチは華麗に避ける。
そしてアリサちゃんに針を突き立てようとした。
その刹那。
「え!?」
僕の”予備”の箸がスズメバチを捕まえていた。
アリサちゃんは目を大きく見開いている。
彼女の目に、僕はさぞ滑稽に映っていることだろう。
僕が使っているのは、ただの箸だ。
全然かっこよくない。
「はぁ」
僕はため息をつきながら、迫ってくるスズメバチたちを、一匹、二匹、三匹と捕獲していった。
そして男の子たちが使う予定だったであろう、落としていった入れ物にスズメバチを放り込む。
その間、アリサちゃんは惚けたように僕を見ていた。
箸を使う僕を見て、呆れているのだろう。
最後の一匹を捕まえた時。
僕の口から出たのは、憧れのこもった言葉だった。
「アリサちゃんはかっこいいね」
虚をつかれたような顔をするアリサちゃん。
それから、ふいにそっぽを向いて呟いた。
「ううん。私なんかより、ずっと・・・その・・・」
アリサちゃんは謙遜しているようだった。
たぶん、自分よりもさっきの男の子たちの方がかっこいいと言っているのだろう。
彼女がそう言うのなら、きっとそうなのだ。
「・・・ごめん。あたし止めらんなかった」
ポツリとこぼれた言葉。
「アイツら連れて、先生に謝ってくる。それから・・・」
「なら僕も一緒に謝りにいくよ」
「はぁ!?」
アリサちゃんは素っ頓狂な声をあげた。
彼女はきっと、グループの失敗を自分の失態のように感じられる人なんだ。
そういうところは小学生のころから変わっていない。
僕はやっぱり、ほかの男の子たちよりも、アリサちゃんの方がかっこいいと思った。
アリサちゃんはみんなのリーダーだ。
だからこそ、アリサちゃんだけに背負わせちゃダメだ。
「ほら、早く行こうよ」
「う、うん・・・」
僕は手を伸ばし、アリサちゃんを立ち上がらせる。
彼女は少し遠慮しているようだった。
たぶん、僕を巻き込みたくないのだろう。
みんなのために、ここまで自分を犠牲にできるなんて。
やっぱりすごい。
僕もアリサちゃんみたいになりたいな。
でも、たぶん、なれないんだろうな。
少しだけ切なくなりながら、ほかの男の子たちも連れて、職員室に向かった。
しっかり怒られた。
でも、アリサちゃんが僕を庇って色々と言ってくれたおかげで、そんなに怒られなかった。
お礼にはならないかもしれないけれど、僕も、アリサちゃんがみんなを心配していたことをきちんと伝えた。
そして放課後になった。
バカな僕は、ホームルームが終わったあと、少しだけ、うたた寝してしまった。
もう教室には誰も残っていない。
「あ」
廊下に出ると、アリサちゃんがいた。
彼女は僕を見るなり、声をかける。
「あの、さ」
西日が当たっているせいか、耳まで茜色に染まっているように見える。
「その、さ」
彼女にしては珍しく歯切れが悪い。
言いにくいことを言おうとしているのだろうか。
もしかして・・・僕の悪口とか?
だったらショックだ。
そんな覚悟をしていると、彼女は手を握りしめて宣言した。
「・・・あたし、がんばるからっ!」
もう十分がんばってるじゃないか。
でも、それで満足しないのがアリサちゃんなんだよね。
すごいな。
「いつか、ちゃんと、勇気を出すからっ!」
振り絞るように言って、それから走り去っていった。
きっとヒーロー活動のことだろう。
アリサちゃんには、アリサちゃんにしかできないことを頑張っているんだ。
ますます憧れが大きくなってしまう。
それに対して、僕はどうだろう。
僕にしかできないことってなんだろう。
箸を上手に使うこと?
