世界観のルーツ

この記事では、私たちが持っている世界観がどこからきたのか、そのルーツを探していきます。それでは世界観をめぐる旅に出かけましょう。

目次

  • 人々を魅了する世界観
  • 世界観とは
  • 目に見える世界
  • 目に見えない世界
  • 日本の世界観
  • 世界から見た日本の世界観
  • 現代日本から世界観のルーツを辿る
  • 無力感の世界|自然災害
  • 神も仏もいない|天皇崇拝と終戦
  • 神のない世界|進化論と哲学
  • 神道|日本の宗教
  • 神道|和を大切にする宗教
  • 神道|様々な宗教と和合してきた
  • 神道|自然崇拝と祖霊崇拝
  • 初代天皇についての推測と伝承
  • 中国の世界観
  • 中国の歴史
  • 中国の宗教|儒教・道教
  • 儒教|礼を重んじる教え
  • 道教|自然と一体になる
  • 儒教と道教が日本に与えた影響
  • 仏教|中国や日本に伝わる
  • 仏教|インドで始まった宗教
  • 仏教|悟りの宗教
  • 仏教|多くの学派がある
  • ヒンズー教|複雑で難解な教え
  • ヒンズー教|非暴力とカースト制度
  • ヒンズー教|カルマの教理
  • ヒンズー教|神・魂・地獄
  • ヒンズー教|アーリア人の移住
  • 古代イランとバビロニア
  • ゾロアスター教|ペルシャの宗教
  • バビロニアの歴史
  • バビロニアの宗教
  • 古代メソポタミア|世界観の行き止まり
  • 現代世界の信仰|別のルーツを探る
  • イスラム教|アッラーを信仰する宗教
  • キリスト教|イエスが示した道
  • キリスト教|哲学と宗教改革
  • ユダヤ教|メシアを待ち望んだ宗教
  • ユダヤ人の歴史|ダビデに至るまで
  • ユダヤ人の歴史|エジプトでの出来事
  • エジプトの宗教
  • ユダヤ人の始まり|アブラハムに至るまで
  • アブラハムと古代メソポタミア
  • 大洪水|世界各地に残る伝説
  • 大洪水が起こる前
  • 黄金時代の伝説
  • 人類の始まりから現代日本に至るまで
  • 世界観のルーツ
  • 付録1 創作の世界観
  • 付録2 神秘的な力|心霊術・魔術・占い
  • 付録3 人知を超えた世界
  • 旅の終わりに

主な参考文献

人々を魅了する世界観

私たちの周りには『世界観』が溢れています。小説を開いてみましょう。名探偵シャーロック・ホームズの活躍する推理小説には英国の空気の漂う世界観があります。ファンタジー小説なら中世ヨーロッパの世界観がそこにあります。

それは終末世界のような悲壮感の漂うものであったり、魔法使いの出てくる神秘的なものであったりします。日本を舞台としたものでは、侍や忍者が登場したり、神話の神々が登場する世界観もあります。

世界観はフィクションの中だけにあるとは限りません。私たちもそれぞれ異なった世界観を持っています。生まれた国や時代によって世界観が大きく異なる場合もあります。世界観は私たちにとって身近なものなのです。

世界観とは

世界観とはなんでしょうか。大辞林には『世界についての見方・見解』と説明されています。これは『私たちが世界についてどう見ているか』という意味です。もう少し詳しく調べてみましょう。

ブリタニカ百科事典には『形而上学的観点からの世界についての統一的把握をい(う)。世界観は広く人生観と関連し、哲学ばかりではなく、神話、宗教、文学、美術など芸術の領域にも見出される』と述べられています。

形而上は『形がなく、通常の物事や現象を超えたもの』です。例えば『心』は目に見えないものであり形がありません。同じように、哲学や宗教など『目に見えない領域を含めて世界をどう見るか』を世界観と呼びます。

目に見える世界

まずは見える世界から考えていきましょう。

人は五感を持っています。目があるので見ることができ、耳があるので聞くことができます。それらの器官は個体差があるので、見えている世界も一人ひとり異なっています。

同じ景色を見ていても視力により、ぼんやり見える人やくっきりと見える人がいます。人が見分けられる色は100万色程度とされていますが、もっと多くの色を見分られる人もいるとされています。

よく検査してみると左右の聴力が異なることに気づくことがあるかもしれません。聞き取りやすい周波数や聞き取りにくい周波数もあります。人によって見えている景色も聞こえている音も微妙に異なっているのです。

例えで考えてみましょう。親子が花火を見ているとしましょう。子供には人混みのせいで花火がよく見えません。しかし大人にはよく見えます。それで花火がよく見えるように親は子供を抱きかかえてあげます。同じ景色が見えるようにしてあげるためです。

このように見えるものや聞こえるものが私たちの世界観に大きく関わっています。しかし、見えるものだけで世界観が成り立っているわけではありません。

目に見えない世界

2人が6という数字を見ているとしましょう。それは6です。しかし反対からは9に見えます。この例は自分のいる場所によって世界が違って見えることを教えてくれます。

人の持っている信条や経験、生い立ちは異なっています。それは世界についての見方に影響を与えています。例えば、大きな自然災害を経験すると、ある人は世界について悲観的な見方をするようになります。

科学も人類に多大な影響を与えてきました。世界中の人と繋がれるようになって、世界に対する見方が変わった人もいるでしょう。科学は地球が丸いことを教えてくれました。それを知る前の人類は、地球が平らだと考えていたのです。

哲学も人々の見方に大きな影響を与えています。例えばドイツの哲学者ニーチェは「神は死んだ」という見解を広めました。こうした哲学はダーウィンの進化論と相まって、それまで信じていたものを覆してゆきました。

進化論や無神論が広がる前は、宗教が強い影響を与えていました。現代の日本でも結婚式や葬式で儀式が執り行われます。また初詣に行っておみくじを引いたり、受験の合格や安全を祈願します。

日本の世界観

日本人にとっての世界観とはどのようなものでしょうか。それは『今を精一杯生きる』というものかもしれず、あるいは『今が楽しければそれでいい』という見方かもしれません。どちらにしても未来でも過去でもなく『今』を重視しています。

日本人は『和』を大切にします。自分の意見を主張するよりも、周りと同調することを好みます。また日本人は『礼節』を重んじます。おもてなしは日本人が大切にする礼節の一つです。

日本では剣道・柔道・華道・茶道・書道といったような『道』を貫く姿勢がよしとされます。その教えの多くには『あるがまま、自然に任せる』という考えが含まれています。

宗教観についてはどうでしょうか。『神も仏もいない』というのが一般的な風潮です。クリスマスや初詣・ハロウィンを祝いますが、儀式というよりは家族や友人と楽しむために祝います。

世界から見た日本の世界観

世界から見た日本は不思議な世界観に満ちています。春は至る所で桜が咲き、無数の淡い紅色の花びらで一面が彩られます。神社仏閣が立ち並び、侘び寂びの重んじる日本の美を目にすることができます。

ある国で学ぶ日本史は戦国時代で終わっているため、日本には今でも侍がいると期待している人がいます。武士の『君主のためならば死ぬこともいとわない』精神は独特です。また、闇に紛れて暗躍する忍者は世界中で大人気です。

スポーツの大会などがあると日本人の礼儀正しさを賞賛する報道がされることがあります。日本人の真面目さを褒める記事が書かれることもあります。日本人にとっては当たり前のことでも、外国から見ると独特な世界なのです。

逆に、外国人にはなかなか理解できない日本人の習慣もあります。

例えば、暑い日に友人に出会ったとしましょう。友人は帽子をかぶっていません。あなたならどうしますか。きっと帽子を脱ぐことでしょう。でも外国人からすると、なぜそうするのかが分かりません。

ここから分かるのは、日本人が重んじているものが世界から見ると独特であるということです。そして、これは互いに言えることです。すべての国は独特な世界観を持っているからです。

では、日本の独特な世界観はどのようにして形作られてきたのでしょうか。

現代日本から世界観のルーツを辿る

世界観のルーツをどのように辿ればよいでしょうか。言語学者が言語のルーツを辿る方法を参考にできます。言語学者は言語の似ている点を探して、そこから歴史を辿ります。同じように、類似点を探しながら歴史を辿れば、世界観の起源まで遡ることができるはずです。

歴史書のような記録が残っていれば、その資料を元にルーツを辿ることができます。それで、この記事では現代の日本から始めて世界観のルーツを辿ることを目標とします。

現代から世界観を遡ると、2011年に分岐点があることに気づきます。何がありましたか。そうです、自然災害です。

無力感の世界|自然災害

日本は自然災害のために騒然としています。2011年に発生した東日本大震災は日本人のみならず世界に衝撃を与えました。また1995年の阪神・淡路大震災の被害を多くの人が覚えていることでしょう。

自然の力を前にすると、人類は無力であることを悟ります。自然災害に見舞われると私たちは無力感を覚えます。今まで築いてきた楽観的な見方が打ち崩され、世界に対する見方が変化します。

