みがらいあ第一巻

みがらいあ第一巻 #

時空の迷い子 #

白井研究室 #

その部屋は消毒液の匂いで満ちていた。丸ゴシックで書かれた表札が控えめな主張をしている。白井(しろい)研究所。薬品棚のガラスに映る私は虚無の目をしていた。パサリと音を立てて白衣に袖を通す。私はゆっくりと室内を歩き回った。

「今日こそユートピアという名の地獄を消し去ってあげましょう」

抑揚のない平坦な独り言。虚空に向かって発した声に間髪入れず力強い返事が来る。

「おう! 全部ぶっ壊そうぜ!」

振り返ると一人の少女が拳を突き上げながら勢いよく立ち上がっていた。金色のポニーテールが揺れている。その声からは幼さを想起させた。しかし、能天気そうな表情の裏には獰猛な野獣をひそませている。

私たちはどこか似ていた。生気のない目も服装に頓着しないところも、都市を破壊しようとしていたことも。

彼女との出会いは鮮烈なものだった。私が研究の一環でスラム街に潜入したときのことである。裕福そうに見えたのだろう。彼女は私を見かけるや否や問答無用で襲いかかってきた。初対面で殴り飛ばされたことは忘れられない。お互い意地になって、ボロ雑巾のようになるまで取っ組み合いをした。彼女の絶対に屈しようとしない姿勢に感心したことを覚えている。そんな精神を見込んで助手として研究所に招き入れ、共に邁進する関係となった。

この都市には深い闇がある。意図的に作られた差別と格差が人々を束縛していた。人々は偽りの幸せを信じ込まされている。それに誰も気づかないのは、都市を支配しているのが完全なはずの人工知能だったからだ。絶対的な権力を持っても人間のように腐敗しないのである。私たちは平等な支配を受けるはずだった。奴がいなければ。

奴は近いうちに動くだろう。私たちは速やかに行動しなければならない。都市を破壊してでも、人々を強制的に退去させる必要がある。そのために虎視淡々と準備をしてきたのだ。

私はガラスで隔てられた制御室に目を移す。クリーンルームになっており、回転灯が正常な稼働を伝えていた。中央には作戦の要となる精密機械が鎮座している。これまで共に闘ってきてくれた大事な道具たちだ。

作戦は時限式で開始する。もはや誰にも止めることはできない。私はこの都市で生きてきた年月を思い、やがて消え去る存在に別れの言葉を告げた。

「あなたは第三の親であり、そして敵でした」

心は不思議と穏やかだった。

正義の執行者 #

その直後、運命に抗うかのような声が耳に届く。若い女性の叫び声だ。

「都市を壊して自分も死ぬ気なの⁉」

重厚な扉が叩き割れる強烈な音がして、殺風景なこの部屋に金属片が飛び散る音が鳴り響く。私は破損した扉に視線を落とした。足元に倒れている扉は中央が大きく凹んでいる。これには興味をそそられた。

多くの扉は鍵を閉めるときにデッドボルトと呼ばれる四角形の部品が飛び出る。蝶番がある側よりは衝撃に弱いため、強引に侵入したいならそちらを狙うべきだろう。しかし研究所の扉は機密性を高めるためにグレモンハンドルを採用しており、そのシンプルで頑丈な錠を上下につけている。強度は左右で同等程度だ。そう考えると衝撃を与えた箇所は的確だったと感心せざるを得ない。

扉の向こうには凛々しい風貌の女性が立っていた。息を切らして、悲痛な面持ちで肩を大きく上下させている。走ってここまで駆けつけたことは明らかだった。

正義の執行者。彼女はその主要なメンバーだ。本来は都市外の自警団であるが、都市の闇にいち早く気づいて乗り込んできた。彼女らとは共闘した経験もある。しかし、最終的には敵対の道を歩むことになった。私は彼女の激情に対して冷ややかに返答する。

「ユートピアは負の遺産です。私が片付けなければなりません」
「馬鹿なことは言わないで! 全部あなたが背負うなんて間違ってる!」
「話になりませんね」

首を振って一蹴した。彼女は目に涙さえ浮かべて訴えてくるが、私の心には響かない。何度もぶつけ合った議論なのだ。話が平行線で終わることはわかりきっている。多少の同情はあるが、いまさら計画を変更しようとは思わなかった。

それでも退かないのが彼女の厄介なところだ。彼女は背後に目配せをして合図を送った。すると仲間たちが一斉に雪崩れ込んでくる。彼らの動きは訓練されたものであり、瞬く間に取り囲まれてしまった。

「手荒な真似はしたくない! あなたを守るためなら何だってする! お願い! 降伏して!」

彼女の説得は無視して冷静に状況を分析する。現実的に考えて、私の力では簡単に打ち負かされてしまうだろう。彼女たちは銃火器を所持していないとはいえ、各員の練度は非常に高かった。それでも私は余裕の態度を保ちつつ、軽蔑とも取れる言葉を用いて淡々と返答する。

「私たちがこの状況を想定していないとでも思っていましたか。愚かなことです。崩壊が始まりますよ。忠告しますが逃げるなら今のうちです」

一つ目の爆発が生じ、室内が大きく揺れる。執行者たちに動揺が走る。彼女の顔にも焦りが見え始めた。彼女は悔しそうな表情をしながら、何度も訴えてくる。

「逃げろなんて言う優しさがあるなら! 私たちと一緒に来ればいいじゃない! どうしてわからないの!」
「私は罪と罰の冠を被っています」

都市を破壊しながら、のうのうと生きようとは思っていない。最も大切なものを賭けるぐらいの覚悟はできているのだ。二度目の爆発が起きる。折り合いのつかないまま時間だけが過ぎていった。

「私は絶対にあきらめないわ!」
「どうぞご勝手に」

膠着状態の二人に横槍が入る。

「取り込み中に悪いが……」

サングラスをかけた長身の男がためらいなく近寄ってきた。その足取りからは飄々とした印象を受ける。しかし、レンズの向こうにうっすらと見える瞳は揺らぐことのない決意で満ちていた。私は初めて警戒を強める。扉を蹴破ったのはおそらく彼だ。侮れない相手である。

「うちのお姫様はわがままでな。問答無用でいかせてもらおう」

その言い放った瞬間、姿が消えたと思うほど素早い動きで間合いを詰められる。とっさに白衣に忍ばせておいた試験管を女性に投げつけた。中身はただの色付きの水であるが、ハッタリ程度には使える。案の定、彼は女性を守るために動きが止まった。しかし、彼の切り替えは早かった。私との距離は五メートルといったところだろうか。彼の脚力ならば瞬く間に捕まってしまうだろう。私は後ずさるように数歩下がった。それが合図となる。男は即座に後ろに飛んだ。私との間に突如、爆発が生じたのだ。男は肩を竦める。

「やれやれ。そう簡単にはいかないか」
「当然だろぉ! このエセ外交官め!」

金髪の少女が吠えた。そして次々と爆発を生じさせる。右手に持つリモコンはフェイクだ。少女が一体どうやって操作しているのかは私にもわからない。本当に優秀な子だ。学問的な物覚えは悪いが、実戦においては天才そのものである。その才能に幾度も助けられてきた。私は正義の執行者たちにはっきりと言い放つ。

「私たちの意思は決して揺らぎません」

執行者たちが狼狽たのがわかった。研究所は私たちの砦だ。幾百にもおよぶ対策が用意されている。侵入を許したところで、易々と負けるつもりはないのだ。

しかし、意外なところから計画が崩れ始める。

特務情報部 #

「それは困るなぁ」

新たな乱入者が現れた。正義の執行者の一員ではない。えんじ色の独特の制服を身にまとった、私にとって最も厄介極まりない集団である。

「……特務情報部が出張ってきましたか」
「ご名答。主要な爆破コードはすべて解除させてもらったよ。君たちに勝利はない」

国家の諜報部隊に属しながらも、自由に活動をすることを許された精鋭中の精鋭。それが特務情報部だ。情報戦においては右に出るものはない。爆弾を解除された以上、白旗を上げざるを得なかった。

「ふぅ。お見事です」

私は両手を上げる。もちろんこれも合図である。金髪の少女がナイフを取り出し、刃先を私の首にあてた。うっすらと血が滲む。その手は全くためらいがなく、動いたらかき切るぞと暗黙のうちに伝えていた。

「なっ⁉」

執行者の女性は絶句した。情報部の面々も眉をひそめた。私が自分自身を人質にしたからだ。彼女たちが私を生きて捕らえようとしているのが明白である。私が死ねば少なくとも当面の目的が潰えるだろう。

この展開を予期していたのか、外交官と呼ばれた男だけは機会をうかがっているようだ。ここは先手を打たせてもらう。

「少しでも動いたらわかっていますね? 一瞬で取り押さえられかねないですから。両手を上げてもらいましょうか。銃火器を持たない主義が仇となりましたね」

執行者たちは渋い顔をした。やはり彼らは私たちに危害を加えるつもりはないようだ。迂闊に行動できないでいる。しかし余裕がないのは私も同じ。ここまで追い詰められるとは思っていなかった。

「これは最後の手段のつもりでしたが」
「……何をする気だ」

外交官と呼ばれた男が問う。単刀直入に答える。

「この研究所を爆破させるのですよ。都市全体に仕掛けられたものとは別のものです。さすがの特務情報部もいまさらどうにもできないでしょう。早く逃げることです。手遅れになる前に」

再び部屋が大きく揺れる。三度目の爆発だった。そして私は自分自身を人質にしたまま、ゆっくりと後退していく。そして金髪の少女と共に非常口から外に出た。私たちが去ったのを確認した執行者たちは急いで扉に近づく。しかし、慎重に開いたその場所にはすでに誰もいなかった。

時空の迷い子 #

私たちは隠し通路を歩いていた。扉の仕掛けはそうそう見破れないだろう。非常灯のわずかな光に照らされた薄暗い通路。剥き出しの鉄板が二人の足音を反響させている。通路の高さは二メートルくらいだ。外部に漏れないように秘密裏に作った通路なので、人一人がぎりぎり通れるような広さである。仄暗さの奥には鉄の柱が並んでいた。その先は暗くてよく見えない。私は振り返り追っ手が来ないことに安堵を覚える。金髪の少女が私に問いかけてきた。

「次はどうするんだ?」

私は歩きながら打ち明けるように話しかける。

「少し長い話になりますがいいですか?」
「いいぞ」

何の気負いもなく少女は返事をした。私は慎重に言葉を選びつつ語りかけた。

「時空渡航について以前に話したことがありましたね、それは不可能だと。その理由を覚えていますか。人間は一定の領域までしか物事を生じさせられない現象についてです。私はそれを事象の強制力と呼んでいます。それが世界によるものなのか、超常によるものなのかはわかりません。時間を渡航することは領域外のことであり事象の強制力が働くため、どうやっても実現ができないのです。しかし、強制力は別の方向にも働くことを突き止めました。宇宙の法則から外れたものを正そうとする働きです。これは運命とは異なります。すべての事象を最初から決定することはないようなのです。そして、これらの力の狭間に生きる人物が一人だけいました。それがあなたです」

彼女は私の言うことを理解できないでいることだろう。しかし、この言葉は後になって必ず役に立つはずなのだ。

「あなたは生まれるべき時代とは違う世界に生まれたようです。タイムトラベルをしてきたのか、最初から法則から外れていたのか。何より事象の強制力をどうやって通り抜けたのか、私にもわかりません。理解しようがないのかも知れません。しかし、あなたは今もこうしてここにいます。そして、時間を渡航するという不可能なことがあなたを元の時代に送り届けるためにだけは開かれているようなのです。事実として私はそのための装置を完成させてしまいました」

彼女は例えるなら時空の迷い子だ。誰も通れないはずの時間の通り道を遡って帰ることができる。そして帰らざるを得ない理由があるのだ。

「私はそれを使うつもりはありませんでした。あなたが強制力から見逃されているのならば、あなたが望まない限り本来の時代に送り返す必要などはないと思っていたからです。正直に言えば、私はあなたと離れたくありません。しかし、超越的人工知能があなたの特異性について気づいてたようです。事態が動き出せば私たちが捕らえられるのは時間の問題でしょう。それはどうしても避けなければなりません。すべての背後にはあの極悪非道な人物がいるからです。きっと私を人質にとってあなたを使い過去を思い通りに改変しようと企てることでしょう」

心の中には荒れ狂う葛藤があった。少女はそれに気づいているのだろう。黙って私の言葉を聞いている。私は心情を吐露した。

「あなたに多くを背負わせてしまうことに私は大きな罪悪感を感じています。一緒についていけたらよかったのに。本当は悔しくてたまりません。現実は残酷です。私はこの時代に残るしかありません」

いつまでも未練がましく話をしているわけにはいかない。目的地はもう目の前だ。

「長話をしてしまいましたね。要点を言いましょう。これからあなたを過去に送ります。わかりましたか?」
「おう!」

少女はためらいなく返事をした。

「あなたは素直でとてもいい子です。未来」

私は初めて少女の名前を呼ぶ。彼女を研究所に迎え入れる際に私が与えた名前だ。養父が私につけてくれた名前に由来している。とはいえ今後はその名前を使わないほうがいいかもしれない。時空を連想させる言葉を安易に使わせるのは危険だろう。

「過去に着いたら、らいあと名乗りなさい。過去の私はみがしと呼びなさい」
「らいあ、みが氏。うん、わかった!」

らいあという名前には素直な彼女が強く生きていけるように、みがしという名前には今の私と同じ失敗をしないようにとの願いを込めてつけた。ちなみに二人の名前を合わせて略すると未来となる。私からのささやかなメッセージだ。

今と未来 #

しばらく歩くと重厚な扉が見えてくる。取っ手や鍵穴がなく代わりに生体認証のための装置があった。指紋だけでなく声紋や虹彩、顔などの各項目がすべて認証されなければ開かないようになっている。私は所定の位置に立ちすべての認証を完了させた。すると扉が重そうな音を立ててゆっくりと開く。

部屋の中は金属のポールなものが至るところに設置されている。ポールの先端からは紫色の光が放たれていた。それらは俯瞰してみると幾何学的な模様を描いているようにも見える。私は再び少女に話しかけた。