そんな間抜けな。
でも。
アリサちゃんの影響だろうか。
もう少し真剣に向き合ってもいいかな、と思った。
「ハシオくん、聞いてる?」
僕、橋田ハシオは高校1年生になった。
高校生になっても、僕は僕のままだった。
成績は下の下。運動も苦手。特技はない。
いや、ひとつだけある。
箸を上手に使うことだ。
泣けてくる。
そんな情けない僕は、情けなくも先生に怒られていた。
先生の名前は、西谷ハルカ先生。
今年赴任してきたばかりの新人教師の女性で、熱意にあふれていた。
これまで見過ごされていた僕の怠慢も、ついにツケを払うときがやってきたということだろう。
どうしても解けない問題があって、その宿題がいつまでたっても終わらない。
終わらないので宿題を提出できない。
今までは、できないことが許されてきた。
でもハルカ先生は許してくれない。
厳しい先生だ。
でも、今の僕には必要な先生だと思っている。
僕は現状に甘えてしまうから。
そして今日もダメな僕を叱咤してくれている。
「こら、ちゃんとこっちを向いて聞きなさい」
「はい」
しかも、ここは教室で、ホームルーム中だ。
クラスメイトから見られている中での説教。
逃げようにも逃げられない。
厳しい。
でもそれは、なかなかできることじゃないと思う。
「ハシオくんは真面目に取り組めばできる子なんだから、もっと真剣に打ち込みなさい」
「はい」
僕みたいなダメなやつに、ここまで真剣に向き合ってくれた先生は初めてだ。
だから、この厳しさは少し辛いけど、嬉しくも思う。
きっといつか自分の糧になるだろうから。
そんなことを思いながら説教を聞いていると、突然、教室のドアが荒々しく蹴飛ばされる。
「貴様ら、全員そこを動くな!」
なんと武装した男たちが襲撃してきたのだ。
少なくとも一人の男は拳銃を持っている。
「キャアアァァーーー!!」
教室に響き渡る生徒たちの絶叫。
パァンと耳をつんざくような銃声が鳴り響く。
「動くなっつってんだろうがっ!」
男たちの怒鳴り声が恐怖を増長させる。
天井に空いた穴は、その拳銃が本物であることを物語っていた。
生徒たちは皆、怯えていた。
しかし、動けば撃たれる。
突如として訪れた絶望に、教室そのものが暗闇に変わってしまったかのようにすら感じられた。
そんな中、ハルカ先生だけは違った。
「みんな落ち着いて!逆らっちゃダメ!」
ハルカ先生は勇敢にも、冷静に対処しようとしていた。
僕は場違いながらも、そんな勇気に心が震えた。
彼女は額に冷や汗を滲ませながらも、交渉を進める。
「あなたたちの要求は何?もし生徒たちに手を出したりしたら・・・」
「なんだぁ?うるせぇ女だなぁ?」
だが、荒々しい声が、すっと氷点下まで下がる。
「撃つぞ?」
「っ」
さすがのハルカ先生も怯む。
そして、男は人質を要求した。
「おいお前、こっちに来い」
どうやら人質は僕のようだ。
僕は人質としてうまく利用されてしまうのか。
そんなことになるぐらいなら、いっそ。
「やめなさい!!!生徒に手を出すのはやめなさい!!!」
それでもハルカ先生は抗った。
強い。
こんなに強い意志を持つ人は初めて出会った。
どこか達観していた僕の心が、引き寄せられる。
この人は、本当に、真剣に、先生なんだ。
「警告はしたよなァ?」
無情にも銃口は先生に向けられる。
ゆっくりと引き金が引かれ。
弾薬の弾ける音が響き。
教室にいる誰もが目を疑った。
「なん・・・だと・・・!?」
先生の目の前、10センチのところに突き出された、銀色の箸。
それが弾を完全に捕らえていた。
摩擦熱で少しの煙が登る。
しかし、磨り減ったのは箸の方ではなく、弾の方だ。
指の力を少し抜くと、ぽとりと弾が床に落ちる。
「・・・ハシオ・・・くん?」
僕は先生の言葉に反応せず、ただまっすぐに銃口を見つめた。
「クソがッ!!!」
パァン!!!
パァン!!!