そのような無力感は人々の言動や創作に現れています。あなたも大災害の前後で多くの作品が変化していることに気づいているでしょう。自然災害は確かに日本人の世界観を変えてしまいました。

神も仏もいない|天皇崇拝と終戦

1945年8月14日に日本はポツダム宣言を受諾し、戦争が終結しました。ここが第二の分岐点です。これ以前と以後では何が変わったのでしょうか。

意外かもしれませんが、戦時中の日本では天皇が神とみなされ崇拝されていました。聖典となったのは1882年に発布された軍人勅諭(ちょくゆ)と1890年に発布された教育勅諭です。そこには神である天皇に報いることや天皇が神話の神の子孫であることが記されていました。

天皇が神となった経緯は、中国の宗教思想から脱却し、古来の日本の神道に戻ろうとしたところにあります。18世紀に本居宣長(もとおりのりなが)は古事記を調べ、日本の神話の神である天照大神(あまてらすおおみかみ)の優位性を説きました。

同じように神道を清めようとした平田篤胤(ひらたあつたね)は、神道とキリスト教の三位一体の教えを融合しようとしました。この考えは広まりませんでしたが、唯一絶対の神という教えが神道に入ってきました。そして、将軍が倒されたのち、天皇は神道の最高神となりました。

神風という言葉を歴史の授業で聞いたことがあるでしょう。第二次世界大戦のとき日本人は神風が吹いて戦争に勝利できると考えました。しかし歴史が示しているように、神風は吹かず、1945年に日本は敗戦しました。

敗戦によって日本人は、天皇という神に対する信仰を失いました。そして現代に至るまで日本に漂っているのが『神も仏もいない』という風潮です。

無神論|進化論と哲学

さらに歴史を遡ってみましょう。次の分岐点は1859年です。何が起きたのでしょうか。その年に英国の博物学者チャールズ・ダーウィンが『種の起源』を発表しました。進化論の始まりです。

進化論はすべての生物は進化によって存在するようになったとする説です。これは神さまがすべてのものを創造したと説く多くの信仰と相入れませんでした。そのため進化論は諸教会から反対されましたが、やがて諸教会と進化論は同調するようになりました。

マルクス、フロイト、ニーチェなどによる思想も、人々の信仰に大きな打撃を与えました。ニーチェの『神は死んだ』という言葉を聞いたことがあるかもしれません。このような見解は人々に受け入れられました。

科学と哲学は人々の信じるものを変化させ、世界に対する見方を大きく変化させました。今では進化論は事実として歴史や科学の授業で教えられています。

進化論や哲学は「人が死んだらどうなるか」などという問いには答えていません。それで人々は、人が死んだら『あちらの世界に行く』とか『天国に召される』とか『生まれ変わる』といった風に漠然と考えています。

神道|日本の宗教

もし外国人に「日本の宗教は何か」と尋ねられたら、どう答えますか。ある人は『仏教』と答えるかもしれません。ある人は『八百万の神』と答えるかもしれません。

日本の伝統的な家屋には神棚と仏壇があります。神様と仏様を別々に崇めているようですが、矛盾は感じません。神社でお参りするときに安全祈願するのは神様に対してですが、葬式でお坊さんが唱えるのは仏教のものです。

混乱してしまうのも無理はありません。というのも、日本の伝統的な宗教は和を求めるという特徴があるからです。神道にキリスト教を混ぜようとして天皇崇拝に至ったことを思い出してください。同じようにして仏教とも混ざっているのです。

日本の伝統的な宗教は『神道』です。それはどんな宗教でしょうか。日本人の世界観にどのような影響を与えてきましたか。調べてみましょう。

神道|和を大切にする宗教

日本人は和をとても大切にします。周りに同調するのことを好み、場を乱すものを嫌います。例えば、社会人にとって飲み会は和を促進する大事な場であり、断るのは大変です。地域共同体の和はとても強いものです。

神道にとって最高の価値があるとされるのが和です。地域共同体との和を推し進めるものが善で、和を脅かすものはいかなるものであっても悪とみなされます。和の精神は、人間関係にとどまらず、自然や神々についても影響を与えています。

日本人が祭りを行うのは和を促進するためとされています。神道には正式な教理がないからです。皆で祭りを行うことによって、人々の協力の精神が助長されます。また神輿(みこし)を担いで神々を運び、酒や食を共にして神々との和を求めます。

神道の特徴となっている儀式が『おはらい』です。神主が白い紙をつけた枝(榊)を揺り動かしているのを見たことがあるかもしれません。これによって汚れや罪を清め、神々と結ばれることができると信じられています。

神道|様々な宗教と和合してきた

神道は様々な宗教との和合を繰り返してきました。先に見た通り、神道はキリスト教の三位一体の教理と混ぜ合わされ、天皇崇拝に至りました。同じように、礼を重んじる儒教やあるがままであることを重んじる道教(陰陽道)と融合してきました。

神道と混ぜ合わさった主な宗教は仏教です。仏教が日本に入ってきた当初は、仏教を受け入れるかどうかで分裂しましたが、西暦6世紀の終わりごろ、聖徳太子の時代には受け入れられるようになっていました。

教理や戒律のない神道に対して、仏教が宗教理論を率先する役割を担うようになりました。その結果、神社と仏閣が建設されるようになり、日本の伝統家屋には神棚と仏壇の両方が置かれるようになったのです。

日本人にとって和を求める神道の精神だけでなく、悟りを教える仏教やあるがままであることを重視する道教、礼節を重んじる儒教の教えがとても身近なのは、このような背景があるからです。

神道|自然崇拝と祖霊崇拝

神道の主要な文書は8世紀に編さんされた『古事記』と『日本書紀』です。これらは記紀とも呼ばれます。記紀には神話の神である天照大神から天皇に至るまでの歴史が記されています。

天照大神が国家神とされたのは西暦7世紀のことです。天照大神は神道の神話に出てくる女神で、伊弉諾命(いざなきのみこと)の子、太陽を神格化したものとされています。神道という名称が作り出されたのは西暦6世紀のことです。

それ以前にも日本人は『八百万(やおよろず)の神』として知られる、無数の神々を崇拝してきました。例えば富士山もご神体の一つとして崇拝の対象となっていました。それは稲作の儀式が発達して、自然の神々を神々の霊が宿る『ご神体』として敬ったことから始まったとされています。

古代の日本では神々の霊が宿るものとして、鏡・剣・玉などが崇拝に用いられました。遺跡からも出土した鏡や剣などを歴史の教科書で見たことがあるかもしれません。祈祷師や巫女はそれらを使って神々の降臨を求める儀式を行いました。これは死んだ者の霊に対する恐れから生じたものです。霊をなだめる儀式が、祖霊崇拝へと発展していきました。

要約すると、神道の始まりは自然の神々に対する崇拝と祖霊崇拝であるといえるでしょう。神道の起源を断定するのは難しいとされています。

参考のために、最初の天皇が在位していたおおよその時期を推定してみましょう。

初代天皇についての推測と伝承

生没が明らかなのは第30代天皇の敏達(びだつ)天皇で、在位期間は西暦572〜585年です。仮に在位期間を平均30年として計算すると、30代はおよそ900年となります。この概算を信じるならば、第1代天皇の神武(じんむ)天皇は西暦前300年ごろに在位していたことになります。

第10代天皇に数えられる崇神天皇を第1代天皇とする説もあります。仮にその説が正しいとして、在位期間を平均30年で計算すると、20代はおよそ600年となります。崇神天皇は西暦0年ごろに在位していたと推定できます。

これらの仮説を信じるならば、日本の天皇はおよそ西暦前300年から西暦0年ごろに始まったと考えることができます。もちろん、これは推測にすぎません。

中国の歴史によれば、西暦前219年に、秦の始皇帝が伝説の島を探して、3000人の少年少女を乗せた船団を送り出しました。不死の薬草を持ち帰らせるためです。伝承によれば、彼らはその島に住み着き、それが日本として知られるようになりました。

これらの推測や伝承が正しいかどうかは別にしても、中国が日本に大きな影響を与えたことは明らかです。少なくとも西暦600年ごろには聖徳太子が遣隋使を派遣しているからです。

中国から渡来した人々の思想は、日本人の世界観に大きな影響を及ぼしました。それはどのような思想でしたか。それでは海を渡って、さらに調べてみましょう。

中国の世界観

中国に最も影響を与えた宗教は何でしょうか。立ち並ぶ寺院を思い浮かべて『仏教』と答えるかもしれません。儒教が国教となった時代もありましたが、現代の中国に国教はありません。とはいえ、道教・儒教・仏教は中国に大きな影響を与えました。

中国は日本と同じく、無神論の影響を強く受けています。それでも葬式や寺院での礼拝が依然として行われています。仏教・道教・儒教を問わず、家では先祖に敬意を表し、健康や富の神を崇拝し、祭日には寺院で犠牲を捧げます。また風水の信仰があります。

