家出ギャルと電車の旅
「ねぇ、どっかに連れて行ってよ」
駅前で声をかけられた。
茶髪で化粧をしたギャルっぽい女子高生。
「え、と、どちら様ですか?」 「は? 覚えてないわけ? 同中だったじゃん」
やけに不機嫌そうだ。
思い出そうと努めるが、同じ顔が出てこない。
中学校では髪を染めるのが禁止されていたし、そもそもこんな子いただろうか。
もしかして友人を装った詐欺かもしれない。
そこまで考えたところで、彼女は深く息を吐いた。
「西田」 「あ、思い出した」
西田さんは教室ではいつも誰かが周りにいるような、クラスの人気者だったはず。
そんな彼女が僕に、何の用があるというのだろう。
少なくとも、話したことはほとんどない。
「暇でしょ。どこか連れて行ってよ」 「どこかって」
女性ウケするような遊び場を僕は知らない。
「できるだけ遠く」
憮然として吐き捨てる様子を見るに、デートのお誘いのようなロマンチックなものはなさそうだ。
「……まぁ、いいけど」 「ふん。それでいいのよ」
なぜ受け入れてしまったのかはわからない。
暇だったからとか、彼女の様子が気になったからとか、それっぽく聞こえる理由はいくつも思い浮かぶけど。
「とりあえず電車のる?」 「うん」
彼女は素直に頷いた。
*
行き先は未定。
南に行くか、北に行くか、それくらいは決めようと思って尋ねたところ、
「どっちでも」 「この季節は南がいいんじゃない?」 「じゃあ北」
という天邪鬼な回答を貰ったので、電車は北に進んでいる。
「……」
先頭車両に乗り込んだせいか、人が少ない。
県を跨ぐころには、車内に二人だけになっていた。
彼女はスマホを見つつ、髪をいじりながらポツリと言葉を溢す。
「私、親が再婚してさ」
視線はこちらに向けない。
「今は西田じゃないんだ」
電車の揺られているせいか、会話の間がそれほど気にならない。
「新しい苗字は嫌い。だから西田って呼んで」 「わかった」
彼女はそれ以上は話さなかった。
*
鈍行での旅はかなり長く感じる。
東北に入ったあたりから、彼女はうとうとしだした。
「寝てていいよ。後で起こすから」 「ん」
どの駅でとは言わなかった。
決めていなかったから。
電車の車窓から停車駅のホームを覗く。
北に行くに連れて乗客が厚着をしている割合が多くなってきた。
雪が降らないといいけど。
*
結局、僕たちは青森の駅で降りることになった。
外は暗くなってきている。
「お腹すいたし」
これまで口にしたのは乗り換えの時に買った缶ジュースくらいだし、無理もない。
僕もこの辺りのことは全く知らないので、とりあえず目について店に入る。
「友達とラーメン屋に入ったの初めてかも」
奥の方の席に座ってから、彼女はそう言った。
果たして僕たちは友達といえるような関係なのだろうか。
そう一瞬考えたが、たぶん深い意味はないのだろう。
「何にするの?」 「味噌かな」 「じゃあ、あたしは醤油」
あくまで僕とは違うものがいいらしい。
お腹が満たされたところで、外に出た。
*
「で、これからどうするの?」
彼女が聞いてきた。
それはこっちが聞きたいところだが、たぶん彼女も考えがまとまってないのだろう。
代わりに、選択肢を提示してみる。
「帰るか、泊まるか、どっちがいい?」 「絶対帰らない」
意思はあるようだ。それも硬い。
「家に電話した方がいいと思うけど」 「嫌」
さあ困った。
「連絡しないと、警察に通報されるよ」 「うちの親は心配とかしない」 「会ったことはないけど、たぶん、通報すると思う」 「勝手にすればいい」
ごめんで済んだら警察はいらない、というよく聞く代わりに教訓のはっきりしない言葉を思い出した。
警察沙汰で済んだだけマシとは誰も言ってくれない。
「警察はスマホのGPSを追えるから、遅かれ早かれ保護されることになるよ」