「これからあなたを十年前の過去に送ります」
「過去に着いたらどうすればいい?」

少女の目に戸惑いはなかった。

「まずは過去の私を探しなさい。私のことは目を見ればわかるでしょう。今と同じように虚無の目をしていますから。そして、過去の私と協力して名無したちを探しなさい」
「名無し?」
「私やあなたと同じような境遇の子供たちのことです。簡単に言えば名前を奪われた身寄りのない子供たちです。そのあたりは過去の私に聞けばわかるでしょう」

私は言葉を続ける。

「あなたが送られる場所は反社会勢力の一つであるシースネークの旧アジト付近です。そこを最初の拠点にして過去の私を探しなさい。私があなたに教えたあらゆる術をもってすれば可能でしょう。私がユートピアに入ってしまう前にどんな手を使ってでも拠点に連れていきなさい。過去の私は一人で何でもできると慢心しています。その腐った性根を叩き直してやってください」
「んー、わかった!」

少女は何のためらいもなく頷く。私は彼女を中央の座席へ座るように促した。見た目は事務用の椅子とさほど変わらない。私は彼女がそこに腰掛けるのを見届けた。

私は装置のロックを解除する。間違って少女が起動してしまわないように何重にも鍵をかけたのはいい思い出だ。この少女を除けば誰も使えばしないのだからここまで厳重にしなくてよかったのかもしれない。

建物の揺れが大きくなった。爆破による揺れはハッタリにすぎない。しかし、連中がそれに気づくのも時間の問題だろう。急がなければならない。

「あなたに与える任務はユートピア計画を破綻させること。そして超越的人工知能による支配から人々を解放することです」
「ん!」
「未来……いいえ、らいあ。私も正義の執行者たちも特務情報部も反社会勢力も、最善の未来を模索しそれを掴みかけ、しかし、すべては手遅れになりました。ですが……」
「大丈夫だ! 任せろ!」

未練がましく言葉を続ける私に金髪の少女は力強く答えてくれた。私は心の底から思う。彼女ならきっと成し遂げてくれるだろうと。

私は意を決して起動スイッチを押そうとした。その瞬間、激しい痛みが頭に走る。。

「っ……!」

何者かに殴られたのかと疑ったが、振り返っても誰もいない。唐突な事態に戸惑っていると、心の中に強烈な既視感が湧き上がってきた。そして後悔という感情が嵐のように荒れ狂う。このような事態は想定していない。私は顔を上げて、不安そうにこちらを見上げる少女に向き直った。

こんなことをしている場合ではないのに。時間がないのに。私は湧き起こる感情を抑えることができなかった。後悔という二文字に背中を押されるようにして、少女を両手で力一杯抱きしめていた。腕の中の少女は突然の私の行動に戸惑っているようだった。

「あなたは、私の娘のような、妹のような、何より最高の……最高の相棒でした。年が離れていても、生まれるべき時空が異なっていたとしても、私はあなたを、心から尊敬し、愛しています。私と、私と一緒にいてくれて、支えてくれて本当に、本当にありがとう」

少女の顔が霞んで見えた。その額が濡れていた。なぜなのだろうかと辿ると、それは私の頬を伝う涙だということに気づいた。私の声は震えていた。声は少しずつ途切れ途切れになり、ついには嗚咽に変わった。ただただ感謝と愛情の言葉を繰り返した。

どのくらい抱きしめていただろうか。腕越しに伝わってくる温もりを感じるにつれ、次第に既視感と後悔の気持ちが薄れてきた。その代わりにふんわりとした安堵感に包まれる。こんな気持ちになるのは初めてだった。私は落ち着いた口調で、別れの言葉の言葉を告げた。

「どうか元気で……さようなら」
「うん!」

起動スイッチを押す。装置が最大出力を上げて稼働し、ついには少女の存在が世界から消えた。過去に跳んだのだ。本当にあっという間であっけないものだった。私は静かに目を閉じて、それからゆっくりと上方を見上げた。もちろん見えるのは部屋の天井だけだ。

この都市は古代の人々が空に一番近い場所に建造したものの延長にあるものだ。雨や太陽といった自然の恵みが空から来ることから、空に近いほうが祝福が得られると考えたらしい。そんな逸話を思い出しつつ、何となく天井の向こうの空に思いを馳せた。

先ほどの既視感について考える。もしあの既視感がなければ、私は彼女を抱きしめることはなかっただろう。そして抱きしめていなければ、後になって強烈な後悔を感じることになったのかもしれない。

私は突拍子もない仮説を立ててみた。あれは十分後の未来の自分からのメッセージだったのではないだろうか、と。根拠は何もない。ただ、私が少女に未来を託したように、未来の私が私に何かを託すということはないだろうか。過去の自分にちょっとした贈り物をするくらいはできるかもしれない。こんなことを考え始める自分のおかしさを自覚してくすりと笑ってしまった。それから振り返って扉の向こう思い描いて、こう呟いた。

「あの人たちは無事に逃げられたでしょうか?」

正義の執行者のことも特務情報部のことも心の底から憎んでいたわけではない。もしかすると私たちが手を取り合うという未来も存在しえたのかもしれない。そう思うと、今からでも何かしてやろうという気持ちにもなってくる。簡単な挨拶くらいはできるだろう。

「先ほどの既視感が未来からのメッセージだとしたら、これは差し詰め今からのメッセージですね」

面白くもなんともないジョークを口にする。ユートピアと呼ばれた都市のとある研究所で。因縁の相手にあてて嫌味でも恨み言でもなく、ただ感謝の言葉を書き綴るのは想像以上に愉快なことだった。

二人の出会い #

名無しの少女 #

私は自分の本名を知らない。物心つく前に何者かによって戸籍が抹消されたからだ。私は自分の出生に関する情報を何も持っていない。

そんな私を保護してくれたのは反社会勢力の一つであるアルカトラズのリーダーだった。彼は事実上、私の養父である。アルカトラズは絶海の孤島に拠点を構える一風変わった組織である。私はその一員として育った。ちなみにアメリカのカリフォルニア州にあるアルカトラズ島とは名前以外の関係はない。

六歳になったときに、大陸の初等中等教育学校に通えるように養父が手配してくれた。入学に必要な情報は組織の構成員が捏造したものである。実のところ連邦への入学は諜報活動を兼ねていたのだが、養父が裏切られて逮捕されたことにより計画は頓挫した。

学校はブレンダリア連邦の首都ネアトリスに設立されている。私は寮生活をすることになり六年間の教育を受けた。

教育学校で最優秀の成績を修めるとハニカムシティの市民に推薦される。ハニカムシティは首都の中心部に建造されている都市だ。一般的にはユートピアと呼ばれている。私は十二歳のときに推薦を受け、その後まもなく市民権を得た。市民権を得ることは名誉なこととみなされている。

そして今日、ユートピアに移住する日となった。季節は夏だが北地のため気温は高くない。摂氏十度前後だろうか。長袖の制服を着ている私にはちょうどいい気温だった。

私を含めた十数名が送迎バスに乗り込む。何人かの生徒の親が来ており、見送られていた。ちなみに私にはない。バスの後部座席の端に座り窓の向こうをのんびり眺めていたらバスガイドによる案内が始まった。他に何もすることがないので耳を傾ける。

バスガイドの話は地域にまつわる教養だった。こういう生真面目なところが実に連邦らしい。

ブレンダリア連邦 #

ブレンダリア連邦は極東ロシアの一部が独立してできた国だ。モンゴルの北端と中国の東端、日本の北海道の一部を含んでいる。

独立の発端は東アジアで始まった独立運動にある。東アジアの一部が独立に踏み切ったのを皮切りに国家間の緊張が激化した。それに加えて史上稀に見る災害により民衆の不満が最高潮に達し、国が乱立する異常事態となった。

一連の騒動によって誕生した国には次のようなものがある。平和的な解決を望んで集まって誕生したベル。古代中国の思想回帰を求めるジーラン。急速な近代化を推し進めるトランポストなどだ。

それぞれが異なった領地を主張していて複雑な状況になっている。そのせいか反社会勢力の活動も激化していた。私が幼少のころに所属していたアルカトラズもそのような勢力の一つである。

さて、バスガイドの話は目的地であるハニカムシティに移る。都市名の由来は土地がハニカム構造になっているからだ。都市は正六角形のタワーの屋上に建造されており、それが多数連結することによって人々が住めるようになっている。

都市の構造は少し複雑である。六角形のハニカムタワーは三つのタワーからなるトリプルタワーが六つ集まって構成されている。トリプルタワーは三つ足の椅子のような構造をしている。タワーはそれぞれの高さが二百メートル、ハニカムタワーの六角形の直径が一六〇メートル。現在ハニカムタワーは一二〇棟あり、敷地の最大直径は四キロメートルにもおよぶ。

敷地の高さは海抜一七〇〇メートル。それ以上の高さになると気流の影響が大きくなるようだ。タワーの構造物は基本的にトラス構造になっている。建材は形状記憶合金を含め、様々なものが用いられている。設計には有限要素法が用いられた。山地は強い風が吹くために、ハニカムタワーの中心には上昇気流を逃がすための穴が開いている。

バスガイドは他にも様々な説明をした。彼女は心なしか退屈そうな表情をしている。本当はもっと観光地などを案内したいのだろう。

私はガイドの説明をぼんやりと聞きながら推測する。ここまで大規模な建造がなされたのは権力の誇示のためではないかと。目の前に理想郷を置くことで、人々に夢を見せようとしているのではないかと。そうやって人々の心を掌握しようとしているのではないかと。

二人の出会い #

心地よい揺れにうつらうつらとしていて、異変に気づくのが遅れた。バスが一向に進まないので車内がざわついている。どうやら渋滞に巻き込まれたようだ。

車窓から辺りを見渡すと何やら騒然としている。往来する人々も戸惑っていた。窓を開けると怒号が飛び交っている。喧嘩でもあったのかと思ったが、時々聞こえてくる単語から爆発騒ぎがあったことがうかがえた。

最近テロが多いことはニュースで知っていた。それに巻き込まれたのだろうか。バスが動かないまま時間が過ぎる。

三十分くらい経っただろうか、ハニカムシティの職員たちが息を切らしてやってきた。彼らの話によると、都市のゲート付近で騒ぎがあったらしい。騒ぎの詳細についてはは語らなかった。心配させないようにとの配慮だろう。渋滞はしばらく続きそうとのことなので、私たちは徒歩でいくことになった。

移動の途中に休憩として公園に立ち寄る。水を飲もうとして水道場に近づくと小柄な女性の職員に声をかけられた。制帽を深くに被っており顔はよく見えないが金色の後ろ髪が光に反射している。

彼女は顔を寄せ囁くようにしてこう言った。

「付いてこい」

金色の長い髪が頬を撫でた。あどけない声。もしかすると私と同い年くらいの少女だろうか。しかし容姿に似合わない力で痛いほど手首を強く握られ、そのままグイグイとどこかに引っ張られていく。

都市からどんどん離れていくことに違和感を感じた。何かがおかしい。

「方向が間違っていませんか?」
「安心しろ。こっちで合ってる」

間髪入れずに彼女が答えた。

私は隙を見て女性職員の腕を振り払う。それから彼女と面と向かって対峙した。

辺りは往来の少ない工業地区。重機の音が鳴り響いているが、建築用の防音シートに囲まれており人目につかない。

少女が制帽をかなぐり捨てて私を見据えた。その仕草を見て状況を察する。彼女は都市の職員に偽装していたのだ。その目的が何なのかはわからないが、みすみす捕まるわけにはいかない。私は覚悟を決めた。

おそらく彼女は私より足が速い。走っては逃げきれないことが想定された。私は構えの姿勢を取る。初等中等教育学校で習った護身術だ。

金髪の少女は私を捕まえようとして迫る。とっさに間合いに入られる直前、重力に委ねるように体を落とした。右手の甲で彼女の腕を打ち払い軌道を変える。

彼女が怯んだ一瞬の隙を見て、背中に回り込み左手を掴もうとした。しかし、すんでのところでそれをやめる。彼女が私の右手を軸にするように側宙で身を躱したからだ。もし掴んでいたらひねり飛ばされるところだった。

急いで後退して間を取る。初見で見切られたのはかなり痛い。彼女を中心に円を描くように走って様子を見る。

身を低くして路傍に落ちていた単管パイプを拾う。目測でおよそ一・五メートル。私が棒術に使えるぎりぎりのサイズだ。威嚇になればそれでいい。また駆けてくるので逆手返しで牽制する。

彼女は上体を逸らして避ける。そこでかかとに石が引っかかり足をふらつかせた。私は速攻で突きを入れる。完全に入っただろう。

しかし、私の目に映ったのはパイプの先端にぶらさがっているリュックだった。まずい。まんまとフェイントに引っかかってしまった。動揺してしまい判断が遅れる。

彼女は潜るように体を低くして私に組みついてきた。腕を振り解こうと身をよじるが彼女の力は想像以上に強く、びくともしない。彼女は顔を近づけて小声で囁いた。

「警備兵に気づかれた」

私は横目で周りをうかがった。遠くではあるが警備兵たちが不審がっているように見える。万が一にでも捕まるわけにはいかない。私は戸籍を偽装しているので取り調べでもされたら捕縛される恐れがある。

それでも彼女は私を離そうとはしない。私に選択を迫っているのだ。警備兵に連行されるか。それとも彼女と共に逃げるのか。どちらが厄介だろうか。

もちろん少女と警備兵の両方から逃げたいところだが、彼女は手をがっしり握って離さないので全く隙がない。都市の職員が私を探しに来てくれることを願ったがそれは叶わなかった。

私は彼女と共に逃げることにした。

逃走劇 #

警備兵たちは私たちを不審人物と判断したようであり、捕まえるために迫ってきた。私たちは工事用のバリケードを掻い潜り、足場を縫うようにして走る。作業していた男に見つかり何事かと怒鳴られたが、結果的にいい撹乱になったのでよしとした。

