絵にすると失われるもの

絵にすると失われるもの

2020-08-10

言葉にすると失われるものがある。そんなフレーズを一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。この現象は心理学で言語隠蔽と呼ばれています。この記事ではそのことをイラストの分野へと発展させて考察します。

■ 言語隠蔽とは

1990年に行われた顔の記憶に関する論文では、目撃した人の顔について言語化すると、言語化しない場合と比べて記憶の成績が悪くなるとの実験結果が記されています。言語隠蔽に関する論文は他にもあります。

■ 言語隠蔽と創作

言語隠蔽と創作は深い関係があります。一番影響が大きいのは文学でしょう。作家は言葉を書かなければ成り立たちません。しかし、言葉にすると表現したいと思っていたものの一部が失われてしまいます。これは作家にとって大きなジレンマとなりかねません。

イラストも似たような現象が起こります。絵にすることで失われてしまうものがあるのです。これについては実体験を思い出していただいた方が理解しやすいと思います。

■ 小説を読んだ後に見る映画

例えば感動した小説が映画化されたとしましょう。いざ映画を見てみると何か違和感があります。自分の中で思い描いていたものとのギャップに戸惑うかもしれません。

イラストは想像力を刺激するために用いられると説明されることがあります。しかし、イラストには同時に想像力を抑制する力もあるのです。それを顕著に表しているのがホラー映画です。

■ 描かないところに想像力が働く

よく日本のホラー映画は怖いと言われます。その理由として一般的に挙げられるのが、はっきりと描かないことで演出する恐怖です。どんなに恐ろしい怪獣でもしっかりと描かれると想像力は抑制され、描かれている以上には怖いとは感じなくなります。その怪獣はビルや街を破壊する以上のことはしないからです。

しかし、なんだかよくわからないものは、想像力に歯止めが効かないため余計に恐ろしく感じます。これを逆手にとることもできます。怖さを抑制したい場合はあえてきちんと描くことで、作者が意図したものにコントロールすることができます。

■ ないものの扱いは日本人が得意としている

あえて表現しない、言葉にしない、形にしない。こういったことは日本の文化に組み込まれています。ないことに美しさを見出す侘び寂びや、音と音の間に生じる空白で魅了する三味線の演奏、少ない言葉で多彩な表現をする俳句などです。

ここでは、あえて言葉にしなかったり、曖昧に表現したりすることの是非は別にして考えます。この表現しないことによる効果を創作に役立てることはできないでしょうか。この点はデザイナーの方法論にすでに組み込まれています。

■ あえて多くの情報を置かないデザイン

けっきょく、よはく。というデザイン関係の本の帯には『デザインは余白が9割』と大胆な言葉が記されています。その真偽については各自で確かめていただくとして、デザインの分野で余白がかなり重要視されているのは確かです。

今こうして読んでいるウェブページも入念にデザインされたものです。行間やマージンなどの余白を1mmにも満たないほど細部まで調整することがしばしばあります。それが余白が読みやすさに直結するからです。

■ 余白が余裕と強調を生む

イラストにも同じことが言えます。何も描かれていない部分、すなわち余白がイラストに余裕を持たせ、あるいは描いている部分への強調を促します。

■ 省略することで細部を際立たせる

イラストの一部を省略して描く方法があります。これはプロの絵描きたちも頻繁に用いている技法の一つです。これは時短になるだけではなく実際的な効果があります。

分かりやすい例がカメラで撮ったように背景をぼかす手法です。背景をあえてぼかして描くことで焦点が自然と人物に向かい、より印象深いイラストにしています。

■ 描かないことで膨らむイメージ

描かないことで想像力を膨らませる具体例の一つにマンガや映画のキスシーンをあげられるかもしれません。後ろ姿のみを描いたり、あえてシルエットだけにしたり、場合によっては繋いだ手と手、あるいはつま先立ちした足だけを描くかもしれません。もちろんキスそのものは描きません。それでも読者は二人がキスをしたことを疑いません。想像力が働いているからです。

キャラクターの可愛さもかっこ良さも描かないことでより強く演出することができます。ヒロインが照れたときの顔を隠して見えないようにしたり、颯爽と助けに来たヒーローの後ろ姿だけを描いたりするのです。

■ 芸術家は描くと失うものに気づいている

芸術家は描くと失うものに気づいています。最初にざっと描いたものが一番完成に近く、筆を重ねるたびに完成から遠のくような感じがする、という体験を絵描きであれば一度はしたことがあるのではないでしょうか。

私はそのことについて、詳細を描くにつれて当初の完成イメージから外れていくことに気づくから、あるいは線を整えることで情報量が減るからだと考えていました。これはあながち間違ってはいないと思います。

しかし、これはあくまで仮定ですが、言語隠蔽と同様に視認することで自分の中のイメージが固定化して、想像で補えていたものが失われていく、そんなことが頭の中で生じているのかもしれません。そして湧き上がるのは「これじゃない」という感覚です。

■ 完成は存在しない?

そう考えるとイラストは近づいても近づいても辿り着くことができない蜃気楼のように感じられるかもしれません。ある大手ゲームメーカーの重役が「ゲームは完成しないものなんです」と言ったことがあります。もしかするとイラストも最も理想的な意味での完成は存在しないのかもしれません。

創作物には妥協や当初のイメージとの違い、技術的な拙さ、時間的な制限などがどうしても入り込んでしまいます。万能の天才と呼ばれるレオナルド・ダヴィンチでさえ完成させた絵画はたったの十数品しかありません。

■ 不利なようで有利なようで

創作にはどこか不安定な状態で作っているという感覚がずっとあります。濡れた紙に錆びたペンで描くような不自由さです。ゆるんだ弓では的を射られないのと同じように絵を描くのも文章を書くのも物を作るのも皆かなり不利な条件で参加している気がするのです。

人間は創作をする唯一の生き物ですが、創作をするのに不利な生き物でもある、と私は感じています。

ゆえに人間の作るものは感動を生み出すのだと思います。完全無欠で隙のない人間は存在しませんし、仮にいたとして感銘を与えこそすれ共感は覚えにくいでしょう。絵描きは描くと失うものに気付いており、それでも描き続け、ゴールのない道を走り続けます。

■ まとめ

この記事では、描くと失われるもの、描かないことで効果を発揮するものなどについて考察してきました。そして、ここまで書いたことで最初に書きたかったぼんやりとしたイメージはどこかに消えてしまいました。たぶん創作とはそういうものなのでしょう。

それでは、良い創作を。