中国人は人格的な神を信じていません。道教・儒教・仏教は神への信仰を教えていないからです。一方、日本は『神も仏もいない』という風潮があるとはいえ、神社などで神さまに祈願する習慣があるため、ある程度は神についての信仰が根付いています。

現代中国は1978年に始まった改革と開放政策によって近代化が進み、電気機器やコンピュータなどの工業が盛んになりました。日本に流通している多くの製品は中国で製造されたものです。中国はGDP(国内総生産)がアメリカに次ぐ第2位の経済大国です。

中国では近代化と無神論の影響が広まる中、伝統的な崇拝が依然として行われています。それらの思想はどのようにして浸透していったのでしょうか。まずは中国の歴史を概観してみましょう。

中国の歴史

中国の初代皇帝は始皇帝です。秦王朝の時代に始皇帝が西暦前247年から前210年まで在位しました。秦の前は周の時代です。周王朝は西暦前1122年ごろから前256年まで存続しました。

考古学的に実在が確認されている最古の王朝が殷です。殷王朝は西暦前1600年ごろから周王朝の時代まで続いたとされています。そして伝説とされてきた、史書に記された中国最古の王朝が夏です。夏王朝は西暦前1900年から始まったとされています。

中国人は黄帝の子孫であると信じています。黄帝は西暦前26世紀に支配したとされている中国の神話伝説の帝です。黄帝の時代は、平和で争いのない楽園であったとされています。

信頼できる記録だけを見ても、中国は3600年以上の長い歴史のある国であることがわかります。『中国、四千年の歴史』と言われるのも頷けます。では、中国に影響を与えた思想は一体何でしょうか。

中国の宗教|儒教・道教

中国に大きな影響を与えた道教・儒教・仏教のうち、中国で誕生したのは道教と儒教です。仏教はインドで生まれ、7世紀までに中国に渡来しましたが、道教と儒教はほとんど同じ時代に中国で誕生しました。

中国の宗教の始まりは周王朝(西暦前1122年ごろから前256年)の時代に遡ります。国々は戦争に明け暮れ、一般民衆は大変苦しめられていました。その結果、それまで勢力の強かった特権階級の権威が弱まり、さまざまな分野の考え方が発展するようになりました。

そのような背景で二つの思想が生まれました。西暦前6世紀ごろに老子という哲学者が説いた教えが道教であり、西暦前551年に生まれた孔子という教師が説いた教えが儒教です。まずは孔子の教えた儒教について調べましょう。

儒教|礼を重んじる教え

儒教で最も大切なものとされているのが『礼』です。孔子は次のように述べました。「人々が生きるためのよりどころとしている事柄すべての中で最も大事なのは礼である」。

礼とは、適正・礼儀・物事の秩序を意味しています。また儀礼・儀式・敬礼も含まれます。礼を表すのに必要なのが『仁』です。孔子の弟子である孟子は性善説(人間の本性は善であるという説)を説き、自己修養によって仁を培えると教えました。

まとめると儒教の思想は次のようなものです。『礼を守ればあらゆる状況で正しく振舞うことができる。仁を培えば他の人をいたわり親切を示すことができる。その結果、社会は平和になる』。

中国人のみならず日本人にも、礼と仁の精神が息づいています。自分では気づかないうちに『自分の立場をわきまえることやまじめに勉強すべきこと、家族の絆を大切にすべきことの大切さ』などを学んでいます。

性善説は日本に広く浸透しており『どんな人でも根は良い』と信じる人は少なくありません。そのため、更生不能な悪人がいるという考え方や、人間はもともと罪人であるという考え方を受け入れ難く感じます。

儒教はたしかに東洋人に強い影響を与えました。では、中国のもう一つの教えである道教について調べてみましょう。

道教|自然と一体になる

道教は老子の説いた教えです。老子についての記録は多くはありませんが、西暦前6世紀に生きていたとされています。司馬遷(しばせん・西暦前2世紀から1世紀の宮廷史家)の表した『史記』によれば、老子の本名は李耳(りじ)です。

老子は道徳経(どうとくきょう)として知られる書物を著しました。道徳経の記述は謎めいていますが、要約すると『道(ダオ)を探求し、世を捨てて、自然と一体になる』ことを説くものです。

道(ダオ)とは、一言で言うと『人の歩むべき道』のことです。その根底には『何事にも自然で正しい道がある』という考え方があります。道を求めて従うなら万事はうまくゆき、道に逆らうなら災いに終わると考えられました。

老子の哲学を荘周がさらに発展させました。荘周の著した『荘子』には道についての記述があります。古代中国の占いに関する有名な論文『易経(えききょう)』には、陰陽に関する考え方が説明されています。この考え方は日本では陰陽道として知られるようになりました。

荘周は無為の哲学を説きました。『生きていてもいずれ死ぬ。自然に干渉してもいずれ元の状態に戻る。良い状況もいずれ悪くなり、悪い状況もいずれ良くなる。道(ダオ)だけが永久に存続する』と教えました。

荘周の哲学は、荘周が見たとされる夢にも表れています。その夢は『胡蝶の夢』として知られています。『蝶になって遊ぶ夢を見たが、自分が夢で蝶となったのか、蝶が夢を見て自分になったのか分からなかった』というものです。荘周の哲学は詩や絵画に影響を与えました。

老子が著したとされる道徳経には『道(ダオ)と一緒になっていれば、永遠に存在する』という言葉があります。また、荘子には『道(ダオ)を学んできた』と述べた高齢で若わかしい人物が登場します。そのため人々は不老不死に対する想像を膨らませました。

秦の始皇帝は不死の薬を求めていたとされています。練丹術師は道教の陰陽に基づいて、不死の妙薬を作ろうとしました。鉛と水銀(陰と陽)を融合させることにより、不死の薬を作れると考えたようです。始皇帝はそうした混合物の一つを飲んだために死んだと考えられています。

これらをまとめると、道教とは『道(ダオ)に至ることを目指して自然と一体になることを説いた教え』であることがわかります。さらに無為の哲学を教え、陰陽道として知られる占いの基礎を作ったこともわかりました。

日本にも『何もせず成り行きに任せれば、万事うまくいく』という考え方があります。自然と一緒になって、静穏な田舎暮らしをすることを夢見る人もいます。これらの考えの根幹には道教の思想があるのかもしれません。

たしかに、道教も中国のみならず東洋の人々に大きな影響を与えました。

儒教と道教が日本に与えた影響

儒教と道教が日本人にどのような影響を与えたのか、短く振り返ってみましょう。神道は儒教と道教の影響を強く受けてきました。仏教のように崇拝として残ってはいませんが、その思想は今でも残っています。

儒教は礼と仁の大切さを教えました。日本人にとって礼節を尽くすことは美徳とされています。立場をわきまえて礼儀正しくに振舞うことを重んじています。仁あるいは仁義を大切にしています。家族や他の人々に対して親切に接するべきことを得心しています。

儒教はまた性善説も説きました。この教えは日本に広く浸透しており『どんな人でも根は良い』と信じる人は少なくありません。自分が本来持っていると考えられる良さを引き出すために、まじめに修行して切磋琢磨しようとします。

道教は『何もせずに成り行きに任せれば、すべてがうまくいく』と教えました。そのような考え方は日本でも見られます。自然と一緒になること、静穏な田舎暮らしをすることに魅力を感じる人もいます。

道教が最も大切だと考える『道』は、日本でも大切にされています。武道・剣道・柔道・書道・華道・茶道などあらゆる文化に『道』が根付いています。道教は日本では『陰陽道』として知られており、創作の題材に時折用いられます。

儒教や道教は中国で誕生した教えですが、日本人の見方や考え方に大きな影響を与えました。日本や中国に大きな影響を与えた宗教はもう一つあります。それは仏教です。

仏教|中国や日本に伝わる

日本に仏教が入りつつあったのは、聖徳太子の時代(西暦6〜7世紀)のことでした。中国では唐王朝の時代(西暦618〜907年)までに仏教が中国人の宗教に入り込んできました。この2つの時期はほぼ重なります。

仏教が入ってきたとき、日本は仏教を受け入れるか否かで分裂しました。中国も当初は仏教に対抗しました。やがて日本も中国も仏教を受け入れるようになり、宗教は混ぜ合わさりました。

仏教はどこからきたのでしょうか。どんなことを教えているのでしょうか。仏教は世界観にどんな影響を与えましたか。その答えを知るためには中国を抜けて、さらに大陸を進まなければなりません。

仏教|インドで始まった宗教

仏教はガウタマ・ジッダールタ(仏陀)が説いた教えです。西暦前560年ごろのインドの北東部で始まりました。中国では周王朝の時代であり、日本では第1代天皇が在位していたと推定される年代よりも前の時代でした。

ガウタマに関する当時の資料は一つもありません。ガウタマについての文書(聖典)はガウタマの死後、何百年も経ってから書かれたものであり、多くの伝説や神話が入り込んでいます。そのため仏教の聖典からガウタマの生涯を正確に特定するのは不可能です。とはいえ、ガウタマの生涯に関する伝統的な物語は広く流布されており、一般に受け入れられています。