隣り合った仮設ハウスの間に飛び込む。私たちのような子供でなければ入れないであろう隙間だ。屋外機の陰に身をひそめて警備兵たちが過ぎ去るのを待った。

それから工事現場を駆け抜ける。彼女は極めて自然に建材を覆う防水シートを奪っていた。過去に泥棒でもしていたのだろうか。工事現場を抜けると大型トラックが停車していた。

「車の下に乗り込め」

彼女はそう言って車両の下部に潜り込んだ。私もそれに倣う。予備のタイヤが積まれている場所があり私たち二人が入れるくらいの隙間である。砂埃やオイルが付着しており服や手が汚れる。

「これを使え」

先ほどのシートを手渡してきたので頭部を守るように敷く。その直後、車が発進した。

パイプの隙間から地面が接触しそうなほど近くに見えるため死ぬほど怖い思いをする。ちらりと少女のほうを見ると特に動揺している様子はなかった。これも作戦のうちなのだろうか。防水シートで多少緩和されているものの、タイヤが塵や小石を巻き上げて肌に当たるため乗り心地は最悪だった。

車両は止まったり動いたりを繰り返しながら都会から離れていく。エンジンの回転のリズムを聞き取って平均速度を割り出した。頭の中で一五〇キロメートルは進んだだろうと考えたころに、ようやく車が停車した。

運転席のドアが開き男が車から降りる。私たちは彼の足音が聞こえなくなるまで待った。車体の下で揺らされたひどい疲れがあるが休んでる暇はない。隙を見て少女と一緒に逃げ出した。

視界に入る瓦礫の山を横目に駆けていく。ここは廃材場だろうか。木片や鉄屑が散在していて走りにくい。足場も不安定で下手すると落下する可能性もある。注意をはらいつつ、できるだけ急いで進んだ。

彼女の後を追って轍が残る道に出る。轍は足跡がつきにくく追跡を困難にできるため好都合だ。道なりに森のほうへ走っていく。

森の道は急な勾配が続いた。草木で肌を傷つけないようにシートを外套代わりにして進む。一歩一歩が非常に重く感じた。体力がどんどん奪われる。途中からけもの道すらなくなった。落ち葉で滑りやすいので木の枝を掴んで手繰り寄せるようにして登る。

靴は泥で汚れ服は汗でびっしょりだ。幹に背をあずけて息を整えていると、少女が振り返ってこちらを見た。私と同じように息を乱しているがまだ余裕があるように見える。これでも私の運動成績は悪くなかったのだが彼女は次元が違うようだ。

湖の入り口 #

どれだけ進んだだろうか。急に視界が開け、水色の光が網膜を照らした。きらきらとした水面に朽ち果てた建造物が沈んでいる。

廃墟の湖だった。自然に帰りつつある人工物と絶え間ない水の流れ。まるで時間が止まっているかのようだ。

湖の周辺には廃棄所だった形跡が残っている。何十年か前までは廃棄所として使われていたようだ。今では木々が廃材の隙間から生いしげるほどに放置されている。そこには言いようのない寂しさと無常感が漂っていた。

この場所を知識としては知っていた。頭の中に地図を思い浮かべる。おぼろげな記憶を手繰り寄せた。この湖はかつて海とつながっていたはずである。しかし、廃材を埋立て続けた結果、湖として孤立してしまったのだ。

「十二歩進め」

彼女から指示が出る。前方には湖の中心に向かって鉄骨が伸びていた。私はその上を歩かされる。全体的に錆びておりギシギシと嫌な音がした。やがて指定された地点に到着する。

「左方向に飛び込め」

私は水面を見下ろした。水が透き通っており水生植物がゆらゆらと揺れるのが見える。ただ一点だけ底がかなり深いようだ。飛び込むのをためらっているとトンと背中を押される。私は水面に向かって落下した。水しぶきが舞い視界が青に染まる。気泡が地上に向かうのが見えた。

水を吸い込んだ衣服の重みに体が引っ張られ、どんどん沈んでいく。私は空気を求めて無我夢中に手足を動かすが、後から飛び込んできた彼女にさらに押し込まれて息ができない。

水中特有の浮遊感の中で焦燥と混乱が荒れ狂った。興奮は酸素を奪う。私は力を抜いて彼女に導かれるままにした。

すると重力による短い落下を経験した。何が起こったのだろう。

空気が満たされており普通に呼吸ができる。どうやら筒状の空間にいるようだ。頭上を見上げると天井が水面になっている。表面張力が進化してしまったかのようだ。この空間は一体何なのだろう。

この空間について興味を抱いていると彼女にさらに先に進むように促される。筒はエル字状になっており、その先にはまた水面があった。まるで水の扉だ。

「ここは何なのですか……?」
「拠点の入り口だ。水の中にあるんだぞ」

説明が不足すぎる。湖の中に入り口があるとは何事だろうか。説明の続きを促すが首を振られる。急いでるのか単に面倒くさがりなだけか。彼女は私を急かした。

「早く中に入ってご飯にしようぜ。コーラ飲むだろ?」
「……炭酸は苦手です」

彼女との距離感を掴めずに言葉を濁した。私は彼女に手を引かれるまま水に潜る。そしてまた空気のある空間に落ちた。二度目の経験だったので多少は落ち着いている。

その空間は部屋として使える十分な広さがあった。別の部屋へと続く通路もある。私がきょろきょろと周りを観察しているとふいに視線を感じた。彼女は私をじっと見ている。

「どうかしましたか?」

彼女は何も答えなかった。お互いずぶ濡れで髪や頬から水滴が落ちる。表情は読み取れない。笑っているような怒っているような不思議な表情だ。でも、何となく泣きそうな感情を抱いている気がした。彼女はぽつりと呟いた。

「ただいま」
「おかえりなさい?」

反射的に答えてしまう。あまりにも唐突な挨拶。私に対しての言葉だろうが、私ではない誰かに向けられたかのようでもある。私は彼女がなぜか寂しそうに見えて、胸が締め付けられた。

こうして二人の奇妙な共同生活が始まった。

湖の拠点 #

シースネーク跡地 #

ぶるりと肩を震わせる。水で濡れていた上着を脱いで近くの鉄骨に掛けて乾かした。水中の施設はそれほど寒くはないが、体についた水滴が着実に体温を奪っていく。シャツも脱いで絞り、それをタオル代わりにして体を拭いた。低体温症になるのは絶対に避けたい。不自由な環境下での体温低下は命の危険が伴うからだ。

持っていた予備の服はすべて濡れてしまったので、らいあが貸してくれたパーカーを羽織った。彼女も服があまっているわけではないらしく、長袖のTシャツ姿でいる。背中合わせに座って体が温まるのを待つ。早急に体温を維持できるような何かを探したほうがよさそうだ。

ぐるりと部屋を見回す。がらんとした部屋だ。全体的に白色で統一されており机や椅子はほとんどない。部屋の形は若干円形になっているようだ。部屋の壁には金属製の廃材らしきラックが並べられ、缶や道具が乱雑に置かれている。彼女を中心にして床が多少散らかっている。金髪の少女はリュックからいくつかの缶を取り出しながら私に話しかけてきた。

「ここはシースネークのアジトだった場所だ」

シースネークという組織の名前は知っている。海蛇という呼び名で知られている反社会勢力の一つだ。他の反社会勢力と比べると新しい勢力であり、その実態はあまり知られていない。そんな組織がまさか湖の中に拠点を持っていたとは驚きだ。しかし、今ここに住み着いている気配はない。どこにいったのだろうか。私の疑問を知ってか知らずか彼女はこう続ける。

「今はもっと深くに進出したらしいぞ」

海のことを指しているのだろう。確かに水深が浅い湖では発見されるリスクが高いのかもしれない。あるいはすでに見つかってしまったのだろうか。それでもシースネークに関するニュースを耳にしないことを踏まえると今でも海の奥深くで活動を続けているのだろう。

それにしても彼女はなぜハニカムシティから一五〇キロメートルも離れているこの場所を知っていたのだろう。どうしてハニカムシティに赴いたのだろうか。わからないことが多すぎる。

みがとらいあ #

らいあはしきりにアジトの案内をしたがった。ここ以外にも部屋がいくつか存在するらしい。しかしそれよりも知りたいことがいくつもあった。私は尋ねる。

「あなたは何者なのですか」

彼女がわざわざ私をここに連れてきた理由がわからない。こんな場所を拠点にしているあたり反社会勢力の一員なのだろうと目星をつけていたが、彼女の答えは私の想像とかけ離れていた。

「私の名前はみら……間違えた! らいあちゃんだぞ! 十年後の未来から来たんだ」

突拍子もない言葉が出てきた気がする。思わず聞き返してしまった。

「未来ですか?」
「未来じゃないぞ、らいあだ!」

よくわからないが自己紹介をしているようだ。話を合わせておこう。

「そうですか。私も自己紹介といきたいところですがあいにく身分は明かせないのです」
「それは知っている。だからお前をみが氏と呼ぶ!」
「みが氏? よくわかりませんが了解しました。では私もあなたのことをらいあ氏と呼ぶことにしましょう」
「それはいいな!」

私は戸籍を偽造しているので友達というものを作ったことはない。しかし、らいあとは初めて会ったとは思えないくらい親近感を覚えた。どこかで会ったことがあるのだろうか。少なくとも記憶にはない。

それよりも気になる点がある。らいあは自分が未来から来たと言った。未来人。そんなことがありうるだろうか。私の考えではタイムトラベルは不可能だ。彼女がそう言ったのはおそらく身元を隠すためのでまかせなのだろう。あるいはジョークなのかもしれない。

さらに質問を続けた。これが最も気がかりな点だ。

「らいあ氏、あなたは私に危害を加えますか。味方ですか?」
「味方だぞ。当たり前だろー」

らいあは即座に答えた。ハッタリとは思えないがいまいち信用できない。表情が読み取れないからだ。笑っているのか怒っているのかよくわからない。とはいえ純粋すぎるその発言はスパイに向いているとも思えなかった。

疑心暗鬼になっていては何も進みはしない。仮にここから逃げ出したとして、どこへいくあてもないのだ。

「お腹、空いてるだろ。これ食べていいぞ」
「……いただきます」

湖の水で手を洗ってから差し出された缶詰を受け取った。鉄製の細い棒でつつく。らいあはコーラを好んでいるようだが、私は非常用の保存水をもらった。水分さえ十分にあれば三週間は生きていける。

作戦の主導権 #

らいあがしきりに話しかけてくる。内容は取り留めのないものがほとんどだったが、いくつか興味深い話があった。未来の私が世界を危機から救うために彼女を現代へと送ったらしい。なんとも荒唐無稽な話だ。

本当に私と面識があったのであればそれを証明してみせてほしいところだ。とはいえ私に関するデータは幼少期のものはアルカトラズに知られているし、今に至るまではブレンダリア連邦に掌握されている。もし彼女が反社会勢力の一員であるならば私に関する情報を知っていてもおかしくなかった。よって、らいあがいくら証明したところで意味はない。

らいあはただ未来の私との生活について話した。一緒に料理を作って大失敗したときの話や研究の邪魔をして怒られたときの話などである。

馬鹿げた作り話だと思って聞いていたが、未来の私とやらの行動がやけに真実味があるのが気になった。確かに私ならそう行動するであろうと、自分自身の芯のようなところが反応してしまう。そして、らいあがそれを見てきたかのように話すのが印象的だった。妙な説得力がある。

未来の私はハニカムシティを破壊しようとするらしい。その話が話題に上ったとき、とっさに誰かに聞かれていないか警戒した。ブレンダリア連邦ではそういった発言をすると反逆罪で捕まる可能性がある。謀反の意思があると判断されたらたまったものではない。

らいあが私に危険な思想を植えつけようとしているのではないかと疑う。しかし直感は彼女の言っていることは正しいと主張していた。ただ彼女と一緒にいることに居心地のよさを感じてしまう自分が不思議だった。

私は養父が何度も言っていたことを思い出した。ブレンダリア連邦の知識や技術は積極的に取り入れつつも思想教育には気をつけろというものだ。もしかすると洗脳されているのは私のほうなのかもしれない。

らいあを信じるかどうかについて決定打となったのは次の発言からであった。彼女は名無しを見つけたいとは言ったものの、それをどのように行なうかはすべて私に任せるというのだ。意味がわからない。

「どういうことですか。あなたはどう行動するかを何も考えていないのですか」
「未来のみが氏がそうしろって言ったんだ。どうするかなんて知らない。知っているのはみが氏のほうだろー?」

無茶苦茶な話だ。らいあの計画、曰く立案者は未来の私らしいが、その舵取りは私に任せると言うのだ。私は思わず尋ねた。

「私の好きにしていいというのですか? では私があなたに何もするなと言ったら何もしないのですか」
「何もしない。みが氏と一緒にいられるならそれでいい」

私は頭を抱える。急に得体の知れない計画の責任者になれと言われたようなものだ。しかもらいあは私の指示にしたがうという。このような食べ物もろくにない環境においてだ。はっきり言って馬鹿げている。

とはいえ、少なくともらいあは私に何かを強制するつもりはないことはわかった。そうであれば身の安全が確保できるまで大人しくしているのがいいだろう。らいあが信頼できるかどうか確信できたら改めて行動方針を変えればいいのだ。彼女は私よりも体力があるだろうし今は勝手に行動してもらって問題ないだろう。

「では私はこのアジトで調べ物をして来ます。あなたは自由に行動してください」
「さすがみが氏! 早速作戦開始というわけだな!」
「そういうわけではないのですが」

らいあは意気揚々としている。ふと彼女が思い出したように言った。

「みが氏の棒術は懐かしかったなー。初めて会ったときも棒術だったぞ。スラム街によそ者が来ることは滅多になかったからな。金品を奪ってやろうと思ったんだ。ボコボコにされたけどなー」

未来の私は少しばかり過激なようだ。

拠点の探索 #

体が温まってきたので拠点を調べてみることにする。

探索の目的は拠点の安全確認だ。水中にある拠点なので、ほんの少しの不備が命取りになりかねない。空気はきちんと保たれているか、水漏れがないかなどを確認する必要がある。

