Skip to content
On this page

代理ちゃん戦争

「出てけ、出てけ、出てけぇーーーー!」

とあるマンションの一室から、女の叫びが響き渡った。

生まれてこの方、こんなに大声を出したことはない。

しかし、我慢の限界だったのだ。

「さっきから本当にどうしたのだ? 俺を嫌いになったというのか。愛を教えてくれたのはあなたじゃないか」

全ての元凶はこいつだ。

こいつは私の黒歴史そのものだ。

比喩表現なんかじゃない。

私が過去に作り出した黒歴史が具現化してしまったのだ。

事の発端はあの日に遡る。

ベロンベロンに酔っていた私は、満員電車に揺られながら、なんとか帰宅した。

「んにゃ?」

そこでポケットに入れていたスマホが振動していることに気づく。

着信が雪崩のようだ。

大学時代からの友人である直美が熱心に通話を試みていたようである。

かけ直そうかとも思ったが、直美もだいぶ酔っていたし、たぶん今頃寝ているだろう。

そう思って閉じようとしたら、またスマホが鳴った。

『大変だよ、湊ちゃん! 私の代理ちゃんがベッドで飛び跳ねてる!』

(やっぱり酔ってるし)

私はスルーして、自分の部屋に戻った。

そこに、そいつがいた。

私は社会人になってからはやめてしまったが、大学生まではかなり痛いオタクだった。

その頃はまだ代理ちゃんという言葉そのものがなかったが、自分を表すキャラクターを作って、どんどん盛り付けて行った。

現実での鬱憤を晴らすかのように、これでもかと要素を詰め込みまくったのだ。

イケメンかつ知的で、声が低く、高身長。心に深い傷を負っていて、秘めた力を宿しており、覚醒すると最強になる。

代理ちゃんなのにも関わらず、私という設定も盛り込んでしまった。私をこよなく愛している、私のために闘っている、私のためなら死ねる、と欲望のままに書き綴った記憶がある。

しかし、私の煩悩はまだ続く。中世ファンタジーに夢中だった頃に、実は王家の血族であり、滅びた王国を立て直すために旅をしており、同じく王族の末裔である私に出会い愛し合うようになった、という設定を追加してしまった。

ある時は現代異能バトルものにハマってしまい、常人では1つまでしか持てない異能を24個も持っており、その能力は瞬間移動、物体変質、重力操作などすべてがチート級のものと設定してしまった。

残念ながら、まだある。異世界恋愛ものに没頭していたときに、冷徹な帝王として知られているのに、ただの田舎娘である私を溺愛しているというベタなキャラ付けもしてしまった。

まだまだ続くのだが、列挙するだけで私の心がギブアップを叫んでいるため、この辺りにしておく。

そして。

欲望と煩悩の塊とでも表現しようか。

私の代理ちゃんが、現実に姿を表してしまったのである。

ちなみにそいつはあくまで代理であるから、名前は私のハンドルネームである『燻りチャーシュー大盛り』となるだろう。

さすがに長いのでイブリと呼ぶことにする。

イブリは私を見た瞬間、驚きで目を見開いた。

それを見た私の感想は『まつげ長いな』である。

整った美形が家にいることに非日常を感じつつも、一瞬で私の代理ちゃんであることを得心した。

「なんであんたがここにいんのよ・・・」

この状況をすんなり受け入れてしまったのは、たぶんアルコールのせいだ。

私は自身の黒歴史に耐えきれずにそっぽを向く。

「っ! なにすんのよ!?」

「会いたかった・・・! この時をどれだけ待ち侘びたことか!」

あろうことかイブリはその長い腕で思いっきり私を抱きしめていた。

「ちょ!? やめなさい!?」

「やめるものか・・・! もう二度とあなたを離したりしない・・・!」

「なに一人で最終話みたいになってんの!?」

私はなんとかイブリを押し退け、状況を脱する方法を考える。

力では到底叶わないから、別の方法でなんとかしなければならない。

イブリの特性を思い出す。

「あんた、冷徹な帝王でしょ? なんでこんなに情熱的になってるのよ」

「俺は帝国において、絶対支配者として君臨していなければならない。だが、ここは見たところ全く違う世界だ。もう俺は自分を抑える必要はない! 俺を縛るものは何もないのだ!」