その物語によれば、ガウタマの父はスッドーダナ王で母はマハー・マーヤーでした。ガウタマ王子は16歳で結婚し贅沢な生活を送りました。29歳の年に息子ラーフラが生まれ、人生の転機が訪れました。ガウタマは悲しみが普遍的なものであることを知り、万能薬を探すために家を出て、真理の探究者として放浪しました。

ガウタマは瞑想を経て、悟りの境地に達したとされています。そうして発見した真理を、他の人々に教えるため、ガウタマは旅に出かけました。

仏教|悟りを求める宗教

ガウタマの教えは次の2つに要約されます。

  1. 放縦な生き方や苦行を避け、中道に従わなければならない
  2. 四聖諦(ししょうだい)を理解して従わなければならない

四聖諦とはガウタマが弟子に語ったとされる4つの基本的な教えです。

ガウタマは「ただ真理のうちに救いを求めよ。自分自身以外のだれかに助けを求めてはならない」と語ったと言われています。つまり『神に助けを求めるのではなく、自分の努力によって悟りなさい。そうすれば救われるでしょう』と教えました。

このように仏教は元来、神に対する信仰を唱導していません。とはいえ、お寺には仏様や菩薩の像が置かれ、祈りやお供え物の対象となっています。ガウタマは自分が神であるとは唱えませんでしたが、神格化されていわば神として崇められるようになりました。

仏教|多くの学派がある

仏教はインドから始まりましたが、発祥の地であるインドでは衰退してゆきました。そして13世紀までにはインドから事実上姿を消してしまいました。それとは対象的に、仏教は7世紀までに東アジア全域に広まりました。

仏教はいくつかの学派に分かれています。小乗仏教、大乗仏教、チベット仏教です。日本や中国、韓国で見られるのは大乗仏教です。大乗仏教の教えでは、仏陀は愛と情け非常に深いので、だれからも救いを差し控えたりはなさらないとされています。

大乗仏教はさまざまな宗派に分かれており、その中でもよく知られているのが浄土宗と禅宗です。法然(ほうねん)が創始した浄土宗は、極楽浄土に生まれ変わることを信じて阿弥陀仏を信仰します。「南無阿弥陀仏」と1日に何回も繰り返すことにより悟りを得る、あるいは自分を清められるとしています。

禅宗は禅という言葉から分かるように、瞑想を実践する宗派です。禅宗は芸術への影響が大きく、書道や水墨画・生け花や和歌や俳句などに反映されています。禅の精神は西洋でも人気があります。

チベット仏教の目立った特徴は、意味のあるもしくはない一連の音節語であるマントラ(真言)あるいは神(しん)を唱える長い祈りです。チベット仏教の儀式は指導者から口頭で伝えられます。指導者のダライ・ラマが有名です。

仏教|ヒンズー教の影響

仏教の教えはガウタマがヒンズー教に疑問を抱いたために生まれました。その疑問はヒンズー教に見られるカースト制度による不公正や、宿命論的な教えであるカルマに対するものでした。

とはいえ、仏教はヒンズー教の教えのいくつかを受け継いでいます。例えば仏教は、人類は輪廻を繰り返して、過去と現在の行為の結果(カルマ)に苦しめられると教えています。

また、仏教は地獄についても教えています。京都の仏教の巻物には、地獄の責め苦や鬼たちが描かれています。ブリタニカ百科事典では『鬼の観念は、仏教における鬼神夜叉、餓鬼、地獄の閻魔王(えんまおう)の配下などを具体化したものといえる』とあります。

これらの点から、ヒンズー教について調べれば、世界観のルーツをさらに辿れることがわかりました。日本から遠く離れ、険しい旅路になってきましたが、もう少し旅を続けてみましょう。

ヒンズー教|複雑で難解な教え

ヒンズー教の教えは複雑で難解なので、簡単に説明することはできません。それでも、全体的な特徴やその歴史から教えを概観することはできます。ヒンズー教を信奉する人々のほとんどはインドにいます。

ヒンズー教のルーツは一部の歴史家によると、3500年あまり前、およそ西暦前1500年にアーリア人(インド・ヨーロッパ語系諸民族の一派でインドとイランに定住した民族)が北西から移住してきたところにあるとされています。

アーリア人の宗教的な考え方は古代イランやバビロニアの教えに基づいていたと言われています。アーリア人が移住する前に行われていた宗教については、性崇拝が行われていたとする見解がある一方で、それは太陽崇拝であるという意見もあります。

後に信条や神話・インドの伝説が書き記されてヒンズー教の聖典が形成されました。最も古い著作は西暦前900年ごろに完成したとされる祈りや賛歌を集めた詩書です。儀式をどのように行なうべきかを明記したブラーフマナも加えられました。他にも膨大な著作が聖典に加えられてゆきました。

ヒンズー教|非暴力とカースト制度

ヒンズー教の指導者モハンダス・ガンジーは日本でもよく知られています。ガンジーはインドが英国から独立するのを助けるために非暴力不服従運動を起こしました。このように、ヒンズー教徒の考え方や日常の行動に影響を及ぼしている概念が『非暴力』です。

ヒンズー教でよく知られている他の一面は『カースト制度』です。これは社会を階級に分ける制度のことで、ヒンズー教の神話によれば最初に四つの主要なカーストがありました。それは最高のカースト、統治もしくは武人階級、商人や農夫の階級、そして労働者階級の四つです。

時が立つにつれ、さらに低い階級である賎民もしくは不可触賎民と呼ばれる人々が存在するようになりました。1948年以来その身分は法律で禁止されましたが、未だに非常に苦しい生活に甘んじている人々がいます。

日本人にとって非暴力やカースト制度は馴染みのない考え方かもしれません。日本に伝来した仏教はヒンズー教に疑問を感じて生まれたものだからです。とはいえ、非暴力やカースト制度は今でもインド人の生活に溶け込んでいます。

ヒンズー教|カルマの教理

ヒンズー教徒がカースト制度における差別にもっと強く反抗しないのはなぜでしょうか。それは『カルマ(業)』の教えのためです。その教えによれば、魂もしくは霊は何度も輪廻を経験し、最高の実在者と結合するために努力しなければなりません。

この教えを信じるならば、現世の身分や境遇は、前世の行いの結果です。現世でより良い記録を打ち立てれば、来世での生活はもっと良いものになると考えます。自分の境遇は宿命であり、甘んじて受け入れるしかありません。

ヒンズー教の信仰の最終的な目標は何でしょうか。それは、この過酷な運命の車輪から解放されることです。それは輪廻から解脱することであり、率直に言えば死ぬことです。魂の解脱(モクシャ)を達成するためには少なくとも4つの道があるとされ、それはヨーガとして知られています。

輪廻転生は現代の創作でもよく用いられており、感動的に描かれることも少なくありませんが、実際は魂の解放を目指した過酷な循環の教えであることがわかります。また、ヨーガ(ヨガ)は、心身の健康法として応用されています。

ヒンズー教|神・魂・地獄

ヒンズー教ではたくさんの神が崇拝されていますが、ヒンズー教の学者によれば、ヒンズー教は多神教ではなく一神教です。それは人間や動物を含め数多くの姿を取ることができる、唯一の神を認めているからです。

ヒンズー教の神話では、音節文字OMあるいはAUMで表されるブラーフマナ、つまり最高の存在・最高の源・最高の実在とされているものが、すべての神を包含しているとされています。そのような意味でヒンズー教は、一神教に基づく多神教であることがわかります。

ヒンズー教は、人は死んでも魂は生き残る『霊魂不滅』の教理を教えています。この魂が輪廻を経験することになります。魂は地獄を通っていくと考えられています。地獄について、そこは罪人が処罰される恐ろしい場所として教えています。

ヒンズー教|アーリア人の移住

ヒンズー教について短くまとめると、一神教に基づく多神教であり、非暴力や動物を大切にすることを教えています。一方でカルマによる過酷な循環やカースト制度による不公正も教えています。

ヒンズー教に疑問を抱いた一人がガウタマ・シッダールタであり、ガウタマが仏教を始めました。とはいえ、ガウタマはヒンズー教を一新したわけではなく、仏教はカルマや地獄などの教えを受け継いでいます。

ヒンズー教の始まりについていえば、西暦前1500年ごろに移住してきたアーリア人によるとされています。アーリア人はインド・ヨーロッパ語族に属する言語を話す、中央アジアから移住した古代民族のことです。

アーリア人が移住してきたとされる西暦前1500年は、日本は弥生時代が始まるよりも昔の時代であり、中国は殷王朝の時代でした。エジプトのツタンカーメン王が支配していたとされる西暦前1300年代よりも古く、主要なピラミッドが作られたころよりは新しい時代です。

アーリア人の宗教的な考え方は古代イラン人やバビロニア人の考えに基づいていたと言われています。それでは、さらに世界観のルーツを辿るために、古代イラン人やバビロニア人について調べてみましょう。