今いる部屋は家に例えるなら玄関のような場所だ。らいあの私物だけが散らばっている。拠点に備わっていたものはほとんどないようだ。彼女が所持している飲料水や食料はこの拠点に貯蔵してあったものらしい。他のいくつかはハニカムシティに向かった際に手に入れたものとのことだ。

「らいあ氏。浄水器や火を起こす道具は持っていますか」
「持ってないなー」

こんな調子でどうやって生活していくつもりだったのだろうか。しかし、案外こういう姿勢のほうが強かに生きていけるのかもしれない。私は頭の中の調査リストに飲料水の確保と火を起こす道具の入手を追加した。

改めて施設に目を向ける。部屋として機能する空間をモジュールとして連結して作られたようだ。海中トンネルのような接合部が見受けられる。一つの部屋の広さはおよそ五メートル四方だ。それが十二部屋ある。全体的に白と黒を基調としたデザインで統一されていて近未来的な印象を受け、宇宙ステーションを連想させた。

書類やデータの類は一つも残っていなかった。当然この拠点の持ち主であるシースネークに関する情報はない。すべて持ち去ったのだろう。

とはいえ完全に手放したわけではないように感じられた。なぜなら拠点としての機能が残されていたからである。顕著なのは水の入り口や空気の循環システムだろう。

空気はどのように保たれているのだろうか。今のところ酸素が不足する様子もなく異臭などの不快感もない。施設をくまなく調べていると一番奥の部屋にマンホールのようなものがあるのを発見した。蓋を開けると梯子が下に伸びている。そこから降りることができるようだ。

そこにあったのは今まで見たどんな装置とも異なっていた。例えるならサイフォンのようなものを何百個も組み合わせたような感じだ。それぞれにどんな役割があるか皆目見当もつかない。いくつかの管には水溶液が満たされており気泡が生じてポコポコと音を立てていた。それが窒素だったり酸素だったりするのだろうか。

人の生活できる空気を発生させるだけでも驚きだが、今もこうして稼働しているのが不思議でならない。エネルギー源はどうなっているのだろうか。なぜシースネークはこの装置を残したのだろう。もしかすると装置を壊してしまうのが惜しかったのかもしれない。

そして私は水漏れがないかをチェックしていたときにそれを見つけた。

「これはもしかして浄水器でしょうか」

そこを通って濁った水が透き通った雫として落ちる様はまさしく浄水器のそれであった。空調設備の一部として組み込まれている。今は取り外して検証することができなかった。そのため浄水器として正しく機能するかは定かではない。それでもこの拠点を後にするときが来たら、これを外して持っていこうと心に決めた。

ふたりの持ち物 #

私は探索を終えて最初の部屋に戻る。

らいあが持ち物を整理していたので私が近づくと彼女はそれらを見せてくれた。いい機会なのでお互いが持っているものをリストアップする。

らいあの所持品は拾ったものと奪ったものに分類される。拠点で拾ったのが作業着と作業靴、カッターナイフ、フォーク代わりに使っている細い鉄棒、用途の不明な金属物。

奪ったものはハニカムシティに向かう途中に出会った旅行者からリュックと一日分の普段着。ハニカムシティの職員からは制服一式。建築現場からは防水シートとロープ。

もともと拠点にあったものは保存水と保存食、石鹸と歯ブラシとカミソリ、そして救急セット。救急セットには鎮痛剤と抗菌薬、包帯、バンドエイド、脱脂綿、綿棒、ハサミ、ピンセット、ワセリン、エタノールが入っていた。

私の持ち物は教育学校の制服とカバン。カバンの中には財布、ハンカチとポケットティッシュ、手鏡とリップクリーム、ノートと鉛筆と消しゴム、折り傘と裁縫セット。そして地図。

これで全部だ。

二人で防水シートに包まっていれば体温を保てる。保存水はおよそ三日分しかないが浄水器が正常に機能すれば何とか水は確保できそうだ。保存食も同じく三日分なのでいずれ現地調達しなければいけなくなる。

火はどうやって確保しようか。脱脂綿は火口に使えそうだ。リップクリームでそれを補助できる。エタノールとロープでランプが作れるかもしれない。ロープは他にも重宝しそうだ。着火するものがないので、後でライターなどが落ちていないか探してみよう。

折り傘は防水シートやロープと組み合わせれば簡易的なシェルターを作れるかもしれない。救急セットがあったのは僥倖だ。不慣れなものを食べて体調を崩したり、山道でつまずいて怪我をするかもしれない。

そこでふと素朴な疑問が湧き上がる。

「未来のものは持ってこられなかったのですか」
「持ってこれなかったんだ」

彼女が言うにはタイムトラベルをしたのち、気づくと裸の状態でこの施設にいたらしい。それから拠点からツナギの作業着を見つけて着用し、活動を開始したとのことだ。

もうひとつ、らいあが拾った用途の不明な金属物について質問する。

「これは何ですか」
「んー? こんなの拾ったっけ?」

らいあは首を傾げた。どこかで紛れ込んだのだろうか。

「触ってみてもいいですか」
「もちろん」

私は装置を手に取る。金属のひんやりとした感触がした。入出力の端子はない。モニターもない。大きさはライターくらいだ。文鎮か何かだろうか。調べてもわからなかった。

今日できることはやり終えたように感じる。疲労感でくたくただ。

防水シートが乾燥したようなので、二人でそれに包まって目を閉じる。床が固くて寝付けないだろうなと考えているうちに意識は夢の中に落ちていった。

塹壕ラジオ #

方角 #

水の音で目を覚ました。なかなかできない体験である。光を水が反射して部屋の中に朝日を招き入れていた。らいあはすでに起きていた。そして寝起きの私を連れていく。私たちは昨日と同じように水中の入り口を通って外に出た。

空に昇る太陽が眩しい。気温は摂氏十五度くらいだろうか。少し肌寒い。水に濡れていたため余計に体温を奪われる。拠点に出入りするたびにびしょ濡れになるのは億劫だ。風邪をひかないように気をつけなければいけない。

私は辺りを見回した。今日は落ち着いて見ることができる。湖の水は長い間放置されていたために透き通っており、鉄骨などの廃材が湖の底から水面の上へと突き出ていた。それらがいくつも重なって幻想的な空間を作り出している。

方角がわからないので調べることにした。

まず一メートルの振り子を作る。私が持っているノートはISO・B5サイズだ。縦の長さが二十五センチメートルなので四つ並べると一メートルになる。重りには六角ボルトを使った。長さが一メートルになるようにロープをカッターナイフで切る。

次に一メートルの鉄棒を垂直に突き立てる。ロープを使ってそのぐらいの長さの鉄棒を探した。地面に立てたのち、影の先端に印をつける。ナットが山のように落ちていたのでそれを使った。

らいあに振り子を振ってもらい、時間を測る。往復にかかる時間はほぼ二秒だ。これを定期的に振ってもらってできる限り正確に時間を数える。そして、十五分経過した時点の影の先端に二つ目の印をつける。

こうしてできた二つの点を結んで線にし、最初の点に左足で二つ目の点を右足で踏む。北半球なので体が向いているほうが真北になり、反対側が真南になる。これでほぼ正確な方角を得ることができた。

周りには廃墟と化した建物も残っていた。鉄筋が剥き出しになったコンクリートの建造物は廃材所の主要な施設だったのかもしれない。崩れかかった煙突が斜塔のように立っていた。重機のようなものも見つかる。半分以上が水に浸かっているために何の機械かはわからないがかなり古いものだろう。

水の流れが静寂を際立たせていた。廃墟の多くには植物が侵食しており苔に覆われているものもある。一体どれだけの月日が流れたのだろう。廃材を包み込むような大木がいくつもあった。悠久の時を感じる。

一つ疑問が生じる。なぜ連邦はこれほどの施設を放棄したのだろうか。連邦にとっては単なるごみ捨て場くらいの認識だったのだろうか。それとも秘匿されている何かがあるのだろうか。

情報が足りない。そのことを痛感する。どんな作戦を実行するにしても最初の段階としての情報を集める手段が少ない。私はらいあに尋ねた。

「現時点で外部の情報を得る方法はありますか」
「ないなぁ」

お互いの持ち物を把握しているのでそれはわかりきっていたことだ。せめて連邦で使われていた通信技術があれば様々な情報を検索することができるのだが、今はない。当然のことながらシースネークの拠点にも通信機器はなかった。

周辺の探索 #

すぐにはいい方策が思いつかなかったので、とりあえず拠点の二人で周辺を探索することにした。希望的観測かもしれないが役立つ道具が落ちているかもしれない。私は廃材の山に目を向けた。長い年月を経て風化した鉄骨が積み上げられている。

「加工さえできれば鉄には困りそうにないのですが」

鉄を溶かすことのできる溶解炉を所持しているはずがなく、鉄を切断するための溶断器も持っていない。そうであれば鉄は廃材のままである。鉄以外にはコンクリートや石屑、かなり朽ちた木材などが散乱していた。

別の山に目を向けると箱型の機械が堆く積まれていた。らいあはその中から一つの箱を持ち上げて、ためらいなく地面に叩きつける。カバーが破損して内部が露出した。中を覗き込む彼女に問いかける。

「何か見つかりましたか?」
「こんなものがあったぞ」
「それはコイルですね」

大きさからして変圧器に使われていたものだろう。少なくともこの機械が電気的な装置だったことがわかる。状態のいいものはおそらく残っていないだろうが、探せばいろいろな部品が見つかりそうだ。

機械の山を一通り見たのち、廃墟となっているコンクリート建造物や捨てられた重機なども探ってみた。もともとの用途として使えるものはなかったが、何らかの道具や材料になりえそうなものはいくつか見つかる。らいあもいろいろなものを拾っていた。

私はふと水面から高く伸びている鉄塔に目を向けた。これは何のための塔なのだろう。送電塔だろうか。それとも電波塔だったのだろうか。決定打となる痕跡が残っていないので判別が難しい。鉄塔について思いを巡らしていたところで、ふと情報を得るための一つの方法を思いつく。

「ラジオを作るのもいいかも知れませんね」

私の技術ではせいぜい簡易的なものしか作れないだろうが、試してみる価値はありそうだ。もしラジオを作れれば重要な情報源となりえる。

「じゃあ私は爆弾を作ろう」

らいあがいきなり物騒なことを言い出すので思わず凝視した。爆弾といえば思い出すものがある。

「私が最初に連れ去られたときにも爆発が起きていました。もしかしてらいあが引き起こしたものなのですか」
「そうだぞ。爆弾はらいあにお任せだ!」

彼女はあっけらかんとして答えた。もし死傷者が出ていたらどうするつもりだったのだろうか。彼女の考え方はテロリストのそれに近い気がする。さすがにこのまま彼女と行動を共にしていいものかと逡巡した。

しかし私はいったん冷静になろうと努めた。軽はずみに彼女を悪者のように考えるのはよそう。現代と未来では倫理観が違うのかもしれない。らいあの話によれば未来の私は都市を破壊するという思想を持っている。その助手であった彼女の考え方が隔たっていてもおかしくはない。

今の私たちは共闘関係にある。指揮権を委ねられているとはいえ、お互いの考え方を確認し合う必要はありそうだ。もっとも私自身が真っ当な考え方をしているとは思えない。何が正義で何が悪なのかさえよくわかっていないのだ。

正義といえば、正義の執行者という組織が未来の私たちと敵対するらしい。その組織は現在も存在しているのだろうか。すでにハニカムシティに潜入しているのだろうか。もし敵対組織が存在しているのであれば私たちに危害を加える可能性がある。

今の拠点がいつまでも安全とは限らないのだ。早急に情報を得なければならない。私は鉱石ラジオに使えそうな材料を集めて拠点に戻った。一方らいあはもう少し使えそうなものがないか辺りを探索してくるそうだ。

塹壕ラジオ #

私が作ろうとしているのは塹壕ラジオだ。戦時中に兵士が娯楽のために作ったものらしい。半導体などの電子部品を使わないため拾ったものだけで作ることができる。私はラックを机の代わりにして工作を始めた。

細かい作業をするのは好きだ。幼少期にアルカトラズの機械を勝手に分解してしまい養父を困らせたことを思い出す。養父は今どうしているだろうか。釈放されただろうか。もし養父と連絡を取ることができたら強力な助けを得られるかもしれない。

塹壕ラジオは鉛筆とカミソリにいわば半導体の役割をさせることで動作させる。今回はカミソリの代わりにカッターナイフを使うことにした。他にアンテナとコイルを作るための銅線、鉛筆の芯に結合するための安全ピン、チューニングをするための二ミリメートル単線、コイルを巻くための木材を用意する。

作業に熱中しているうちにらいあが帰ってきた。彼女は拾ってきたものを私に披露する。その中には硝酸アンモニウムが含まれていた。工業用の爆弾にも使われる発泡スチロールの粒のような形をした物質である。どうやら彼女は本気で爆薬を作る気のようだ。できれば私から離れて作ってほしいところである。

しばらく作業を続けて完成に近づいたころ、私は重大な見落としにようやく気づいた。塹壕ラジオの音声を出力するためのクリスタルイヤホンがない。あまりの初歩的な失敗に意気消沈しているとそれに気づいたらいあが声をかけてきた。

「何かあったのか」
「クリスタルイヤホンを忘れていました」
「そうなのか! 探してくるぞ!」
「いや、別に私が……」

自分で何とかしようとする前に彼女はいってしまった。一人になった私は反省する。優先順位を間違えてしまった。今の私はサバイバルをしなければならないという感情に捉われてしまっている。運良くラジオが見つかったらそれを使おうというくらいの気持ちでよかったのかもしれない。

気持ちを切り替えるのに時間がかかった。失敗は次にいかせばいい、私はうまくやれている、落ち着いていこうと何度も自分に言い聞かせた。ようやく気持ちが上向きになってきたところにらいあが帰ってきた。

「あったぞー! みが氏!」
「本当ですか!」

彼女が差し出してきたのは間違いなくクリスタルイヤホンだ。他のものと間違えたということもない。イヤホンが落ちていたのだから通信装置も落ちているのではないか、などとはもう考えなかった。