「原案ではもっとクールなキャラだったじゃん!」

「そうかもしれない。だが、心の中に秘めた愛は、あの頃から何も変わっていない!」

「いやそれはだめでしょ!? なに勝手に設定追加してんのよ!?」

「なにも不思議ではない。俺は帝王だが、同時に異能高校時代、あなたと過ごした青春の日々があるからな」

「お願いだからクロスオーバーしないでぇ! というか過去の私のアホおぉぉ!」

思わず過去の私の愚行を呪ってしまったが、もう遅い。

それにしても、これから一体どうすればいいんだろう。

イブリはなんで現れたのか。

どうやったら消えるのか。

消えなかったらどうすればいいのか。

ここに一緒に住むのか。

いやそれはダメだ、だが外に出歩かせるのはもっとダメ。

考えれば考えるほど、頭がぐるぐるになっていく。

もう何も考えられない。

「あー、ごめん」

「一体どうしたのだ?」

「吐く」

それから私はイブリに介抱されながら眠りについた。

「おはよう、愛しい人」

「まだいたのね」

結局イブリは朝になっても消えなかった。

幻覚だったらよかったのだが、そうでもないらしい。

ふとイブリが昨日と変わらぬ様子で介抱しているのに気づく。

「あんた、寝てないの?」

「俺は『超回復』と『睡眠短縮』の異能を持っているからな」

「あったわね、そんな設定」

なんでもありだな。

自分の考えた設定ながら、ため息をついてしまう。

そんな私をイブリじっと見つめた。

「なによ?」

「目覚めのキスをしていいか」

「ダメに決まってんでしょうが!?」

私は枕を顔面に投げつけた。

イブリがショックを受けた表情をする。

「なぜだ!? そうしろと命じたのはあなたではないか」

「それは単なる設定よ! 本当にしてほしいわけじゃない!」

「では、何をして欲しいのだ?」

「ほっといてよ」

私がそう突き放すと、イブリは傷ついた顔をして、それ以上追求するのをやめた。

(なんでそんな繊細なのよ。そんな設定なかったじゃん)

そこまで考えたところで、思い出す。

(あー、心に深い傷を負ってる、っていう設定があったっけ)

面倒な性格にしてしまったことを今更ながら後悔する。

言いすぎたかとも思ったが、特に口にはしなかった。

気まずい沈黙が流れる。

その時。

凄まじい爆発音が聞こえてきた。

爆風で窓がガタガタと揺れる。

「大丈夫か?」

気づくと、イブリに抱きしめられるように守られていた。

「は、離して!」

「・・・あぁ」

イブリが悲しそうな顔をして私から離れる。

それから、こう言った。

「俺はこの爆発の被害を調べに行く」

「はぁ!? なんであんたが行くのよ!? 絶対ダメ!」

私の黒歴史を外に放つわけにはいかない。

しかし、イブリも譲らなかった。

「そうはいかない。俺には勇者でもあるからだ」

「あー・・・、あったわね、そんな設定」

異世界ファンタジーものにハマっていたときに、イブリに世界を救う勇者としての使命と葛藤を、設定として追加した記憶がある。また黒歴史を掘り出してしまった。

「というわけで、行ってくる! あなたはここにいてくれ」

「ま、待ちなさい!」

やばい。

具現化した私の欲望の塊が解放されてしまった。

なんとかして止めなければ。

そうしないと、私のリピドーが晒されてしまう。

(ていうか、あいつ早すぎ!)

追いかけようと思ったが、あっという間に視界から消えてしまった。

(そういえば瞬間移動の異能を持っているんだっけか、まじかー・・・)

あんなのが街で暴れられたらたまったもんじゃない。

とにかくわき目も降らず騒ぎの中心に急いだ。

「なによこれ・・・」

肩を上下させながら、たどり着くとこの世のものとは思えない光景が広がっていた。

「さまざまな代理が具現化され、戦争を初めてしまったらしい」

いつの間にか隣に来ていたイブリが言う。

「リアル怪獣大戦争じゃん・・・」

空は七色に煌めき、流星が落ち、雷が鳴り、地面が揺れる。

炎が炸裂し、近くの建物が溶解し、瓦礫と化している。

そんな中で私が無事でいられるのは、イブリの異能の一つ『絶対防御』で守られているからだ。

「なんで戦ってるのさ、意味分かんない」

「皆が皆、善良な代理とは限らないからだろう。極悪非道という設定が付与された者も大勢いる」

「設定言うな」

深い深いため息をつく。

これどうするんだ。

私一人の問題かと思っていたが、街中の妄想が具現化されてしまったようだ。

そこにあるのは欲望と欲望のぶつかり合い。

最悪すぎて笑えない。

とりあえず帰ろう。

こんなのと関わり合いになりたくない。

振り返ると、とんでもないものが視界に入った。

「私のマンション燃えてない・・・?」

「うむ、燃えているようだ・・・うぉ!?」

私は怒りに震えた。

朝から晩まで働いて、上司のパワハラとセクハラに耐え、同僚のマウント合戦も我慢し、満員電車に押しつぶされ、なんとかロローンで購入を決めた私のマンション。

(ゆ、許さない・・・!)