と、何度も狙撃されるが、すべて箸につままれ、止められる。
弾の速度に合わせた、目にも留まらぬ箸の絶技。
ハルカ先生もクラスメイトも息をするのを忘れるくらい、その光景を呆然と見守っていた。
そして、ついに。
「チッ、クソッ!!!」
弾切れだ。
男はヤケクソになって、僕を責め立てる。
「何がどうなってやがる!!!お前、何をした!!!」
「この箸、実は合金なんだよね」
「そういう意味じゃねぇ!!!」
「僕なりに”真剣に向き合った”んだ」
「何なんだよお前!!!」
「僕はハルカ先生と大事な時間を過ごしていたんだ。邪魔しないでほしい」
「だから何なんだよお前!!!」
「僕は多少、怒ってる」
僕がそういうと、狂乱していた男が急に冷静になり、かと思うと愉快そうに笑い出した。
「ハハハ!!!そういうことかよ!!!なら話は早ぇ!!!」
それから、後ろに控えていた男たちに指示を出す。
「やれ」
だが。
もう遅い。
騒ぎを聞きつけた屈強な者たちが彼らを取り囲んでいた。
力強い運動部の部長たち、大柄な体育教師、防犯用の装備で武装した他の先生たち。
そんな強い人たちに囲まれたら、襲撃者たちも成すすべがない。
僕は憧れた。
かっこいい。
あんな風になりたかったな、と。
そんな時、ちらっと視線が合った。
アリサちゃんだった。
彼女は親指を立てていた。
心強い味方を呼んでくれたのは、アリサちゃんだったのだろう。
やっぱりアリサちゃんはかっこいい。
それからまもなく、パトカーのサイレンの音が近づいてくる。
また誰かと視線が合った。
ミノリちゃんだ。
ミノリちゃんはコクンと小さく頷いた。
どうやらミノリちゃんが警察を呼んでくれたらしい。
どこまでも謙虚で、頼れる女の子だ。
ここまでくればもう、襲撃した男たちに勝機はなかった。
彼らの目的はわからなかったが、お縄についたことで、教室に安堵した空気が戻ってきた。
僕はようやく振り返り、ハルカ先生に声をかけた。
「ハルカ先生」
「・・・・・・は、はいっ!」
ハルカ先生は半ば放心していた。
先生の勇敢さにばかり目を奪われていたが、先生も新人教師。
それも教師という立場を除けば、ひとりの女性でしかない。
本当は怖くてたまらなかったのだろう。
それなのにひとりで立ち向かったのだから、本当にすごい。
襲撃はたしかにびっくりした。
でも、僕には、もっと大事なことがあった。
「宿題はどうすればいいですか?」
「え!? えええ!?」
「解き方がどうしてもわからないんです。真剣に取り組んではいるんですが」
「あっ・・・・・・」
ハルカ先生はどういうわけか目を潤ませて、それから照れたような、恥ずかしそうな笑顔を作った。
彼女は僕の手を優しく包むように握った。
それから、熱っぽく、こう言った。
「明日から放課後、職員室にいらっしゃい。ゆっくり教えてあげるから、ね?」
「はい」
本当に熱意の溢れる先生だ。
僕には箸を上手に使うことしかできない。
その他は、できないことばかりだ。
でも。
この勇敢な先生を見ていると。
いつかは乗り越えられるような、そんな気がした。
僕、橋田ハシオは、何も変わらなかった。
変わらなかったはずだ。
それなのになぜだろう。
強盗を捕まえたり、テロを阻止したり、猛獣を手なずけたり、ミサイルを撃ち落としたりしていた。
そして今。
「・・・・・・橋田くん、お弁当です」 「ハシオっ!ぜったい無事に帰ってきてよね!」 「先生はハシオくんのことを信じています」
僕を激励してくれるミノリちゃん、アリサちゃん、ハルカ先生。
どうしてこうなってしまったんだろう。
世界の危機だとか、もう意味のわからない次元の話に巻き込まれている。
危機のインフレがすごすぎて正直ついていけない。
そして、その世界の危機とやらに立ち向かう唯一の武器が・・・
箸である。
それはない。
ぜったいにない。
箸で世界を救うとか、ありえない。
そのはずなのに。
人が操縦する巨大ロボが装備している武器が、巨大な箸だという事実に目を背けたくなる。
僕は操縦席に乗り込み、レーシングカーの椅子のようなシートに腰掛ける。
すると一匹、コバエが入り込んでいた。
僕はすかさずパシッと箸でつかまえる。
それから、搭乗口を少しだけ開けて、逃がしてやる。
これくらいでよかったんだけどな。
世界の危機というのはよくわからない。
救える気なんて全然ない。
でも。
真剣に、勇敢に、謙虚にがんばらないとね。
ミノリちゃんのように。
アリサちゃんのように。
ハルカ先生のように。
僕はコックピットから管制塔にメッセージを伝える。
そのメッセージは全国に中継されるそうだ。
僕は大きく息を吸い込んで。
実に間抜けな自己紹介をする。
特技は箸を上手に使うことです、と。