「私がいるからな」

らいあは私の目をまっすぐに見つめて言った。

「私がいるから」
「はい」

具体的なことは何も言わなかった。

でも、彼女の気持ちは伝わった。私は側にいる、もっと頼ってほしいと。らいあは少し前に私のことを味方だと言い切ったのを思い出す。彼女をもっと信頼していいのではないだろうか。私の彼女に対する認識が少し変わった気がした。

試作機 #

何度かトラブルはあったものの無事に塹壕ラジオの試作機が完成したので動かしてみることにした。

拠点の中では電波がうまく拾えない可能性があるためいったん外に出る。出入りでラジオが水に濡れないように防水シートで包んで保護した。それでも多少濡れてしまったが壊れていないことを願う。それから二人で電波の拾いやすそうな場所を探した。

高いところに登ると遠くがより見える。今朝の段階で現在のおおよその位置については見当がついていた。しかし、改めて鬱蒼とした森が延々と続くのを見ると、無用心に森に入ろうものならすぐに迷子になってしまうことが容易に想像できた。拠点が使えなくなったときのために森の方面へ進出することも念頭に置いているが今はまだ危険が大きいだろう。

一方らいあは塹壕ラジオに興味津々である。準備が完了するのを待ちきれないといった様子で私を急かした。

クリスタルイヤホンからの出力はきちんと動作しているようで、ザーザーというノイズが聞こえてくる。この原始的なラジオで受信できる周波数があるだろうか。この地域に電波が飛んでいるのだろうか。試してみなければわからない。

しばらく周波数の調整を試みたが、なかなか受信できるところが見つからない。らいあは焦れたように私に代わって調整し始めた。やはりというべきかうんともすんとも言わない。

らいあが急にラジオを叩こうとしたので止めようとしたが間に合わなかった。まさか未来では機械は叩けば直るという荒療治が推奨されているのだろうか。将来が心配になる。

「お? 何か聞こえたぞ!」
「本当ですか!」

クリスタルイヤホンを耳につけると微かながら音声が聞こえてきた。 『……ちら、天気は……』

私とらいあは顔を見合わせる。彼女は得意そうな顔をした。多少むっとしたがすぐに気持ちを切り替える。今重要なのは受信した音声のほうだ。かなりノイズが混ざっているが集中すれば聞き取れないこともない。

情報部放送局 #

ラジオの音声は次のようなことを言っていた。 『天気はすごい晴れてるなー。太陽の匂いがする。たぶんいいことがある。明日は雨かー。晴れのほうがよかったな。あったかいし。天気のコーナーは以上。情報部放送局でした』

随分と間延びした声である。らいあのそれに似ているかもしれない。それよりも気になることがある。

「情報部放送局と言っていました」
「そうなのか?」
「らいあが言っていた特務情報部のことでしょうか」
「わからない。でも関係があるかもしれないな」

ラジオ放送はそこで終わってしまった。いつ再開するかはわからないので周波数を固定して次に備えることにする。少なくともラジオ放送が受信できることがわかった。ラジオの情報を入手できることで可能性が広がる。定期的に確認することにしよう。

らいあの話によれば、未来の私たちが行なった計画を破綻させたのが特務情報部である。それだけでも相当な技術力の持ち主であろうことは推測できた。先ほどの情報部放送局との関係は定かではないが、特務情報部が現在も存在している可能性はある。もし私たちと敵対するとしたらかなり厄介になるに違いない。

らいあは心なしか喜んでいるようだ。彼女はふいにこう言う。

「これで名無しも探しやすくなるかもしれないな」
「名無しですか?」

そういえば前にらいあは名無しを探したいと話していた。少し気になる。

「らいあ氏」
「どうした?」
「名無しを探すのはあなた個人の目的ですか?」
「違うぞ。未来のみが氏に言われたんだ」
「私に?」
「そうだ。みが氏と二人で名無しを探せって」

これは初耳である。私はてっきりらいあの個人的な目的だと思っていた。しかし、名無しを探すというのが未来の私からの指示だとすれば、行動方針が大きく変わることもありうる。

もっと早くに説明してほしかった。文句の一つでも言ってやろうと思ったが、説明されていてもいなくてもこれまでの行動に差はなかっただろうと考えて思いとどまる。行動が変わるとしたらこれからなのだ。

もし、名無しを探すとしたらこれからどうすべきだろうか。名無しというのは名前も戸籍も抹消された人々だ。政府も把握していないので探すのが非常に難しい。私自身について考えるとそれが真実であるということを裏付けている。私は名無しであるがそれを知っているのは養父の他にいない。

養父であれば名無しに関する有益な情報を持っている可能性がある。しかし現在はメンバーに裏切られて逮捕されているようだ。会うのは難しいだろう。しかし養父のことだ、今頃は脱獄しているかもしれない。どこかで接触できないものだろうか。

地道な調査を続けていくということも大切だろう。例えばできるだけ多くの文献などから情報を得ることだ。そうするためには本がたくさんある場所にいくか、通信機器を使えるようにしなければいけない。聞き取り調査も有効かもしれないが一般人が名無しに関する情報を知っている可能性は低いだろう。

ここまで考えて改めてらいあに向き直る。お互いの考えや認識にずれが生じないように情報を共有する必要性を感じたからだ。未来の私の指示をきちんと把握する必要がある。私は真剣な態度で提案した。

「らいあ。未来の話を聞かせてくれませんか。情報を共有しましょう」

情報の共有 #

らいあの話をまとめるとこうなる。

未来の私は研究所の所長であり、らいあは未来の私の助手として働いていた。二人は親子のような関係だったが、それでも互いのことはよき相棒だと認識していたそうだ。

私の性格に未来と現在で大きな違いはないらしい。同一人物なので当たり前の話だ。とはいえ以前の話にも含まれていた通り未来の私は都市を破壊しようとする。らいあはそんな私の計画に協力していた。

未来の私たちが戦っていた相手は正義の執行者、特務情報部、連邦軍といった具合である。反社会勢力の介入はなかったか尋ねたが、彼らは私たちとの抗争には参加しなかったそうだ。

彼女はそれぞれの組織について説明した。

正義の執行者はハニカムシティに乗り込んできた外部の組織である。彼らの主張は中立の立場から正義を模索するというものらしい。正義の執行者のリーダーをらいあは『エセ外交官』と呼んでいた。非常に高い戦闘力を有しているがそれ以上の人物が在籍しているらしい。できれば遭遇したくない相手だ。

特務情報部は国家の精鋭部隊である。その情報力は未来の私たちも認めており、彼らと情報の売買をしたこともあるという。もともとは敵対的な関係ではなかったが都市を破壊する作戦には反対して敵として立ちはだかった。切れ者揃いの集団であり敵に回すと非常に厄介だとらいあは話す。

連邦軍はブレンダリア連邦の軍のことである。その規模と殺傷力の高い武器が脅威であり、さらにサイバー関連の攻撃が非常に強いらしい。未来の私たちは情報を掴ませないように苦心していたそうだ。

加えて未来の私は黒幕のような存在と闘っていたらしい。この点についてはらいあはほとんど情報を持っていなかった。私にはどうにも胡散臭く感じられる。敵対関係が一気に不可解なものになり未来の私の行動に矛盾が生まれるような気がしたからだ。しかし今は情報を共有することを優先する。

私も自分の知っていることをらいあに話した。

私は幼いころにアルカトラズのリーダーに引き取られて育った。アルカトラズは絶海の孤島に拠点を持つ反社会勢力の一つである。アルカトラズは自然の要塞があるため防衛力が非常に高いのが特徴だ。物資の面では不利ではあったものの、敵を撃ち落とすための砲台や船もいくつか所持している。養父でもあるリーダーは部下の謀反により捕まった。

アルカトラズが特に警戒していたのはシースネークだ。この湖の拠点からもわかるようにシースネークは水中に陣取る特殊な反社会勢力である。海での戦いを得意としているためアルカトラズにまで攻撃がおよぶ危険があった。新しい組織であり常識に縛られない斬新な戦略が特徴的である。

他の主要な反社会勢力にはビーストテイル、ジッパーアント、ブラックバードが挙げられる。

ビーストテイルは荒野に拠点を構える一番大きな組織である。野獣のような気性の荒さで知られ力で圧倒していく豪快さが特徴だ。個人の戦力が一番高いのもビーストテイルである。

ジッパーアントは神崎重機というフロント企業を持つ技巧派揃いの集団だ。アリのように弛まず働き着実に勢力を広げている。らいあと取っ組み合いをしたときの工事現場にも神崎重機が関わっていた。

そして一番謎に包まれているのがブラックバードである。神出鬼没であり拠点がどこにあるも知られていない。カラスのような真っ黒な装束で唐突に現れるのが特徴だ。養父は一般の人々に紛れて生活している可能性について語っていた。

私が話したのはここまでだ。

これから行動する上で私たちの情報は武器になる。私とらいあが持っている知識は一般人が知り得ないものだ。特に未来の知識は切り札となるだろう。

朽ちた鉄塔の上で #

じゃがいも発電 #

次の日。らいあは朝早くから水と食糧の確保に動き出した。そして私は気づいてしまう。サバイバルにおいて私が役にほとんど立っていないことに。

彼女はスラム街で育った経験から生き抜くための勘が働くらしい。現代人のほとんどは水が飲めるか飲めないかの判別ができない。しかし彼女はそれができるという。食べ物についても同様だ。私は全くできないので彼女に任 せるしかない。

私にできることといえば無駄に体力を消費しない程度に周辺を調べるくらいだった。火を起こせるものや身を守るもの、情報になりえるものなどが落ちていないか探しながら歩く。

ラジオなどの通信機器が落ちていてくれたら嬉しいが電源はどうすればよいだろうか。

使用可能な電池が見つかれば一番早いが、残念ながら見つかったのは劣化して使い物にならなそうなものばかりだった。それでも念のために拾っておく。大きめのバッテリーも見つけたが重たいので今は持っていかなかった。

発電して電力を得ることについても考えてみる。いくつか思い浮かんだ中で私にも作れそうなものは磁石とコイルで電磁誘導を発生させるものと銅と亜鉛と塩水によって電気を得るものだ。

電磁誘導のほうはコイルがすでにあるため磁石さえ手に入れば作ることができそうだ。磁石はよく使われる部品なので探せば見つかるだろう。例えばスピーカーだ。とはいえ懸念点が一つある。電磁誘導から得られるのは基本的に交流電流だということだ。私の電気知識では交流回路を考えることができない。

銅と亜鉛と塩水で得られる電気は直流だ。塩水の他にも果物を使うレモン電池などが知られている。他に有力そうなのがじゃがいも電池だ。茹でたじゃがいもであればレモンの十倍の電気を得られるらしい。問題は亜鉛がないことだ。

電池には亜鉛が使用されているが溶けてボロボロになっている可能性が高い。私は努めて亜鉛が使われているものを思い出そうとした。しかし、思い浮かぶものは亜鉛を含んだ合金ばかりだ。私は首を振って考えるのをやめる。切り替えが大事だ。

そこでふと廃墟の瓦礫となっているものが目に入った。トタンである。私の記憶が正しければトタンは金属の表面を亜鉛でコーティングしたものだ。もし状態のいいものが残っていれば亜鉛板の代わりとして使えるかもしれない。

私はふと思い立って先ほどのバッテリーのところに戻る。それからバッテリーをショートさせてみた。火を起こせるかどうか試すためである。結果は不発だった。

森の入り口 #

らいあはまだ帰ってこない。

私は湖で水浴びをして体の汚れを落とすことにした。それから衣類を水洗いして干す。湖の水は澄み切っているが飲み水には使えないらしい。着る服は選べないので教育学校の制服に戻った。

それでもまだ時間がありそうだったので森の入り口のほうまでいってみることにした。

湖全体は廃墟と化しておりすこぶる足場が悪い。足を滑らせないように気をつけながら錆びついた地面をゆっくりと歩いた。進むにつれて足場が金属から土や木の根っこや岩などに変わっていく。湿気が多いため木々や岩は緑がかっていた。苔についた水滴がきらきらと輝いている。

森の入り口。そう呼んでいいのかわからないが、一番足の踏み入れやすそうな場所へ向かった。森の中は生いしげった木々の葉で光が遮られて時間帯がわからなくなってしまうほど暗い。入り口の付近には枝や木の実などがまとめられていた。らいあが集めてきたのだろうか。

らいあの行動には迷いがない。未来でサバイバル術を学んできたのだろうか。私が知っているサバイバルの知識のほとんどは救助があることを前提としたものだ。しかし私たちの状況は異なる。逃げ隠れしながら生き延びていかなければいけない。そういう点ではらいあのように積極的に動くのは正しい対応なのかもしれないと感じた。

しばらくここで待っていると、らいあがいろいろなものを抱えて帰ってきた。背中のリュックもパンパンである。何を持っているのかと思えばベリーや食べられる野草などを見せてくれた。それに加えて魚まで獲ってきたのには驚いた。どうやって捕まえたのだろう。

らいあのリュックには木の棒に鉄を括り付けた簡易的な斧がぶらさがっている。彼女は道具を有効活用する術を持っているようだ。もしナイフやバールといった道具を見つけたら彼女に持たせたほうがいいかもしれない。

それから彼女は嬉しそうに報告した。

「洞窟があったぞ。使えそうな鉱石もあったし、後は水源も見つけた」
「何と言うか……すごいですね」
「だろー?」

素直にそう思った。失礼な表現かもしれないが彼女は未来からやってきたというよりも、石器時代からやってきたといったほうがしっくりくるほどサバイバルに長けているように見えた。彼女はリュックの中から麻袋をいくつか取り出して満足そうにこう言った。

「これでまた爆弾が作れる」

また硝酸アンモニウムでも見つけたのだろうか。できれば軽い振動で爆発するようなものは作らないでほしい。もしかすると彼女の見つけた洞窟は鉱石の採掘場だったのだろうか。そうであれば爆薬が残っていたとしてもおかしくはない。