古代イランとバビロニア

西南アジアの国イランは、古くはペルシャという名前で知られていました。ペルシャ文化圏で作られるペルシャ絨毯は日本でも知られています。北西イラン地方の古代名はメディアです。イランの歴史は西暦前1000年ごろにアーリア系イラン民族がイラン高原に侵入したのが始まりとされています。

イラン民族は西暦前6世紀にオリエント世界を統一しました。これは西暦前539年にアケメネス朝のペルシャとメディアがバビロニアを滅ぼしたときに生じました。それ以後、バビロニアは歴史から名前を消しました。

ゾロアスター教|ペルシャの宗教

西暦前7世紀のゾロアスターという預言者が説いたとされる教えがゾロアスター教です。ゾロアスター教は善神と悪神を信じる二元論を信仰します。アフラ・マズダがすべての良いものの創造者であり、アングラ・マイニュがすべての悪いものの創造者であるとされています。

アフラ・マズダは三つ組の一部として描かれることがあります。アフラ・マズダ、水と多産の女神アナヒタ、光の神ミトラです。アナヒタとバビロニアのイシュタルを関連づける見方もあります。イシュタルはバビロニアの三つ組の神の一部です。

ペルシャ人は自然の力や天体も崇拝しました。歴史家のヘロドトスはペルシャ人が太陽や月や大地、火や水や風に犠牲を捧げていると述べました。ゾロアスター教の聖典であるゼンド・アベスタには、太陽や月や星の光、そして火や水や惑星に対する祈りが含まれています。

ゾロアスター教は魂の不滅を教えました。それはゾロアスター教の聖典に記されています。魂が不滅であるという教えは、ゾロアスター教より昔のイランの宗教にも含まれています。古代イランの諸部族は死者の魂に配慮を払い、黄泉の国にいる者たちのために捧げものをしました。

歴史によれば、古代イラクが世界を統一する前の世界最大の国はバビロニアでした。それでは歴史を遡り、バビロニアに目を向けてみましょう。

バビロニアの歴史

バビロニアはイラクの歴史の初期に現れます。ブリタニカ国際大百科事典によれば、その歴史はメソポタミアの地域で世界最古の文明が発祥したところから始まります。メソポタミアという言葉はときにバビロニアを含みます。

西暦前3000年代にシュメール人とアッカド人が古代文明を築きました。西暦前2000年代にセム族のバビロニア王国が成立し、西暦前625年に新バビロニア王国が作られましたが、西暦前6世紀に滅びました。

時代の流れをまとめてみましょう。メソポタミアの地域で古代文明が発祥し、西暦前2000年代にバビロニア王国が設立され、西暦前625年に新バビロニア王国が作られ、西暦前539年に古代イランが世界を統一した、という流れになります。

これらの歴史を踏まえると、世界観のルーツはバビロニア王国ないしはメソポタミアの古代文明にあるということがはっきりしました。

バビロニアの宗教

バビロニア人が信じていた主要な神はマルドゥクです。元は農耕の神でしたが、バビロン市が栄えるにつれて最高神となりました。

バビロニア人は三つ組の神を信じていました。月神シン・太陽神シャマシュ・女神イシュタルです。別の三つ組の魔神または悪魔をさえ奉じていました。

バビロニア人は不滅の魂を信じていました。バビロニアの神ネルガルは死者の神であり、その妻エレシュキガルは冥府の女王でした。

バビロニア人の宗教の中で魔術・魔法・占星術は顕著な役割を果たしました。占星術を使って将来を読み取ろうとしました。多くの天体はバビロニアの神々の名にちなんで呼ばれました。

古代メソポタミア|世界観の行き止まり

バビロニアの起源を調べていくと、古代メソポタミアに行き着きます。そして考古学上の証拠からは、それより昔に遡ることはできません。

言語学上の言語のルーツを辿っても古代メソポタミアに行き着きます。新ブリタニカ百科事典は「言語学上の化石はせいぜい4000ないし5000年ほどしかさかのぼれない」と記されています。

古代の諸言語のルーツについて、オリエント言語学者のヘンリー・ローリンソン卿は「様々な系統が方々に広がった元の中心点としてシナルの平野に注目させられるはずである」と述べました。シナルとは後にバビロニアと呼ばれるようになった地域のことです。

その地域はバビロニア・シナル・シュメール・メソポタミア・カルデアなど異なった名称と呼ばれていますが、基本的に同じ地域のことを述べています。それはチグリス川とユーフラテス川の間の地域です。

バビロニアは世界観の重要な分岐点であるというのが結論です。では世界観の起源はバビロニアにあるのでしょうか。それとも、バビロニアよりさらに遡れるルーツがありますか。それを知るには別の枝葉からも探索してみる必要があります。

現代世界の信仰|別のルーツを探る

現代日本では神道の信仰は弱まっています。それは進化論や哲学・敗戦などの影響によるものでした。世界でも似たような状況が見られます。

進化論と哲学によって無神論は世界中に広まっています。二度の世界大戦は人々から楽観的な見方を奪いました。16世紀には西洋で宗教改革が起き、従順や服従よりも自己主張や表現の自由が強調されるようになりました。

このような経緯から、多くの人々は宗教が戦争や不公正をもたらしてきたと考えるようになり、宗教に対して懐疑的な見方をしています。

今でも勢力を保っている伝統的な宗教の一つは、イスラム教です。その起源も古代メソポタミアに行き着くのでしょうか。それとも別の何かでしょうか。

イスラム教|アッラーを信仰する宗教

イスラム教について詳しく知らなくてもメッカ・コーラン・アッラー・ムスリムなどについて聞いたことがあるかもしれません。メッカはイスラム教の聖地で、コーランはイスラム教の聖典、アッラーはイスラム教の神の名前であり、ムスリムはアッラーを信仰するイスラム教徒のことです。

イスラム教はムハンマド(マホメット)が説いた教えです。ムハンマドは西暦570年ごろにサウジアラビアのメッカで生まれ、40歳のころに預言者として召されました。そのときから20年ほどの間に様々な啓示が与えられました。それを記したのがコーランです。

イスラム教には5つの信仰があります。それは唯一の神アッラーに対する信仰、天使たちに対する信仰、預言者たち(アダム・アブラハム・モーセ・イエス・ムハンマド)に対する信仰、審判の日に対する信仰、神が全知全能であることへの信仰です。大辞林によれば六信、つまりアッラー・天使・経典・預言者・来世・予定を信仰しています。

イスラム教は唯一神であるアッラーを信仰しており、三位一体を信じていません。コーランには「あなたがたの神は唯一の神である」とか「アッラーは唯一の神であられる」と記されています。

イスラム教では死後も生き続ける魂がある教えています。コーランによればアッラーは死者を復活させる力があると教えています。魂は審判に至るまでの状態があり、審判によって永遠の運命が決定します。生前の行いが邪悪であれば地獄へ、良ければ天の楽園にゆくと教えています。

イスラム教とは五行として次のことを行います。信仰告白(シャハーダ)を復唱し、1日に5回メッカの方を向いて礼拝(サラート)を行い、自分の収入や資産の1%を与える喜捨(ザカー)を行い、断食(サウム)を行い、巡礼(ハッジ)します。

イスラム教は7世紀以降、アラビア・中東を中心に広がり、インドネシアからアフリカの大西洋沿岸諸国にまで広がりました。キリスト教のカトリック教会との争いを経験しましたが、イスラム教は生き残り、20世紀には活気を取り戻して成長しました。

コーランは聖書と同じことが記述している箇所が多くあります。一例としてアダム・ノア・アブラハム・モーセ・ダビデ・イエスといった人物や創造・洪水・ソドムでの出来事が挙げられます。

すでに見たように、イスラム教はムハンマドが西暦610年以降に啓示を受けたことが始まりとされています。さらに歴史的なルーツを辿るために、それ以前に存在した聖書を聖典とする教えを調べてみましょう。それはキリスト教とユダヤ教です。

キリスト教|イエスが示した道

キリスト教のキリストとは神に選ばれた、油を注がれた者を意味する言葉です。ヘブライ語ではメシアと呼び、その言葉は救い主・救世主などとして知られています。一般的にキリストと言うときには、イエスのことを指して用いられています。

キリストは歴史に大きな影響を与えました。西暦という言葉もキリストが生まれた年と信じられている年を起源とする西洋の暦です。キリストが生まれる前を『B.C.(Before christ、キリスト以前)』、生まれた後を『A.D.(Anno Domini、主の年)』と記します。

イエスは西暦前2年にヨルダン西部、エルサレムの南にあるベツレヘムで生まれました。ナザレで育ったのでナザレ人とも呼ばれています。西暦29年にイエスは宣教を開始し、西暦33年に処刑され、その3日後に復活し、天にある神の王国の王となりました。

イエスが教えた主要なテーマは神の王国です。神の王国が近づいた、つまり王として指名されたイエスがすでにいたので、自分の罪を悔い改めるように、と教えました。また、罪はイエスの死による贖いの犠牲に信仰を働かせることで許されると教えました。