イブリはそんな私を見て半分は怯え、半分は歓喜しているようだ。

「イブリ! 今すぐ争いを鎮圧させなさい! 速攻で終わらせるのよ!」

「御意」

イブリは瞬時に姿をかき消し、事態の沈静化に動いた。

私は大学時代の友人である直美に電話をかける。

『どしたの? こんな朝から』

「あんたの代理を貸しなさい!」

『えぇ〜? みんなでパーティしてるにー、でも湊ちゃんが言うんだから、何か理由があるのよね?』

「そうね。でも説明してる時間はないわ」

『わかったよ〜、今から送るね・・・えい!』

ぽこんと音を立てて、丸い猫のような生き物たちが出現した。

直美は神話や伝説の類が好きなので、代理ちゃんも地味に強キャラな設定である。

たしかこの猫は『フォーチュンスター』という能力を持っていて、6分の1の確率で願い事を叶えてくれたはずだ。バランスブレイカーにも程がある。こいつは切り札なのでまだ使わない。

赤く燃え上がる鳥のような生き物もいて、これは外見通りフェニックスという設定だった。この生き物の特性は不死であり、何度でも蘇る。そしてこの鳥が羽ばたけば、周囲の人々は回復する。

「行きなさい! フェニックス、あなたの出番よ。倒壊した建物の周辺を巡って、人々を回復させなさい」

それからやはり神話生物であるウンディーネにも告げる。この生き物は願いに呼応して雨を降らせることができる。

「このあたり一体に雨を降らせなさい! 火災を丸ごと鎮火させるのよ」

そして、まだまだいる代理ちゃんたちに目を向ける。

(・・・直美の代理キャラ多すぎじゃね?)

直美はオンラインでは名前やアイコンを頻繁に変えるタイプで、その度に新しい代理ちゃんを作っていた。確かにこれだけいればパーティも開そうだが、いかんせん多すぎだ。

(この消しゴムくんとか、マシュマロちゃんとか、完全にネタじゃん・・・)

何も役に立たず雨に打たれる代理ちゃんを見ながら、哀れに思ってしまった。

それからも私は指示を出し、事態は無事に沈静化した。

「・・・・・・」

「お、怒っているのか? 家が焼けてしまったのは、残念だったと思う・・・俺にできることならばなんでもするぞ」

イブリは若干怯えながら私の顔色を伺っている。

「べつに、あんたはよくやってくれたわ。マンションのことは事故だから気にしなくていいわよ」

「しかし・・・」

私は一縷の望みをかけて直美の代理ちゃんである猫の『フォーチュンスター』を発動させたが、私のマンションは戻ってこなかった。6分の1は引き当てられなかったようである。

「いい機会だわ。どっちにしろ、ここじゃあんたは住めないだろうし、また家を探しましょ」

「うおぉぉぉ!」

「ちょ!? 何いきなり抱きついてんだ、このやろう!」

急にイブリが抱きついてきたので、思わず殴り飛ばしてしまった。

しかし、イブリは嬉しそうにニコニコしている。正直気持ち悪い。

「私のことをそこまで想い、家まで探してくれるとは! あなたを一生大切にすると誓おう!」

「勘違いすんな! あんたにうろうろされると迷惑なだけよ!」

「愛している! あぁ、なんて可愛らしいんだ!」

「やめろぉ! おろせ、この野郎!」

イブリはひょいと私を持ち上げて、いわゆるお姫様だっこをした。

挙句、私のおでこにキスをしたり、耳元で愛を囁いたり、いい加減にしろ。

私はイブリの胸をポコポコと叩くいて抗議したが、全く効かなかった。

(このチートめ・・・)

これから、イブリと生活していくことを考えると、ただただ憂鬱だった。イブリは私の黒歴史の具現化なのだ。

なぜこんな事態になってしまったのか真相を知らなければイブリは消えないだろうし、真相を突き止めようとすればまた争いに巻き込まれるだろう。

そんなことはお構いなしに私に愛を囁くイブリに、私はもう一発パンチを喰らわせるのだった。