朽ちた鉄塔の上で #

それから二人で拠点のほうに戻ってきた。らいあが設置していたラジオのほうに目を向けてこう尋ねる。

「今日は何か受信できたか」
「いいえ」
「じゃあ、あの鉄塔の一番上にいってみようぜ」
「あそこですか」

その鉄塔は火の見やぐらか竪坑やぐらのようだった。長年の浸食により少し傾いているが、土台はしっかりしているように見える。

らいあは鉄塔に近づき梯子を叩きだした。安全を確認しているのだろう。両手で持って体重をかけたり揺さぶったりしている。彼女は大胆な行動が目立っていたが実際は慎重な性格なのかもしれない。らいあは安全を十分に確認したのちに梯子を登り出した。行動してからはためらいがない。彼女が手招きするので私はそれに続いた。ラジオを脇に抱えて梯子を登る。

鉄はだいぶ錆びており表面はざらざらとしていた。手のひらに錆が付着して汚れる。高いところが苦手というわけではないがギシギシと音を立てる古い建造物を登るには多少の勇気が必要だった。下は見ないようにする。

高さは二十メートルくらいだろうか。てっぺんまで登るとらいあが柵に背中をあずるように座っていた。私は柵に掴まりながらゆっくりと近づく。それから彼女の前にラジオを置いた。

イヤホンから聞こえるのはノイズばかりだった。とはいえを何らかの電波を受信しているらしく一瞬だけ音が聞こえることがある。私が調整に手間取っていると彼女がまたラジオを叩こうとしたのでとっさに守る。その反動で調整が大きく変わり、音声が流れ始めた。さすがに二度目ともなると意図してやっているのではという疑惑が出てくる。彼女は天才なのだろうか。

鉄塔の上にいたためか昨日よりも明瞭な音声が聞き取れた。音声の主は昨日とは別人だと思われる。私は耳をすまして聞き取れた内容を口頭でらいあに伝える。

「一週間に渡って続いていたビーストテイルとジッパーアントの抗戦は政府が介入したことにより一時的に鎮まりましたが、ビーストテイルの勢いは止まらず一般人にも被害が広がっているようです」

どうやら反社会勢力の動きが活発化しているようだ。

「次のニュースです。世界人工知能連盟が超越的人工知能の試験が最終段階を通過したと発表しました。東京都の池袋会館で最初のデモンストレーションが行なわれる予定があるとのことです」

超越的人工知能が最終段階を通過したのはしばらく前の話である。この放送からわかるのはブレンダリア連邦が情報を規制しているということだ。どのようなデモンストレーションが行なわれるのかは純粋に気になる。

野うさぎ #

ラジオを聞いている最中にらいあは呟いた。

「この電波はどこから来ているんだろうな」

今のところ他の放送局の電波は受信していない。最後まで聞いたが、やはり情報部放送局を名乗っていた。この電波はどこから発信されているのだろうか。

発信している内容にも不可解なものを感じる。昨日は天気についての放送だったのに対し、今日は反社会勢力や超越的人工知能などの社会的なニュースだった。

「まるで私たちが聞いていることに気づいているみたいですね」

口に出した言葉は思いの外しっくりくる。ピンポイントで私たちの欲している情報を流してきたからだ。考えれば考えるほど嫌な予感しかしない。

そのときである。

「誰かが来た」

らいあが小声で忠告した。私の位置からは確認はできない。らいあは親指を立てて、そののち二本の指を立てる。おそらく男性が二人という意味だ。微かだが足音も聞こえてくる。かなり慎重に行動しているようだ。一般人ではないことだろう。

私たちは彼らの視界に入らないように伏せるようにして隠れる。男たちは廃墟の周りで何かを探しているようだった。こちらに気づいている様子はない。

しばらく息をひそめ続ける。湖の拠点には気づかなかった。興味がないだけかもしれないが、どちらにしても彼らがシースネークの成員であるという可能性は低いだろう。

私は鉄骨が想像よりも老朽化していたことに気づいていなかった。身を隠そうと体を隅に寄せた重みで鉄塔の一部が欠けてしまう。金属の崩れる音がした。

「誰だ!」

男たちがこちらに注目した。二人の足音が少しずつ近づいてくる。一歩、また一歩と。心臓の音がやけに大きく感じられる。そして鉄塔の間近にまで来たところでガサガサと動く音がした。男たちの声が聞こえる。

「……野うさぎか?」
「みたいだな」

何があったのかはわからないが彼らは鉄塔に興味を失ったようだ。少しずつ足音は離れてゆき、やがて二人の足音が完全に消えた。どうやら廃墟から出ていったようである。私は深いため息を吐いた。らいあが身を起こしながら言う。

「保険が役に立ったな」
「あなたが用意していたのですか」

らいあが鉄塔に野うさぎを仕込んでおいたようだ。いつの間に用意していたのだろう。驚くほどの危機回避能力だ。

彼らが何者なのか気になるところだが、まずは対策を練る必要がある。

「いったん拠点に戻りましょう」
「そうだな」

私たちは足音を立てないように慎重に拠点に戻った。

森へ #

「逃げたほうがいい」

らいあが言った。彼女の言い分はわかる。先ほど男たちが現れたことによって状況が変わったからだ。何の理由もなく廃墟に来たとは思えない。この周辺に止まれば再び遭遇する可能性が高まるだろう。

「今からでも動こうぜ」
「待ってください」

とはいえ拠点を離れるリスクも無視できない。逃げている最中に遭遇してしまう危険があり、またどこに逃げればいいのかがわからない。

「どこか拠点にできそうな場所に思い当たりはありますか」
「うーん。洞窟かなぁ」

そういえば彼女は洞窟を見つけたと言っていた。

「悪くない案です。長期の潜伏には向いていると思いますか」
「向いてないだろうな」

同感だ。暖を取るために火を起こしたら、見つかるリスクが高まってしまう。ではどうすればいいだろうか。拠点の確保と逃走を繰り返すしかない。

「まず洞窟に向かってから川沿いに下流に進むというのはどうでしょう」
「いいんじゃないか」

拠点を自力で確保するサバイバル生活を覚悟しなければいけないようだ。

「らいあ氏。これから洞窟の様子を見にいきませんか」
「すぐに移動したほうがいいと思うぞ」
「それもそうなのですが……」

自衛以外に気になっていることが一つある。

「ラジオの件があります」
「どういうことだ?」
「放送が私たちを知っているような内容だったのは覚えていますよね」
「もちろん」
「彼らが私たちを認知していると仮定した場合、さっきの男たちは別のグループである可能性が高いのです」
「そうなのか」
「そこまで気づいている人物が野うさぎに釣られるとは思いませんから」
「なるほど」

らいあは得心したように頷いた。

「みが氏は連中が敵かどうかを知りたいわけだな」
「そうです。理解が早いですね」

もし敵が一組なのと二組なのでは大違いだ。私はすべき行動を頭の中でまとめる。

「洞窟方面を探索して準備をしましょう。それから明日、放送の時間帯が過ぎたらすぐに移動しましょう」
「おう!」

日が暮れる前に往復しなければいけない。私たちは急いで荷物をまとめ、森の方面に向かった。

洞窟での遭遇 #

木々の背丈がそれほど高くないことや幹が細いことを踏まえると、森の年齢は数百年くらいだと推測できた。比較的若い森である。

案の定、森の中は非常に歩きにくかった。地面に傾斜があり枯れ木や草や石があるというだけなのだが、平らな道路を歩くことに慣れきっている私にはなかなかの肉体労働である。草に関しては丈の高い草はあまり生えていない。地面を覆う苔に苦戦している私を他所に、らいあはどんどん先にいってしまう。

私は歩くのに必死ですっかり方角がわからなくなってしまった。しかし、らいあに迷っている様子は見られない。彼女は方向感覚が優れているのだろう。少しだけ羨ましく思う。

しばらく歩くと地面の石が目立つようになってきた。昔は道があったような痕跡も見受けられる。図鑑でしか見たことがない鉱石もいくつかありテンションが上がった。それに比例するように息も上がる。道がどんどん険しくなってきたからだ。

そしてついにらいあの見つけた洞窟が見えてきた。入り口は想像していたよりも大きい。その荘厳さは穴が人工的なものではなく自然が形作ったものであることを証明していた。

らいあについていくようにして中を覗いてみる。入り口の光が差し込み、鉱石がそれを反射して幻想的な空間を生み出していた。

少し進んでみると人が作業していた痕跡が残っている。洞窟の用途はわからないが何らかの鉱石を削り出していたのはわかった。

地面には石がごろごろあって想像以上に歩きにくい。また急に穴が狭くなっている箇所もあり慎重に進む必要があった。特に縦穴は落ちてしまう危険がある。

洞窟はほんの少し奥に進むだけでどんどん空気が冷えてくる。地中というのはこんなに寒いものだったのか。私は薄着だったこともありぶるりと身震いをした。

それなりに進んだところで彼女はふいに足を止める。らいあが呟いた。

「誰かいる」

ここまで洞窟は一本道だった。すぐに引き返すべきだ。しかし、らいあは苦い表情をした。

「……やられた」

奥にも前にも誰かがいる。コツコツと硬質な足音が洞窟内に反響する。私のものでもらいあのものでもない。嫌な汗が頬を伝う。私は必死に解決の糸口を探そうとした。

挟み撃ちになるのは避けたい。どちらかを選ぶべきだ。奥はおそらく一人。入り口のほうはおそらく二人。攻めることだけを考えれば奥にいくべきだ。だが、私たちだけでどうやって打開すればいいのか。

「私が出る」

覚悟を決めたのだろう。らいあは自分の持っていたリュックに手を伸ばし、何かを手にした。彼女が日頃から爆弾について話していたことを思い出す。まさか洞窟内で爆発をさせるつもりなのだろうか。

らいあが駆け出すのと奥の人物が動き出すのは同時だった。

次の瞬間、彼女の強烈な回し蹴りを繰り出していた。しかし、私の目に映ったのは片手で軽々と受け止める男の姿だった。

らいあは足を下ろしながら、私に見せたことのない烈火の如き視線を男にぶつける。彼女はいまいましげにその名を叫んだ。

「エセ外交官め!」

ギブアンドテイク #

外交官と呼ばれる男 #

「初対面のはずだが」
「抜かせ!」

外交官と呼ばれた男は疑問を口にするも訝しむような様子は見られない。対してらいあのほうは完全に頭に血が上っているようである。これほど険悪な仲だったのか。未来の事情を詳しく知らない私は戸惑うばかりである。

余裕の表情で見下ろす男と怒りの形相で睨みつけるらいあ。気味が悪いほどに温度差のある沈黙を破ったのは外交官のほうだった。その視線はなぜか私に向けられている。

「状況をよく見ている。だが後一歩足りない」
「耳を貸すな! みが氏!」

らいあは男の言葉を遮ろうとした。この男は未来で最も厄介な敵対関係になる人物らしい。彼女の反応は正常だと言える。とはいえ現在の関係は不明だ。情報を聞き出す必要がある。それも入り口の男二人に遭遇する前に。

「……どういうことですか」
「お前たち二人は洞窟の奥にいる俺と、入り口のほうにいる奴らに挟まれていた。足音から察するに奴らは二人だろう。それでまず一人のほうを制圧しようとした」

らいあは苦虫を噛み潰したような表情をしている。まるでこれから何を言われるのかを知っているかのようだった。

「決して悪い考えではないが、もう少し全体を見たほうがいい。視点を変えるだけで策が増えるぞ。例えば俺の視点を考慮してみるとかだな」

そこまで聞いて彼の言わんとしていることを理解した。私は言葉を紡いだ。

「なるほど。あなたからすれば敵は四人。一対四はどう考えても不利。でも四人は二人ずつ敵対し合っていた。それならばあなたとしては私たちが勝手に消耗するのを待つか、私たちを取り込んで三対二に持ち込むのが得策というわけですね」

彼は満足げに頷いて肯定する。

「見事だな。そしてこっちの金髪のお嬢さんはそれに気づいていた。だからこそ後ろ手に隠しているものを使って俺を制圧しなかった」

らいあに目を向けると思いっきり歯ぎしりをしていた。彼女の私情はどうあれ、共闘しようとした相手が宿敵だったということになる。聞かれたくなかったわけだ。らいあには悪いが選択肢は一つしかない。

「乗りましょう」
「物わかりがよくて助かる」

外交官は近づいてくる男たちの影に目を向けた。

「俺が不意打ちで一人を相手する」
「そして囮になっている間にもう一人を私たちが、というわけですね」
「満点だ」

私たちは岩陰に身をひそめ、相手の視線が外れるのをぎりぎりまで待った。そして二人の視線が見当違いの穴に向かった瞬間に外交官が飛び出す。

「敵襲だ!」

そう叫んだ男はとっさに銃口を外交官に向けるが、即座に組み伏せられて弾が天井に外れた。乾いた銃声が洞窟内に響き渡る。もう一人が援護射撃を試みようとするが、仲間を盾にされて判断が遅れた。そして思わぬ横槍に舌打ちする。

「ちっ!」

私たちは男に向かって投石をしていた。致命傷は与えられないが銃火器を持つ相手に今できる反撃方法は石を投げるくらいしかない。私とらいあは投げてすぐ岩陰に隠れるというのを繰り返す。耳を擘くような銃声が響き、弾丸によって岩が削られた。男は傷を負いながらも一歩、また一歩と近づいてくる。

男はだんだんと投げつけられる石に慣れてきたのか、うまく防いでいる。私たちが同年代に比べて鍛えているとはいえ、武装した大人には敵わないのか。後、ほんのもう少しで射程圏内に入る。

コツ、コツ、と靴音がして死の宣告が近づいてくる。

その足元にコロンと何かが転がった。

「⁉」

男はそれを撃たなかった。彼は即座に距離を取る。それに合わせるようにらいあが岩陰から姿を現した。彼女は手のひらで転がしていたうちの一つを洞窟の奥に投げつけた。途端に爆音が響き渡り、地面が揺れた。それに被せるようにしてらいあが吠える。

「撃てるもんなら撃ってみろ! 全員道連れだ!」

おそらくらいあが所持している爆弾は一個だけ。しかし彼女の迫真のハッタリは十分すぎるほどに効いた。少なくとも外交官の存在を忘れさせる程度には。一瞬の隙で十分だった。外交官は武装した男の背後を取り、腕をひねりあげて即座に制圧した。もう一人の男はすでにロープで拘束されている。