イエスは真理を教え、弟子たちが見習うべき模範を行動で示しました。神を愛し、隣人を愛するべきことを強調しました。武器を取らないようにと教えました。復活や楽園、永遠の命についても教えました。自分は神の子であると教え、唯一の神を崇拝するように教えました。

イエスは何度も聖書から引用しました。聖書は神からのものであるとイエスは教えました。イエスが語った言葉を含め、その生涯の記録は4つの福音書として聖書に加えられました。

キリスト教|哲学と宗教改革

イエスの使徒たちが死んだのち、ギリシャ哲学がキリスト教と混ざり始めました。キリスト教に霊魂不滅の教えが浸透したため、復活の教えが無効になりました。三位一体の教えが入り込んだために、唯一の神を崇拝するようにという教えが曖昧になりました。

混ぜ合わされたキリスト教は、西暦313年にローマの皇帝コンスタンティヌスによって法的認可を与えられました。後に皇帝テオドシウス1世はキリスト教を、正確には正統的カトリック教をローマ帝国の国教に定めました。

フランスの歴史家ルイ・ルジェーは「キリスト教は広まるにつれて奇妙に変質してゆき、元のものとは似ても似つかないまでになった」と書きました。キリスト教は勝利主義の教会と変化し、大変な流血が行われました。

16世紀にはプロテスタントによる宗教改革が起き、その結果、多くの教会が生み出されました。イエスは互いに愛し合うように、武器を取らないように教えましたが、カトリック教会もプロテスタント教会も宗教戦争の発端となってきました。

イエスが生まれる前はどんな宗教が存在していたでしょうか。その一つがユダヤ教です。

ユダヤ教|メシアを待ち望んだ宗教

ユダヤ教はイエスが生まれる前に書かれた聖書と、タルムードと呼ばれる口伝律法(くでんりっぽう)に関する注解や解説をまとめたものを聖典とする教えです。

タルムードは西暦2世紀から6世紀にかけてユダヤ教のラビ(教師)によって編集されました。タルムードは西暦2世紀から3世紀にかけて編集されたミシュナと、西暦3世紀から6世紀にかけて編集されたゲマラに分けられます。

ユダヤ教はイエスをメシア(救い主)とは考えず、イエスの後もメシアを待ち望みました。その信仰はユダヤ教を存続させましたが、18世紀から19世紀にかけて信仰は弱まり、さらにナチスの引き起こした大虐殺のために希望は失われました。その結果メシアは一個人ではなく繁栄と平和の新時代を意味するものとして解釈するようになっています。

ユダヤ教は死後も生き残る不滅の魂があると教えています。この点で聖書とタルムードの教えは異なっています。タルムードには不滅の魂に関する解説や物語が収められています。ユダヤ百科事典は「多分、ギリシャの影響を受けたためであろう」と説明しています。

聖書は復活を教えているので、霊魂不滅の信条とは相入れません。そのようなジレンマを解消するためにユダヤ教では、魂が別の領域で生き続けて復活を待つ、と考えるようになりました。こうして天国や地獄に関する信条が作り出されました。

ユダヤ教は大きく三つに分けられます。正統派ユダヤ教・改革派ユダヤ教、保守派ユダヤ教です。改革派ユダヤ教は復活に対する信仰を退け、霊魂不滅に対する信仰だけを認めています。12〜13世紀に形成されたユダヤ神秘主義の文献であるカバラには輪廻について説いています。

ユダヤ教の神について、大辞林は「唯一神ヤハウェを信奉する」、ブリタニカ国際百科事典は「ヤハウェを唯一絶対神とする一神教」と説明しています。

ユダヤ教は西暦前4世紀ごろから発展したとされています。そのころギリシャのアレクサンドロス大王が中東を征服し、ユダヤ文化とギリシャ文化は融合するようになりました。この時期にユダヤ教にギリシャ哲学が入り混みました。

後にローマに支配されて西暦1世紀に、ユダヤ人の指導者はラビ(教師)と呼ばれ、名声を高めました。ラビたちは口伝律法とその注解を記し、それがのちにタルムードとして知られるようになりました。

ルーツをさらに辿るためには、タルムードが編さんされるよりも前、そしてユダヤ教がギリシャ哲学と混じり合う前に遡る必要があります。

ユダヤ人の歴史|ダビデに至るまで

ユダヤ人とはユダの部族に属する人のことです。ユダとは聖書中に登場するアブラハムの孫ヤコブの子供です。ユダヤ人の歴史から節目となった出来事を見ていきましょう。

西暦70年にローマ人がエルサレムを滅ぼしたとき、ユダヤ人にとって大きな転換点となりました。ユダヤ人の系図は滅ぼされ、今日ユダヤ人がどの部族の出身かを確定できる人はいなくなりました。

西暦前539年にアケメネス朝のペルシャ人の王キュロスが、カルデア(バビロニア)を滅ぼしました。当時バビロンに捕らえられていたユダヤ人たちは解放され、エルサレムの神殿を建て直しました。

西暦前607年にエルサレムが陥落し、ユダヤ人はバビロンの捕囚となりました。支配者ネブカドネザルが当時の帝王であり、新バビロニア帝国の2代目の王です。この捕囚はバビロンが破られるまで70年間続きました。その出来事は考古学者の発見したバビロニア年代記にも記されています。考古学者キャスリーン・ケニヨンは「イスラエル王国の滅亡に関する考古学上の証拠は、聖書の記録から得られるものよりさらに鮮烈であると言ってもよい」と述べました。

ユダヤ人という名称は西暦前740年に十の部族から成るイスラエルがアッシリアに滅ぼされる以前は使われていませんでした。その名称を初めて使ったのは西暦前7世紀の預言者エレミヤだと思われます。

西暦前997年に王国が南北に分裂しました。王国が分裂する前、西暦前1037年にソロモンが王となりました。その父ダビデは西暦前1077年に王となりました。考古学は「西暦前10世紀およびそれ以後、ユダでは人口の爆発的増加があった。それは、ダビデのもたらした平和と繁栄によって多くの新しい町の建設が可能になった時期である」と述べています。

ユダヤ人の歴史|エジプトでの出来事

ここまでの歴史を振り返ってみると、ユダヤ人に強い影響を与えた国は、ローマ・ギリシャ・ペルシャ・ギリシャ・バビロニア・アッシリアであることがわかります。そして歴史が明らかにしているように、それ以前に強い力をもっていた国はエジプトです。

聖書の一部である出エジプト記(エクソドス)にはイスラエル民族がエジプトを脱出する様子が記述されています。この時期はエジプトのヒクソス時代と重なりますが、メリル・ウンガーは『考古学と旧約聖書』でこの時期について「エジプトにおける最もあいまいな時期の一つであり、ヒクソスによる征服に関する理解は極めて不完全なもの」と記しています。

出エジプト記には、イスラエル人がエジプトで栄えたことやエジプト人の神々がイスラエル民族の神に屈辱的な敗北を受けたことが記されています。また、イスラエル人が周辺諸国を制圧し、土地を取得していく様子が描かれています。

ユダヤ人の歴史家ヨセフスは、ユダヤ人を憎んでいたと思われるエジプト人の神官マネトーが西暦前280年ごろに著した言葉を引用し、ユダヤ人の先祖が「数え切れないほどエジプトに入り、その住民を従わせた」と書きました。そして「彼らはその後この国から追い出され、今ではユダヤとなっている場所を占有し」たことをマネトーが認めていたと記しました。

またヨセフスは別のエジプト人の歴史家カイレーモーンが、ヨセフとモーセがエジプトから同時に追い出されたと述べたと記しています。また同様の意見をについて述べたリュシマコスについても述べています。

出エジプト記には、ヨシュアを指導者としたイスラエルがエリコという都市の陥落させたことについて述べています。この点についての考古学の意見は分かれています。聖書によればエリコの陥落は西暦前15世紀の前半です。

エリコの遺跡を発見したジョン・ガースタング教授は、エリコの破壊が西暦前1400年ごろに起きたとしました。考古学者キャスリーン・ケニヨンは西暦前16世紀に破壊が生じ、西暦前1325年に別の破壊があったかもしれないとしました。

ウィリアム・フォックスウェル・オールブライトは次のように書きました。「イスラエルの宗教史においては、全体的景観においても個々の事実に照らした細部においても、その正確さを再認識することが全体的な流れとなってきた。…要約すれば、我々は今や再び、聖書の初めから終わりまでを、宗教史における権威ある文書として扱うことができる。

ヨシュア・モーセ・ヨセフといった聖書中の主要な人物を遡っていくと、ヨセフの父ヤコブとその家族がエジプトに入ってきた記述に辿りつきます。

エジプトの宗教

エジプトは宗教的な土地で、多神教が盛んに行われていました。トトメス3世の墳墓で見つかった一覧表には、およそ740の神々の名が記されています。

エジプト人の信条については、わずかな事実しか知られていません。エジプトの歴史全体を通じて相違が存在し、互いに矛盾していることの多い、複雑な伝説や神話が生まれたため、信条に統一性がありません。

