こんなに英語ができないのはなんでだろう

あのときの先生はなんとも気まずそうだった。

私は真面目な生徒として知られていたし、私がビリになるなんて思いもしなかっただろう。周りの生徒たちも固唾を呑んで見守っていた。私は一人で歌を歌った。罰ゲームとして。英語の授業だった。

そのときは、なんでもないような顔をしていた。でも、卒業式に先生が笑顔で私に握手をしてきたときに、私は右手を伸ばすのをわずかばかりためらってしまった。それは、あのときのできごとが、まだ心の深くに残っていたことの紛れもない証拠だった。

英語ができない。このことに劣等感を抱かなければならないのはなぜだろう。世界中に数ある言語のうちたった一つを扱えないだけで、これほど苦労するのはなぜだろう。そして、多くの人が同じ悩みを持ち、援助しようとする人も数多くいるのに、相変わらず状況が改善されないのはなぜだろう。

英語教育を取り巻くあれこれに関する議論は避けたい。それは偉い人たちがさんざん話し合ってきたことだ。私はどうこう言える立場じゃない。それに、どうすればできるようになるかなんて知らない。色々な方法を試してきたけれど、結局できるようにならなかったから。でも、得るものが何もなかったわけではない。

気づいたことが、ほんのすこしだけある。

英語を覚えやすい人と覚えにくい人がいる。同じ教育を受けて、同じ情熱を持って、同じように学習しても、習得できる人とそうでない人がいる。覚えやすい人は、授業を聞いて、先生の話を聞いて、なんとなく内容を理解する。理解できない人は、どうしても理解できない。努力の差なんかじゃない。

どんなに頑張ってもネイティブにはなれない。例えば日本ではプレゼントを渡すときに『つまらないものですが』と言って渡す。これは相手に『プレゼントをいただいたのだから、お返しをしなくてはいけない』という責任を感じさせないようにするための、優しい配慮を要約したものだ。これを日本人は瞬時に理解できるが、外国人にこれを理解してもらうのは難しいだろう。逆もしかり。

英文法は実はとても簡潔だ。すべての英文はたったの8つの要素で成り立っている。そのうちの1つは覚えなくていい。だから覚えるべきなのは本当は7つだ。いや、そのうち3つは飾りだから、ええと、4つだけ覚えれば完璧な文法で英文を作れる。名詞・代名詞・動詞・形容詞の4つだ。これだけ覚えればいい。

英文でいちばん大事なのが動詞だ。嬉しいことに動詞は5種類しかない。そして、その種類によって文の形が決まる。だから、驚くべきことに英文は5種類しかない。英文が複雑に見えるのは、あくまで飾りがついているからであって、それを取り払うと5つに収束する。その5つとは、完全自動詞が作る文型、不完全自動詞が作る文型、完全他動詞が作る文型、不完全他動詞が作る文型、そして授与他動詞が作る文型の5つである。

カタカナ英語はネイティブに通じにくいが、発音に忠実なカタカナ英語はネイティブに通じる。グッド・モーニングじゃなくてグッモーネン。ホスピタルじゃなくてハスペロウ。最近ではそのような発音を表記した単語集が出版されている。

英語は単語と単語の間の発音がくっつく。グッド・アフタヌーンはGoodのdとafternoonのaがくっついて、発音はグラフタヌーンになる。これをリエゾンという。日本語はグッドのdのように、子音で終わる言葉がない、つまり必ず母音で終わるので言葉がくっつくことはない。日本人にとって英語リスニングの要所であり難所だ。

日本語が言語として英語に劣っているわけではない。また他のすべての言語も英語に劣っているわけではない。それぞれに長所と短所がある。日本語が非論理的な言語というわけでもない。とはいえ、日本語は省略を多用し、解釈を聞き手に委ねるところがあって、また多くを語ろうとはしない日本人ならではの美徳があるゆえに、非論理的と言われることがあるのは事実だと思う。

最先端技術の多くの文章が英語で書かれている。科学論文の多くは英文で書かれている。授業やセミナーが英語でしか受けられないことがある。少なくともこのような分野ではやはり依然として英語ができることが多少なりとも求められてくる。

ここまで書いておいて、あれなのだけれど。

それでも私は英語ができない。たぶん中学英語も分からないと思う。外国人に道案内をしてあげることはおろか、ハンバーガーの注文もできないだろう。そして、できないという劣等感だけが今でもずっと残っている。

罰ゲームで歌った歌を今でもよく覚えている。ラブソングだった。憎しみなんて、最初からなかった。でも、英語ができない悔しさや劣等感の根っこを辿ると、確かにそこに行き着く。そして、それは私に執念を与えたのだ。

「英語をいつか征服してやる」という執念が、未だに私の心の奥でくすぶっている。勝てっこない相手だ。勝てるはずがない。分かっている。いろんな方法を試した。でもダメだった。惨敗した。もう無理だ。できないことを認めて、降伏する道もあるんじゃないのか。

執念だけで、何ができるというのだろう。これまで私は英語に挑み続けて、負け続けてきた。これからも負け続けていくことだろう。何か得るものはあるのだろうか。仮に征服できたとして、何か得るものはあるのだろうか。

悔しさと敗北感、そして役に立つかも分からないわずかばかりの知識を持ち帰って、努力が無駄ではなかったと思い込むための言い訳を考える。執念は未だ消えず、挑戦を繰り返そうとする。それはなんだか、とてもむなしい。

記事のタイトル「こんなに英語ができないのはなんでだろう」| 公開した日付()| 更新した日付(2018年6月8日)| 更新した回数(2回)