私はその様子を見ながら身震いをした。らいあから外交官と呼ばれる男が厄介な相手であることは聞いていた。しかし実際に見るとその凄まじさが伝わってくる。どう見ても対人戦のスペシャリストだ。未来の私たちはこんな化け物と渡り歩いていたのか。

外交官は男の拘束を終えると、立ち上がって私たちに尋ねた。

「いまさらなんだが、こいつらは何者なんだ?」
「知りません」

私は制圧された武装集団に目を向ける。手足と口を塞がれてもなお、その目はまだ攻撃性を失っていなかった。正直なところ、早く立ち去りたい気分である。

そこでふいに外套に隠れていた胸元の紋章が目に入る。そのエンブレムには動物の尻尾が描かれていた。それは凶暴で攻撃的なことで知られる反社会的な勢力の一つ。私は思わず口にしてしまった。

「……ビーストテイル」
「ほう」
「!」

嵌められた。外交官と呼ばれるような男がビーストテイルを知らないわけがない。まんまと情報を引き出されたのだ。らいあがこの男を嫌う理由が少しだけわかった気がする。

ビーストテイル #

思わず呟いてしまったのは失態だった。それを外交官が聞き逃すはずもなく私に問いかけようと口を開く。しかしそれより先にらいあが私を庇うように立ちふさがった。男は肩を竦めて言う。

「そんなに警戒するな。敵対するつもりはない」
「お前に信用なんてない!」

彼女の威嚇は男には通用しなかった。その一言だけ告げると再び私に顔を向ける。

「俺は反社会勢力について興味があってな。知ってることを教えてくれないか」
「そんなことは自分で調べろ!」
「もちろん報酬を支払おう。金でも何でも」
「この口達者が!」

相手は曲がりなりにも外交官と呼ばれるような人物だ。言葉で言いくるめられるのは目に見えている。私はこういった状況は想定していたが思ったよりも早くカードを切ることになってしまった。

「ギブアンドテイクは交渉の基本です。まずあなたが私たちに何を与えることができるのかを提示してください」

そう言うと男は五秒ほど私たちを見て思案する。それからまるで最初から答えを用意しておいたかのように流暢に話した。

「ふむ。君たちは訳ありだろう。例えば、何かから逃げている途中だったとかだな。だとすると……護衛などはどうだろうか。多少は戦力になると思うが」
「情報には情報を与えるべきではありませんか」
「すまないが腕は立つとはいってもこっちのほうはからっきしなんだ」

そう言って頭を指差し男はとぼけた。冗談にも程がある。頭が回ることを見せつけておいて何がからっきしだ。一つわかったことは外交官は反社会勢力などについての情報を口にすることはないだろうということだ。

交渉は決裂か。いや、相手が話さないつもりなら、こちらも同じ土俵に立つまでだ。

「あなたの言う通り私たちは訳ありです。しかし、あなたが情報を報酬としないのであれば、私たちに関する情報も明かせません。それでもいいですか」
「ああ、もちろん構わない」

これはもともと明かすつもりはなった。しかし、あえて制限を加えたように見せることで少なくともこちら側の警戒心を伝えることができる。案の定、外交官は改めて数秒考えてからこう提案した。

「お前たちが望むなら、身分を隠してベル国に入国させよう」
「!」

まるで言葉の爆弾だ。要約すると密入国をする手伝いをすると言ってきたのだ。そんなことがありうるのだろうか。それができてしまうのが外交官と呼ばれる男なのだろうか

「少し彼女と相談してもいいですか」
「存分に話し合ってくれ」

私たちは外交官と距離を取り、相談する。

「らいあ氏。彼の言っていることは信頼できますか?」
「みが氏」

らいあは真剣な態度で私の顔を真正面から見た。

「私はあいつが嫌いだし、信頼もできない。でも、みが氏のことは比べ物にならないくらい信頼してる。みが氏が決めろ。私はそれにしたがう」

それはらいあの気持ちに関係なく私の判断で決めていいということである。私の頭の中はどう交渉するのかが完成していた。

「わかりました」

私は外交官のほうに戻る。

「話はまとまったようだな」
「おかげさまで」
「私たちの与える情報についても提示しておきましょう。一つの前提として私はブレンダリア連邦の教育を受けています」
「ブレンダリア連邦か」

男は少し意外な顔をした。おそらく彼ならこの話に興味を持つだろう。そして思った通り彼はは何かに気づいたように。

「なるほど。ブレンダリア連邦の情報は徹底的に秘匿させられている。まさかビーストテイルについても学ばせていたとはな。つまりお前は連邦で教えられたビーストテイルに関する情報を話してくれるというわけだな」
「そうです。あなたの提示したものと釣り合いますか」
「オーケー。交渉成立だ」

ギブアンドテイク #

「この話は一年前に聞いたものです。現在進行形でどうなっているのかはわかりません」

前提をのち交渉材料となる情報を伝える。リスクが高いのでフェイクを混ぜることはしなかった。後から調べられて追求されたらたまらない。私が伝えたのは概ね次のような内容だ。

「ビーストテイルは反社会勢力の中で最も強い勢力とされており、暴力沙汰も厭わない攻撃的な集団です。人数的な規模も最も大きいと教わりました。これは先生の予想ですが十万人以上の巨大な組織だそうです。人の住み着かないような荒野を拠点にしていることが多いらしく、ジーラン国に属する旧モンゴル領の南部から旧中国領まで続く荒野に今までで最も大きいアジトが発見されました。ビーストテイルは徹底的な実力主義を貫いていて優秀であれば年齢や性別を問わず幹部になれます。実際に子供がスパイ活動をしていたり女性が隊を指揮したりしている姿が目撃されています。幹部は中国の幻獣である九尾にあやかって九人いるという噂がありました。それぞれの幹部の指揮下に隊があり、そこから枝分かれするように分隊が組織されているようです。構成員の中にはスラムの子供たちや孤児などから引き取られて強く育てられた人々も多くいるため、貧民層からはむしろ好かれているとの話も聞きました」

外交官は黙って聞いていた。私が一通り話し終えると、納得したように頷く。

「なるほど。情報提供に感謝する。ところで、これは護衛をするうえで最低限聞いておきたいことなんだが、お前たちはビーストテイルに狙われているのか」

難しい質問ではない。しかし、私たちに関する情報は一切話さないという条件があった。さて、どう切り返したものか。いくつかの返答を考慮して、ここは正直に話したほうが得策であることに気づく。

「わかりません。ですが、これだけは言っておきます。私は政府の組織や反社会勢力などのどこかに属しているということはありません」

それを聞いて男は感嘆したような表情をした。彼は遠巻きに反社会勢力に属しているのか、将来的に戦うことになるのかを聞いていたのだ。

「よくこちらの質問の意図を理解できたな。そうか。それはよかった。仮に反社会勢力の一員だとしたら護衛して手助けした後、いつか敵対するかもしれないなんて気分が悪いしな」

しかし、残念ながら未来では敵対関係になっている。

外交官はすっかり気を失っている拘束された二人を見下ろしながら話を続ける。

「護衛はすぐに必要か。俺はこいつらを突き出す必要があるから、最短でも明日からになる」
「最速で頼みます。しかし私たちには連絡を取る手段がありません」
「ならこれを使え。使い方は何となくわかるだろ」

そうやって外交官は通信用の機器を私に渡しながらこう言った。

「名前を名乗っていなかったな。俺の名前は芹川(せりかわ)一也(かずや)だ」

男の言葉の流れで私たちも軽く自己紹介をする。

「みがです」
「らいあだ」

らいあはやや不貞腐れながら、はっきりと自分の名前を言った。外交官は私の顔とらいあの顔を交互に見てから言う。

「みがにらいあか、いい名前だな。じゃあ必要になったら呼んでくれ」
「待ってください」
「うん? 忘れ物か」

まだ一つやり残したことがある。

「そこの二人の所持品、私たちが分捕ってもいいですか」
「お前たちが……?」

男は虚をつかれたような顔をしたのち爆笑した。

「ハッハッハ! 分捕りの許可を求められたのは生まれて初めてだぞ! お前たちのしたいようにしろ。ただし、銃はだめだ」
「弾丸もですか?」

私の言葉に反応したのはらいあだった。びっくりしたようにこちらを見ている。

「好きにしろ。もう他に質問はないよな。じゃあ後日また会おう」

そう言って男は去っていった。

私たちは外交官が十分離れたのを確認したのち深いため息をついた。

「あんなのが私たちの敵なのですか。どう見ても化け物じゃないですか」
「うーん?」

彼女は珍しく首をひねっていた。

「未来でもずっと敵対していたからな。少なくとも私の記憶の中では、あいつはずっと敵だった。でも今がどうなのかっていうのはよくわからない」
「そうでしょうね。敵対せずにいられるのなら、そうしたいところです」
「私は散々苦戦させられたし、一泡吹かせてやりたいけどな!」
「一人でやってください」

私がやれやれと首を振っているとらいあが声をかけてきた。

「みが氏。さっきの弾丸ってもしかして」
「らいあ氏の爆弾作りの役に立つかもと思いまして」

私は弾丸をらいあに渡した。弾丸からは火薬を得ることができる。らいあは上機嫌な声を上げた。

「ありがとな!」

そんな彼女に水を差したくはないのだが、らいあにとっては実に都合の悪い話が一つある。

「らいあ氏。先ほどの外交官ですが、ものすごい譲歩していました」
「うん?」
「真っ先に思い浮かぶべきことでしたが、ビーストテイルの情報を聞き出したいのなら武装していた二人に吐かせればいいのです。あの男には容易いでしょう。しかし、ビーストテイルの情報を得るということのために護衛を申し出た」
「うがー! あいつめ! 馬鹿にしやがって!」

らいあが憤慨するのも無理がない。彼が自力で手に入れることのできた情報をわざわざ私たちに話させることによって護衛を受けられるようにした。つまり彼のしていたことはギブアンドテイクという皮をかぶった単なる慈善事業なのである。私たちはまるで子供扱いだ。

そんな気持ちがもやもやすることもあったが、空が茜色になる前に私たちは拠点に帰還する。幸いなことに帰りの道では何も問題は起きなかった。

戦利品と敵の情報 #

拠点に戻ったのち、明日に向けて急いで支度を備え始める。

ビーストテイルの男二人から分捕ったものは軍用ポンチョ二着とナイフとファイヤースターター、そして弾薬だ。ここで火起こしの手段を得られたのは大きな意味を持つ。弾薬については早速らいあが分解して爆弾に仕立てているようだ。洞窟でらいあに助けられたことから、爆弾に対する恐怖心が若干和らいだ気がする。

私は防水シートをカバンに改造する作業に着手する。ポンチョを得たことにより簡易的なシェルターの役割を代用できるようになったので、あまった防水シートを有効活用しようというわけだ。

作業を進めながら先送りにしていた問題について考える。それはビーストテイルと外交官がなぜあの洞窟にいたのかということについてだ。偶然とは思えない。意味もなく来たということはないだろう。何らかの目的があったはずだ。

彼らの目的は一体なんだったのだろう。可能性を思い浮かべてみる。シースネークの痕跡を探していたとか、あるいは洞窟がビーストテイルの拠点の候補だったとかだ。最悪のケースは私たち自体がターゲットになっていた場合だ。とはいえ、私たちが襲われる理由が弱い。ありうるとしたら私たちがこの拠点を使用していたことでシースネークの一員だと勘違いされているパターンだ。

「どうしてこうも敵の情報ばかり集まってしまうのでしょうね」

私はぽつりと言葉を零す。らいあが外交官と呼んでいた男は未来で正義の執行者というグループに所属していたらしい。洞窟で銃火器を持った相手を制圧していった様子を思い出して気が重くなる。

「あんな化け物と渡り歩くことを考えると頭痛がします」
「あれでも正義の執行者の主戦力ではないぞ」

らいあの口からさらっと聞き捨てならない台詞が飛び出してきた。

「あれで主戦力ではないというのですか。正義の執行者たちは人間を止めているのですか」
「そういえば人間を止めているような奴が一人いたな。熊みたいなやつで電車を持ち上げて放り投げるような奴だ」
「考えたくもありません」

さすがに電車を持ち上げるというのは比喩表現だろうが、想像を絶する戦力を有していることを覚悟しておくべきだろう。とはいえ、あんな化け物たち相手にどうやって対処すればいいというのだろうか。頭は回るし腕も立つ。少なくとも今の私たちでは力不足であり下手に刺激しないのが得策に思えた。私が敵の脅威について考えているとらいあが情報を補足する。

「でも一番やばいのはあの女だ」
「あの女? それは誰ですか」
「正義の執行者の、あー、そういえば名前は知らない。でも、とにかくみが氏を執拗に追いかけてきたぞ。最後の最後まで噛みついてきて本当に厄介だった」
「何ですかそれは……ストーカーですか?」
「かもな」

どうも頭の中の会いたくない人のリストが増えていくような気がした。考えるだけで気が重くなる。頭を切り替えるようと彼女に気になっていたことを尋ねてみた。

「そんなチート集団相手に未来の私はどうやって抵抗していたのですか」
「他の勢力をうまく誘導してぶつけていたな」
「なるほど」

実に私らしいやり方だ。少なくとも今の私は自ら攻撃を仕掛けるようなことはしない。敵が勝手に消耗してくれるならそれでいい。らいあが思い出したように付け加えた。

「そういえばビーストテイルに腕っぷしであいつに負けない奴が何人かいたな」
「聞きたくなかったです」

あいつとは外交官と呼ばれている男のことだろう。

「思い出した! 腕っぷし一つで隊長に上り詰めた女! あの女は名無しだぞ」
「そういう重要なことはもっと先に言ってください」

こんなところで最初の名無しの情報を得るとは思わなかった。よりにもよって怪物じみた力の持ち主だという。未来の私は名無しを集めるように命じたようだが、その女を仲間に誘うのは当分はやめておいたほうがよさそうだ。