エジプトの神ラーは75の異なった名や形で知られていました。エジプトの神々のうち最もよく知られていたのは三つ組みの神オシリス・イシス・ホルスでした。古代都市テーベではアモン神が際立っていました。

エジプト人は動物崇拝を行いました。神々の多くは、体は人間で頭部が動物や鳥の頭の形をした姿で表されました。ホルス神ははやぶさの頭をした形をしていました。動物に化身していると考えられる神もいました。

魂は不滅だと考えられていました。魂の輪廻もしくは転生に対する信仰は、エジプト人の間に広まっている教理でした。魂が戻ってきて、時折使えるようにするため、人間の体も保存しておかなければならないと考え、香詰め保存を施しました。

ユダヤ人の始まり|アブラハムに至るまで

ヤコブは西暦前1858年に生まれました。ヤコブには12人の息子たちがおり、その一人がユダであり、その一人がヨセフです。ユダの子孫がユダ族を形成し、のちにユダヤ人と呼ばれるようになりました。

ヤコブの父イサクは西暦前1918年に生まれました。イサクの父アブラハムは西暦前2018年に誕生しました。アブラハムはカルデア(バビロニア)の都市ウルで生まれました。

ウルはバビロンの南東約240キロ、ユーフラテス川の現在の川床の西にあるムカイヤルと同定とされています。ユーフラテス川はウルの遺跡の東をながれていますが、証拠によれば古代のユーフラテス川は都市のすぐ西を流れていたようです。

こうしてイスラム教から始めた世界観のルーツを探す旅は、キリスト教・ユダヤ教を経て、アブラハムへとたどり着きました。

アブラハムと古代メソポタミア

日本の神道から辿ったルーツがメソポタミアにあり、イスラム教から辿ったルーツがメソポタミアの都市で生まれたアブラハムに至ることは興味深いことです。宗教史からも辿っても言語学から辿ってもこの地点に行き着きます。

ですから、ここを終着点としてルーツを辿る旅を終えてもよいかもしれません。とはいえメソポタミヤで行き止まりになったルーツとは違って、アブラハムに至るルーツはさらに過去へと遡ることができます。

アブラハムが生まれるおよそ200年前、その地域では一つのプロジェクトが進行していました。バベルの塔の建設です。バベルの塔は、およそ西暦前2269年から西暦前2030年ごろに、王となったニムロデが率先して建設を始めました。

しかし建設は挫折しました。神が建築者たちの言語を混乱させたからです。人々はやがて建設をやめて散って行きました。ニムロデはバベルにとどまって、最初のバビロニア帝国を創設したようです。

聖書によれば西暦前2370年に地球規模の大洪水が起こりました。それからおおよそ200年ほどのちにバベルの塔が建設され、人々は各地に離散しました。

大洪水|世界各地に残る伝説

大洪水に関する伝説は世界各地に広まっています。世界中に伝わる洪水の神話や伝説の共通点を調べてみましょう。

シュメールの神話にはノアに相当する人物、ジーウースードラについて述べています。シュメールはイラク、メソポタミア南部の地域です。またノアとは聖書に登場する大洪水を生き残った人物です。

アッカド人の神話『ギルガメシュ叙事詩』には大洪水の生存者ウトナピシュティムと、彼が神人ギルガメシュと洪水の話をしたことが書かれています。ウトナピシュティムは「船を作るように」と指示を与えられたと言いました。アッカドはイラク中部の古代名です。

アステカ族の神話にも洪水が登場します。アステカ族は西暦15から16世紀にメキシコ高原に文明を築きました。その神話には「上方の水が下方のそれと融合し」、「一切のものが時間を超えた広大無辺な大洋になる」という伝説が含まれています。

インカ族にも洪水の伝説があります。インカ文明は13から16世紀に南アメリカのアンデス地方で栄えました。英国の著述家ハロルド・オズボーンは「大洪水に関する神話は高地の民族と熱帯の低地の部族の両方の中にたいへん広く見られる」と述べています。

マヤ族にも大洪水の伝説があります。マヤ族とはマヤ語を話すラテンアメリカインディアンの諸民族の総称で、紀元前後から16世紀ごろまでに高度な文明を築いていました。

インドの洪水伝説では、マヌという人間が生き残ります。マヌは小さな魚と友達になり、その魚は洪水について彼に警告します。マヌは舟を作り、魚が舟を引いていき、ヒマラヤ山脈の山の上に乗り上げます。

中国には大洪水の征服者、禹(う)に関する伝説があります。「民を再び定住させるため、洪水の大水を水路を通して河川や海に流れ込ませた」と言われています。禹は古代中国の支配者の一人とされています。

日本の神話にも洪水が登場します。浦島太郎のもとになったといわれる記紀(古事記・日本書紀)の山幸彦と海幸彦(やまさちひことうみさちひこ)には、火遠理命(ほおりのみこと)が塩盈珠(しおみちのたま)を出して火照命(ほでりのみこと)を溺れさせ、苦しんで許うと塩乾珠(しおひのたま)を出して救った、との記述があります。

日本の沖縄諸島周辺にも洪水伝説があります。奄美大島には、大島を沈める大波がきて、それと知らずに山へ登っていた兄妹が助かった、という語りがあります。八重山列島には大津波が襲い多くの人が亡くなったが、兄妹だけが助かったという話があります。石垣島にも同様の話が見られます。

世界中にはさらに多くの洪水伝説があります。フィリップ・フロイントは「創造神話」という本の中で、250余りの部族や民族によって500以上の洪水伝説が語り継がれていると見ています。

これらの伝説からどんなことが分かるでしょうか。国際標準聖書百科事典はこう述べています。「洪水に関する物語が至る所に存在しているということは、洪水によって世界中の人類が滅びたことの証拠であると普通考えられている」。

大洪水が起こる前

西暦前2370年の大洪水を生き残ったのはノアとその妻、ノアの3人の息子とその妻の8人だけでした。ノアの時代の大洪水からさらに時代を辿っていくと1656年前まで遡ることができます。

ノアの父レメク、レメクの父メトセラ、メトセラの父エノク、エノクの父ヤレド、ヤレドの父マハラレル、マハラレルの父ケナン、ケナンの父エノシュ、エノシュの父セツ、セツの父アダムとなります。

アダムは西暦前4026年に神によって創造されました。アダムが人類最初の人間であり、これより前に遡ることはできません。アダムはエデンと呼ばれる美しい園で暮らしていました。しかし、神の命令に背いたために園から追い出されました。

神の名前は、原語のヘブライ語でיהוה(ヘブライ語は右から左に読む)です。この4文字はテトラグラマトンと呼ばれており、英語ではYHWHまたはJHVHとなっています。テトラグラマトンは一般的にヤハウェまたはエホバと発音されます。

人類がかつて黄金時代を享受していたとする考えは、多くの宗教の著作や伝説に見られます。そのいくつかを調べてみましょう。

黄金時代の伝説

古代ペルシャの宗教であるゾロアスター教の聖典アベスタには、最初の人間であるイマについて述べています。アフラ・マズダという創造者はイマに「わたしの世界を育成し、支配し、見守るよう」命令しました。そのためには、地下の住みかである「バラ」を建てなければならず、そこには「横柄さも卑劣さも、愚劣さも暴力も、貧困も偽りも」なかったとされています。

西暦前7世紀ごろのギリシャの詩人ヘシオドスは、教訓叙事詩『仕事と日々』の中で、最初の人間が完全で幸福な黄金時代を享受したと書きました。「彼らは神々のように、悩みのない、幸福な魂とともに生き、苦労や苦痛を免れていた。彼らには悲惨な老齢も忍び寄らず、いつもごちそうを食べて生活していた」と書いています。

中国にも黄帝が支配したとされる黄金時代の伝説があります。こう言われています。「中国には泥棒もいなければ、戦いもなく、民は謙遜に、平和に暮らした」。中国人は黄帝の子孫であると考えています。

最初の楽園が罪のゆえに失われたことは、古代バビロニア人、アッシリア人、エジプト人などの間で広く信じられていました。チベット人、ペルー人、メキシコ人などの宗教にも黄金時代に関する伝説を見い出せます。

黄金時代の伝説が至る所に存在していることは、洪水伝説の場合と同じように、黄金時代が実在した一つの証拠と考えることができるでしょう。

人類の始まりから現代日本に至るまで

ここまで調べたことを年代順に振り返ってみましょう。

  • 西暦前4026年: 神エホバ(יהוה)によって人類が創造される
  • 西暦前2370年: 大洪水が起こり、ノアの家族だけが生き残る
  • 西暦前2269年ごろ: バベルの塔の建設。言語が混乱され、人々は離散する

アブラハムから現代に至るまでの主要な出来事です。

  • 西暦前2018年: アブラハムの誕生、その子孫ユダの民族がユダヤ人となる
  • 西暦前4世紀ごろ: ギリシャ哲学を取り入れつつ、ユダヤ教が形成される
  • 西暦29年: イエスが宣教を始め、3年後に処刑される
  • 西暦4世紀: キリスト教が哲学を取り入れつつ、ローマの国教となる
  • 西暦610年ごろ: ムハンマドがコーランを伝え、イスラム教が始まる
  • 西暦16世紀: 宗教改革が起こり、キリスト教の宗派が分かれる
  • 西暦20世紀: 2つの世界大戦が起き、信仰が弱まる

