クリエイターはひとりぼっちだ。例えば、皆で映画を見たとしよう。どこが面白かったとかどこが泣けたとか、そういう話で盛り上がる。ところが生粋のクリエイターは、どう作るのか、どう表現するのかを常に考えている。無意識に。当然、話の輪に入ることができない。

クリエイターはネットの世界では影響力が大きく、たくさんいるように感じる。でも実際にクリエイティブな人間はそう多くないのではないと私は思っている。全くいないわけではないが、全体の割合としては少数派なのかもしれない。

クリエーターはクリエイター同士でやっていく道がある。絵描きは絵を介したコミュニケーションしか知らないわけで、おのずと絵描きとの繋がりが多くなる。音楽家もほかのクリエイターもそうだ。自分の知っている表現の世界で、自然な考えを共有できる人と一緒になっていく。

クリエイターがクリエイターであることを辞めることがある。生粋の表現者にさえ生じる。その多くは受験や就職、あるいは健康のことで仕方なくそうなっていく。クリエイターにとっての自然な表現手段を封じられて、不自由を感じながら社会のレールを進んでいくのである。

クリエイターであることを辞められない人がいる。それ以外できない人とそうであるべきことを熱烈に支援される人だ。クリエイターであることを職にする人もいる。残された人は少なくないとはいえ多くもない。身近にクリエイターがいないこともあるだろう。

私はクリエイターなのだろうか。正直なところ分からない。でも、いつも何かを作ることを考えてしまう。一人じゃなかった頃もあったが、今は皆、創作を辞めてしまって、私はひとりぼっちになった。とても寂しい。

そして、いつしか創作の話をしなくなった。誰かと会っても、自分が絵や音楽が大好きなことを秘密にするようになった。趣味を尋ねられても「散歩」と答えるようにしている。無難な会話を選べるくらいには、話題の選び方が上達した。といっても、相変わらず天気の話ぐらいしかできないが。

ひとりぼっちになると、創作の意義を見失いそうになる。喜んでくれる人がいないからだ。自分のために表現することを強いられる。描きたいから描く。作りたいから作る。そういう原始的な動機に回帰してしまう。日ごとに蓄積された表現の欲求が爆発して、結局またなにかを作り出す日々に。

寂しさと虚無感を感じながら、ふと心に情熱が沸き起こり創作に打ち込み、また空虚を味わい、また何かに刺激された感情を創造力に変換して、再び無力感に打ちのめされ、こうした終わりの見えない創作の円環に陥っていく。

ひとりぼっちでいるのは良くないとは思う。でも、クリエイターはひとりぼっちになりやすいとも痛感している

ひとりぼっちになることを恐れて、なにもしなかったら、本当にひとりぼっちになってしまった。だから私に必要なのは、クリエイターであることを周りに宣言するだけの、小さな勇気なのだろう。

タイトル: ひとりぼっちになりがちなクリエイターの話
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最終更新: 2018年6月6日
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