そう言うと、彼女はおもむろにスマホを取り出し、塀の外に投げ捨ててしまった。
言わなければよかったかもしれない。
「現金はそんなにないし、ホテルに泊まるのはたぶん無理だよ」 「なんとかしてよ」
まあいいか。
僕たちは電灯もまばらな道を歩いた。
*
徒歩で進める距離には限界がある。
結局、二人とも疲れ切って公園のベンチに座り込んだ。
もうすっかり空が暗くなっている。
「あーあ、何してんだろ、あたし」
彼女の口から白い息が漏れる。
「なんかごめんね、巻き込んじゃって」 「いいよ」
夜の静寂が二人を包む。
見上げると、心なしか星が大きく見える。
「……なんかさ」
ここが今の僕たちの来れる世界の端っこなのだろう。
地球儀で見たら、笑ってしまうほど近くて。
でも、日常を送っていたら絶対に来れない境界線。
「なんかさ、自分が邪魔者に思えることって、ない?」
それは家族の話だろうか。
それとも学校の話だろうか。
「自分がいない方が、周りは幸せになる、とかさ」
言葉を探しているようだ。
言いたいことを、言い表せないもどかしさ。
自分の心さえ、よく知らないのだ。
「……ちがうな。あたしは、ゴミを吐いて生きている、というか」 「生きているだけで罪を重ねている?」 「そう、かも」
これは彼女が悪人だという話ではない。
言葉は言葉でしかない。
どこかで何かを掴んだと信じて進むしかない。
不安定な綱渡りをするように、僕たちは会話をする。
「……いなくなったほうが、たぶん、良い」
彼女が感じているのは、たぶん普通のことだ。
だれもが一度は感じる普通のこと。
ただ、彼女の家庭は少し難しい。
彼女は親が再婚したと言った。
もしかしたら、彼女は、親の幸せを自分が邪魔をしているように感じているのかもしれない。
本当のところは本人にしかわからないけど。
「あたしは親が嫌い。学校が嫌い。なにより、自分が嫌い」
自分自身さえ忘れてしまったような、小さな言葉の根が心を蝕むのだ。
いや。
まるで賢しいかのように言うのはやめよう。
「……」
彼女はふいに押し黙った。
感情の渦は吐き出すと多少はスッキリする。
とはいえ、電車の中で眠っていたせいで、目が冴えているようだ。
僕はふと話題を変えた。
「夜ってさ、怖いんだね。でも、ワクワクする」 「わかる」
初めて彼女が少し笑った。
「コンビニ行ってみない? 近くにあるでしょ」 「いいね」
僕たちはコンビニを探して見つけ、食べ物と飲み物を買った。
ついでにライターとろうそくと買って、近くの河原に行った。
星空を天井にするのも悪くないかもしれないが、天井はあるに越したことはない。
橋の下まで歩き、腰を下ろして、ろうそくを灯した。
「……」
彼女は両膝を抱えて、ただじっと揺めきを見ていた。
ゆらゆら揺れる灯心を見つめながら、彼女が何を考えているのかは僕にはわからない。
なにも考えていなかったのかもしれない。
ただ。
この突拍子もない旅で、心に残ったのが、灯火を見つめる彼女の表情だったことは確かだ。
*
物語として語るべきなのは、ここまでだろう。
ここから先は、エピローグというにはあまりに味気ない顛末だからだ。
いつの間にか眠っていた僕たちは、朝の寒さで目が覚めた。
とりあえず駅に向かったところ、警察に保護されて、親が迎えにきて、帰宅することになった。
たぶん、僕たちの行ける一番遠い境界線に、大人たちがふいに入り込んできて、白けてしまったのだろう。
わかっていたのだ。
叱られるまでもなく、わかっていたのだ。
ただの家出、いやそれにも満たない遠出に過ぎない。
あの旅も、車窓から見える少しずつ変わっていく景色も、初めて入ったラーメン屋も、夜の公園も、星空も、灯火も。
*
今でも、電車に揺られるたびに、彼女はあの日の旅のことを口にする。