古代メソポタミアから現代日本に至るまでの主要な出来事です。

  • 西暦前1500年ごろ: アーリア人がインドに移住、ヒンズー教のルーツとなる
  • 西暦前539年: 新バビロニア王国が世界を統一する
  • 西暦前560年ごろ: ガウタマが仏教を説く
  • 西暦前6世紀ごろ: 老師が道教を説く
  • 西暦前551年ごろ: 孔子が儒教を説く
  • 西暦6世紀ごろ: 神道という名称が作られる
  • 西暦8世紀ごろ: 古事記と日本書紀が編さんされる
  • 西暦1859年: ダーウィンが種の起源を発表し、進化論が広まる
  • 西暦18世紀〜19世紀: 古来の神道に戻ろうとし、天皇崇拝が始まる
  • 西暦1945年: 日本は敗戦し、天皇崇拝が終わる

日本に浸透している道徳観や『神も仏もない』という考え方、無力感などの由来が分かりました。これが日本の世界観のルーツです。

世界観のルーツ

これまで調べたことを短くまとめてみましょう。

現代の日本に漂っている世界観は、自然災害・戦争・科学・哲学・宗教の影響を受けて形作られてきました。自然災害は無力感を与え、戦争と敗戦は天皇崇拝の信仰を失わせました。進化論は学校で事実として教えられています。

日本の宗教は神道です。神道は『和』を重視し、さまざまな宗教と和合しようとしてきました。中国で始まった道教・儒教は、日本に『自然と一体になる』ことや『礼』の精神を伝えました。インドで始まった仏教は『悟り』を説き、念仏を唱えることや座禅に繋がりました。

ヒンズー教の輪廻やヨガは日本でもよく知られています。仏教やヒンズー教が説く霊魂不滅や地獄の教理は、古代メソポタミアの地域、バビロニアから来たものです。

科学と考古学のみを信じるなら、古代メソポタミアが世界観のルーツです。

イスラム教・キリスト教・ユダヤ教は別のルーツを辿ってきました。その歴史を辿ると、アブラハムという人物に行き着きます。アブラハムはノアの子孫であり、ノアはアダムの子孫でした。アダムは神に創造されました。

聖書の史実性を信じるなら、エデンの園が世界観のルーツです。

付録1 創作の世界観

現代日本の創作の分野では、世界観という用語が頻繁に用いられます。創作の主要なジャンルであるファンタジーとSFについて、また架空の生き物について調べてみましょう。

ファンタジーは空想小説のことです。日本で人気のファンタジーでは、よく中世ヨーロッパに似た架空の世界が舞台になります。そこには魔法や魔獣など、超自然的な力や存在が登場します。ファンタジーで有名なのはトールキンの『指輪物語』です。

SFは科学的な設定で真実らしく描くジャンルのことです。未来や架空の現代、過去が舞台となります。SFは20世紀に盛んになりました。H.G.ウェルズの『タイム・マシン』、星新一のショート・ショートなどが有名です。

創作の世界には妖精や精霊が登場します。日本の創作には幽霊・妖怪・鬼が登場することがあります。妖精はヨーロッパの民間伝承で信じられていた魔力を持つ超自然的存在です。精霊は動植物に宿るとされる超自然的存在です。幽霊は死者の霊であり、妖怪は信仰が衰えて落ちぶれた神、鬼は仏教の説いたものとされています。

このように創作の世界は実在の世界に似せているだけでなく、科学や宗教や伝統的な信仰が反映されています。魔法使いのモチーフは魔術です。生まれ変わり(輪廻)はヒンズー教の教えです。それらのルーツは古代メソポタミアにあります。

付録2 神秘的な力|心霊術・魔術・占い

多くの宗教的な慣行には、共通の特色があります。神聖な霊に対する崇敬や恐怖、魔術を使うこと、将来を占うこと、占星術などです。神道が生まれる前の古代日本でも祖霊に対する崇拝が行われていました。

現代の人々にとっては当たり前のことでも、古代の人々にとっては当惑することがあります。人が病気になることや雨が降ること、季節が変わることなどです。古代の人々はそういった出来事を超自然的な力、つまり神々や霊魂と結びつけて考えるようになりました。

霊や魂と交信しようとする信仰は世界の至る所で見られます。古代日本でも、祈祷師や巫女が神々の降臨を求める儀式を行いました。このような信仰は霊と交信しようとしたり、悪い霊をなだめようとしたりすることに繋がりました。その結果、人々は魔術を行うようになりました。

魔術とは基本的に、自然や超自然の力を制御して、人間の命令通りに行わせるように試みることです。古代の人々は不思議な出来事の原因を知らなかったので、呪文を繰り返したり儀式を行ったりすると、望ましい効果が得られると考えました。

魔術を行う人々はやがて、神官、長、魔術士、祈祷師、呪術医、霊媒などになりました。人々は問題を解決してもらおうと彼らを訪ねました。やがて出産や結婚、埋葬などの生活上の行事を扱うようになり、魔術は生活のあらゆる面を支配しました。

現代でも魔術的なものは至る所にあります。ある人々は治療を求めて魔術士や呪術医に診てもらいます。タロット・カードや水晶玉を使って将来を占おうとします。日本では『こっくり』として知られるような交霊会もしくは降霊術の会があります。

天体の規則正しさは人々を魅惑してきました。天文学上の観察をしていくうちに、地上の出来事が展開の現象と同時に起きるように見えました。潮の満ち引きと月の位相、太陽の高さと季節の変化が関係しているのは科学的な事実です。しかし、星が地上の事柄に影響を及ぼすという考えから、天体に頼って将来を予告できるという概念が生じました。これが占星術の始まりです。

現代でも占星術はよく見られます。星座占いでは、生まれた月日によってその人を支配する宮があると考えて運勢を占います。12の星座は黄道十二宮と呼ばれ、その図であるホロスコープが占星術に用いられています。

人々は、宇宙の星々によって占うことができるように、人体を取り囲んでいる皮膚には、人体の星ともいうべき特徴があると考えるようになりました。その一つが手相術です。日本でも手相占いは人気があります。

このように心霊術・魔術・占星術はあらゆる地域・宗教に広まっています。それらは魂や霊が存在するという信仰から発展しました。心霊術や魔術や占いは、魂の不滅の教えに根ざす多神教に基づいています。

付録3 人知を超えた世界

世界観はあらゆる生き物の中で人間に特有のものです。動物も目や耳を持ち、世界を知覚していますが、世界を感じる心があるかは分かりません。動物は言語を習得できないので、理性で世界を見ることはありません。

進化論を信じるなら、現時点で確認できている世界観を持つ唯一の生き物は人間だけです。宇宙のどこかに生きる理性を保つ生き物の存在を信じる人もいますが、発見されてはいません。

神話の中には人間以外の理知あるものが登場します。神道の神話では、最高神とされる天照大神やその父である伊弉諾命が登場します。ギリシャ神話では神々の支配者ゼウスとその父クロノス、クロノスの父ウラノスについて述べています。このような神話は他にも多くあります。

ギリシャ神話についてヤスパー・グリフィンという学者は「その最終的な起源はシュメール人にあるようである」と述べています。シュメール人とは古代バビロニアの古住民のことです。

多くの哲学や宗教は霊魂不滅について教えています。霊魂についても理性のあるものとして描かれる場合があります。例えば祈祷師や巫女はそのような存在と交信しようとしました。すでに調べたとおり霊魂不滅のルーツはバビロニアにあります。

聖書も霊的な存在について述べています。ひとりの神と天使たちです。天使は天に存在する人間よりも上位の存在であり、高い知性と力を持っています。天使の数は「一万の一万倍」いるとされています。聖書中で名前が明らかにされている天使はミカエルとガブリエルだけです。神が最初に創造したのは天使であり、ひとりの天使を通して他の天使や物質宇宙が創造されました。

天使には良い天使と悪い天使がいます。良い天使は神に忠実に仕えてきましたが、悪い天使は神に反逆して人類を唆しました。最初に反逆した天使は悪魔またはサタンと呼ばれ、多くの悪い天使がこれに協力しています。最初の悪い天使が提起した人類を巻き込む論争は今も続いています。

聖書によれば、神には人格があり、天に存在しています。神の力は無限で、不可能なことはありません。神の知恵は未来を正確に予見します。神に始まりと終わりはありません。神は悪い天使が人類を一時的に支配することを許していますが、すべての悪を終わらせることを約束しています。

旅の終わりに

旅はこれでおしまいです。現代から古代にまで至る、とても長い旅でした。本当にお疲れ様です。最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

おやすみなさい。

記事のタイトル「世界観のルーツ」| 公開した日付()| 更新した日付(2018年10月22日)| 更新した回数(6回)