決死の逃亡 #

折句 #

次の日。日が登る前から私たちは行動を開始していた。

もうこの拠点に戻ることはないだろう。私は浄水器を取り外して荷物に詰めた。可能な限り私たちの痕跡を消す。それからすべての持ち物を背負い外に出た。

ラジオの電波が届くまでぎりぎりの時間まで待つつもりでいたが、恐ろしいほどあっさりと放送を受信する。まるで私たちの行動を監視されているようだ。

内容は何気ないニュースに思えたが不自然な言葉の区切り方からそれが折句であることに気づいた。句の最初の一文字をつなげて読むと文章になる言葉遊びである。メッセージの内容はこうだ。 『連邦軍接近。あじよしで待つ』

あじよしという未知の単語が気になったが疑問はすぐに氷解した。放送の最後にこんな宣伝が入っていたのだ。 『世界一おいしい煎餅屋さんは何だろな。あじよし、あじよし、だよー。おばあちゃんの焼いたパリパリもちもちおいしいお煎餅。食べ始めたらやめられなくなーる』

最初の放送で聞いた間延びした声だった。もはやこの放送が私たちに向けられたものであることに疑いの余地はない。

煎餅屋についても気になるが、緊急に対応すべきなのは連邦軍が接近しているという報告についてだ。少なくともいいニュースではない。どこから私たちの情報を入手したのかはわからないがすぐさまこの場を立ち去るべきだ。

「急ぎましょう、らいあ氏!」
「わかった!」

私たちは湖の拠点を去り、洞窟の方面へと駆け出した。バックの中から連絡をするために外交官からあずっていた通信機器を使用する。早朝であったがすぐにつながった。 『よう! みが坊とらいあ坊だったな!』

昨日とは違い親しみを感じさせる声が聞こえた。私は手短に要件を伝える。

「ええ、護衛をお願いしたく」 『了解、今向かっているところだ。場所はあの洞窟でいいか?』

「お願いします。それから……」

連邦軍が接近している旨を伝えるべきか否か逡巡した。そこでふいに疑問がよぎる。彼は何と言っただろうか。今向かっていると言った。なぜこちらが連絡する前に動いているのだろうか。私がしばらく無言でいると相手のほうが先に踏み込んできた。 『連邦軍が近づいているんだろう?』

「なぜそれを?」 『説明は後だ。一時間以内に着く。それまで何とか逃げ延びてくれ』

「わかりました」

通話はそこで終了した。口調が昨日よりもずっと友好的に感じた。気を抜くと未来の敵対関係を忘れてしまいそうになる。そこがまた恐ろしく感じた。しかし今は当面の脅威に注意をはらうことにしよう。

「一時間後には到着するようです」
「ふん!」

らいあの機嫌が悪い。相変わらず外交官が嫌いなようだ。できれば会いたくないのだろう。とはいえ、そうも言っていられない状況なのは彼女も理解しているようであり、それ以上の文句は言わなかった。

決死の逃亡 #

洞窟に向かい始めてすぐにその音に気がついた。軍用ヘリの音が近づいてくる音である。それは湖の付近で止まり、何人かの軍人がロープを使って着陸を試みていた。見間違いでなければ彼らは連邦の軍服を着ている。嫌な予感しかなかった。

それはらいあも同じだったらしく私たちは目を合わせて頷く。木々の茂みに身を隠しながら一心不乱に走った。軍人たちが廃墟をして私たちの痕跡を見つけるのは時間の問題だろう。かつてなく緊迫した状況に肝が冷えた。

私のほうはブレンダリア連邦の出身ということになっているので見つかっても保護される可能性があるが、らいあのほうはわからない。連邦軍が私たちのことをシースネークの一員とみなしていたら投獄されてしまうだろう。そうなれば命の保証もない。絶対に捕まるわけにはいかなかった。

一度通った道だからか昨日よりはスムーズに進むことができた。私は息を切らせて走りながら彼女に尋ねる。

「洞窟で待つべきだと思いますか?」

昨日の段階では洞窟で待つという予定だった。とはいえ連邦軍は追跡にも熟達している。わずかな痕跡から私たちの居場所を見つけ出すことだろう。足跡などはある程度カモフラージュできるかもしれないが訓練された警察犬などの探知方法を所持していたらどうしようもない。洞窟で待機していては連邦軍に追いつかれる可能性が高くなる。

しかし、どこに逃げたところで見つからない保証はどこにもない。何より私たちを護衛するという外交官とすれ違うのは避けたい。私の葛藤を他所にらいあは短く答えた。

「逃げたほうがいい」
「なぜですか?」
「何となく」

理由はなかった。とはいえ彼女の勘は無視できない。ラジオの件などで彼女の直感には何度か助けられた。私は答えの出ない問答を捨ててらいあの直感に頼ることにした。迷っている暇などない。

「行きましょう。先導してください」
「任せろ!」

私たちは南の方角に進んだ。森の中は非常に歩きにくい。そのうえ重い荷物も背負っているので、何度もつまずきそうになった。らいあは悪路に慣れているようで動きが軽やかだ。

らいあは逃げるのと同時に追っ手の対策もしていた。わざと行き先と違う方向に木の枝を曲げたり足跡のフェイクを残したりして追跡を困難にするようにして進む。

「川がある。渡ろう」

私は彼女に手を引かれる形になった。膝まで水に浸かりながら川を渡る。水は足跡や匂いの痕跡を残さないため追っ手を撒くのに有効だ。

基本的に遭難したときは川沿いを下るのがセオリーとされている。しかし、らいあはそうはせず目的地を決めているかのように迷いなく進んだ。

「らいあ氏。私たちはどこに向かっているのですか」
「橋を探してる」

そう答えた彼女の意図をすぐには理解できなかった。

川を越えると道が急に険しくなる。終わりのないように思えた起伏を越えると森林地帯を抜けた。視界が開ける。常識的に考えれば敵に見つかりやすい危険な場所だ。どこかに隠れることは難しいだろう。砕けた岩で形成された山地をしばらく走ると徐々にそれが見えてきた。

「あった!」

それは非常に深い谷だった。恐る恐る近づくと下は切り立つような崖になっている。足が震えるがそれが恐怖からなのか疲労からなのかもはや判断がつかない。ここに落ちたら命はないだろう。

そして、そこには錆びついた鉄橋が架けられていた。レールの残骸も残っている。らいあはためらうことなく橋に近づいた。私もそれに続く。

らいあはリュックの中から筒状のものを取り出して鉄橋の支点となっている箇所に設置した。間違いない。爆弾だ。そこからロープを伸ばしてその先に火をつける。

「走るぞ!」
「はい!」

らいあが叫んだ意味は説明されなくてもわかった。絶対に転んではいけない。慎重に、しかし全力で走った。五十メートルほどの鉄橋を駆け抜けた数秒後、爆音が轟いた。爆風が頬を撫でる。橋を構成していた金属が深い谷に落ちていくのが見えた。一瞬でも遅れたらと思うと冷や汗が流れる。

この爆音は敵に知られるリスクを高める。らいあは早まった行動をしたといえるだろうか。爆発から一分も立たないうちに軍人が到着したことにより、彼女の判断が正しかったことが証明された。すぐそこまで私たちは追い詰められていたのだ。その軍人は今はただ落ちた橋を見つめている。

最悪の事態は免れたとはいえ、もたもたしているわけにはいかない。しかし。

「痛っ……」
「みが氏! 大丈夫か!」
「わかりません……足がかなり痛みます」
「骨折か⁉」
「折れてはいないと思いますが……」

爆発に巻き込まれなかっただけ幸運だったが、あまりに急いでいたせいで転んでしまい足を痛めてしまった。おそらく捻挫だろう。

「大丈夫です……行きましょう。らいあ氏」

ここは足を引きずってでも逃げる場面だ。正直なところ、この足でどこまで逃げられるか見当もつかない。それでも大丈夫だと自分に言い聞かせた。まだ選択肢はある。あるはずなのだ。私は自分を叱咤して無理に立ち上がろうとする。らいあは珍しく焦ったような様子で私を見ていた。しかし、らいあは首を大きく振って両手で自分の頬をビシッと叩く。彼女は決意したような様子ではっきりと言った。

「ここで待とう!」
「正気ですか?」
「そうだ」
「ああ、なるほど」

らいあの意図がわかった。当初の予定では私たちは洞窟で待つことになっていた。しかし状況が変わって逃げることになった。外交官はどうすれば私たちの居場所に気づくだろうか。この爆発がいい目印になる。らいあは外交官がこの爆発に気づくことに賭けているのだ。

「わかりました。待ちましょう」

私がそう答えると彼女は私を支えて大岩の陰まで連れていってくれた。後は一刻も早く外交官が見つけてくれることを願うのみだ。

非情なことに連邦軍の対応はあまりにも早かった。橋が壊されたと知るや否や、すぐにヘリを飛ばしてきた。この辺りに私たちが隠れていることはわかっているだろう。付近に着陸するつもりなのだろうか。そうなればもう対処しようがない。

ところが軍の行動は想像を絶するものだった。軍用ヘリがまっすぐこちらを向くように旋回して極めて恐ろしいものをこちらに向けた。

「ミサイルを打ち込むつもりか⁉」

さしものらいあも驚愕をあらわにした。私はただただ絶望の声を漏らす。あのヘリに搭載されているのは対戦車用ミサイルだ。それが発射されればすべてが終わる。私は死を覚悟した。

亡命 #

「借りるぞ」

外交官の声がした。ピンと風を切る音がして硬質な何かがヘリの後方に直撃する。直後に爆発が生じた。テールローターが損傷してヘリはバランスを失い照準がずれる。パイロットが一瞬だけ意識を外した。その隙に見事な投擲を決めたであろう人物によって私は抱きかかえられ森の奥に連れていかれた。らいあも遅れずについてくる。

どうやら外交官はらいあの爆弾を投げたようだ。おそらく強い衝撃で爆発するタイプの爆弾である。一瞬でその性質を見抜いて寸分違わぬ精度で投擲した男の技量に戦慄した。らいあのほうはというと、自分たちが助かったことの安堵と、勝手に爆弾を使われたことの憤りがごちゃまぜになっている。

私は外交官の脇に抱えられているという情けない状態のまま愚痴を零した。

「遅かったのではありませんか。依頼を追加しますよ」
「洞窟にいなかったのはそっちだろう」

こんな状況にもかかわらず軽口を叩き合う。外交官が向かった先にはベル国の軍用トラックが停車してあった。私は放り込まれるように運転席の隣の席に座らされ、らいあが私の隣に飛び込んですぐに急発進した。発進の反動で私の体が浮きそうになるのをらいあがとっさに押さえる。外交官はそれを横目にしつつもさらに速度を上げて言った。

「運転は荒いから気をつけろ。舌を噛むなよ」
「車の運転にはその人の本性が現れると聞きますが」
「緊急事態だ。我慢してくれ」

トラックが木の根っこや石を乗り越えるたびに車体が大きく揺れる。そのたびに体が浮き上がりそうになるがらいあが抱き寄せるようにして私を捕まえていてくれた。それと同時に外交官に対する威嚇も見せる。私は体をどこかに打ち付けないようにしばらく頭を守っていた。

外交官がハンドルを大きく左に切りながら私に尋ねる。

「大事なことを聞き忘れていたが、どこに向かえばいい?」

私は少しの間、逡巡する。外交官はベル国に入国させると言っていたが目的地については述べていなかった。そして私はベル国についてはあまり知らない。そこで一つだけ気になる場所を思い出した。

「あじよしを知っていますか?」
「ああ、知っているぞ」

意外な回答だった。放送によれば煎餅屋ということだったが有名な場所なのだろうか。あるいは情報部放送局として知られているのだろうか。

「それはベル国にあるのですか?」
「うむ」
「ベル国には後どれぐらいで着きますか」
「このままかっ飛ばして一時間半といったところだ」

彼は前を向いたまま続ける。

「ところでみが坊、足を怪我しているだろう。どこか適当なところで手当てをしてやる」

らいあが噛みつかんばかりに威嚇していたが、私の容態を心配しているのか何も言わなかった。私としても痛いのはどうにかしたい。結局、森を抜けた辺りで路傍に停車し、その間に湿布を受け取りらいあに貼ってもらった。

私はトラックの中での会話を警戒していた。重要な情報を引き出される危険があるからである。可能ながら相手の情報を聞き出すことができればいいのだが、そちらにはあまり期待していなかった。

外交官が飄々とした口ぶりで世間話を始める。

「昨日お前らに会ったことを妹に話したんだがこってり怒られてしまってな。何ですぐに保護しなかったのかと説教されたぞ。しかも今日は期間限定の幻のシュークリームを買ってこいと無茶なお願いをされてしまった。手ぶらで帰ったらさぞかしおかんむりだろうな」
「随分と仲がよろしいようですね」
「昔は可愛かったんだがな。全くうちのお姫様はいつのまにこんなにわがままになってしまったのか」

うちのお姫様という言葉にらいあが反応した。私もその様子を見て思い出す。らいあの話に出てきた私のストーカーのような女の話だ。正義の執行者のメンバーの一人であり私を執拗に追い回していたという。会話の流れからしてその女がこの男の妹である可能性が高くなった。

「お前たちにとても会いたがっていたぞ。今度見つけたら絶対に連れてこいとか紹介しろとか。まだ会ってもいないのに随分と気に入られたな」
「それはどうも」

もう目をつけられてしまっているのか。頭が痛くなりそうだ。その女には申し訳ないが絶対に会いたくない。

「どうも捨て猫を見つけると放っておけない性格らしくてな。今じゃうちは動物園だぞ」
「私たちは犬猫ですか」
「おっと、これは例え話だぞ」

挑発されているのか冗談なのかがわからない。おそらく後者だろう。今のところ敵視されていないだけよしとしよう。できれば敵対することなくやり過ごしたいところだ。

会話をしつつも車は順調に進む。トラックは軍事施設を連想させる大きな門に近づいた。おそらくここが国境検問所だ。警備隊が周囲を監視している。私とらいあはポンチョで頭を覆い、外から見えないように体を低くした。

検問官がトラックの運転手を見ると、すぐに通行の許可を出した。らいあはエセ外交官と呼んでいたが、もしかすると本当に外交官という地位を得ているのかもしれない。難所だと思っていた地点をあっさりと通過してしまった。

こうして私たちはブレンダリア連邦を離れてベル国に亡命したのである。