手話が言語であると認められるまでの歴史

論考//

100年のあいだ、ろう者たちは非常に苦しい経験をしてきました。日本だけではありません。ヨーロッパやアメリカを含む多くの国で同様の状況が生じていたのです。どのような事態だったのでしょうか。この記事を読んで、手話の歴史を振り返ってみましょう。

指文字から始まる手話の歴史 – イタリア・イギリス・フランス

手話を言語としてまとめたのは近代になってからのことでした。16世紀に発行された「ロッセリウスの百科事典」が現存する最古の資料であり、イタリアの指文字についての記載があります。その数年後に発行されたデ・イエブラによる指文字、17世紀のボネードによる指文字も共にイタリアの指文字が起源です。これらの出来事を時系列順に並べると、ロッセリウスの百科事典が1579年、スペイン人のデ・イエブラの指文字が1594年、ボネードの指文字が1620年となります。

この記事で「手話の歴史」という表現は、手話を言語としてまとめたり教育したりしてきた記録を指して用いています。手話そのものは、もっと古くから使われてきました。

次に登場するのがイギリス手話です。ヨーロッパやアメリカの手話に大きな影響を与えたのはフランスですが、イギリス手話はフランスの影響を受けずに発展しました。また日本手話も独自に発展しています。イギリス手話の歴史は、1644年にイギリスのバルワーによる「手による自然言語」が最初と考えられます。続いて1661年にイギリスのダルガーノが指文字を考案し、「指話法」と呼びました。1698年には「指の言葉」という作者不明の記録が残っており、これがイギリスの両手指文字のもとになったとされています。

フランスはヨーロッパやアメリカの手話に大きな影響を与えました。18世紀にスペイン人ペレイレがボネードの指文字をフランスのろう教育に用いました。1760年には、フランス人の神父ド・レペがパリにろう学校を設立しました。これは手話の歴史のなかできわめて重要な出来事とされています。なぜなら、手話による本格的なろう教育の学校が設立されたのは、これが世界で初めてだったからです。レペもボネードの指文字を形を変えて用いました。

ろう学校はどちらを採用したか:手話法と口話法 – ドイツ・フランス・アメリカ

レペは他にも重要なことを行ないました。ろう者が使っている手話を教育で用いようとしましたが限界を感じ、新たにフランス語を表す手話法を考案しました。「方法的手話(レペ式手話法)」と呼ばれています。後にレペの弟子シカールが発展させ、その結果レペの教育はヨーロッパ各地に普及しました。シカールの後はベビアンが引き継ぎました。

手話法とは、手や表情を使った意思疎通のための表現のことです。手話法を使うことにより、ろう者は自分の意志や感情、さらに抽象的な表現などを自由に表現をすることができます。1972年にスウェーデンの研究で、手話は独自の語彙・文法を持つ言語であることが明らかになりました。

レペの手話法による教育は反対を引き起こします。ドイツのハイニッケは口話法によるろう学校をライプチヒに設立します。1778年のことでした。この手話法と口話法の論争は長年にわたる対立となりました。この点については後ほど詳しく調べます。

口話法とは、健聴者が普段している音声によるコミュニケーションのことです。口話法による教育は、耳の聞こえないろう者にとっては、音が聞こえない中での発声練習が強いられ、長い間、ろう者や家族を苦しめるものとなってきました。

アメリカ手話の発展を見てみましょう。19世紀に入ると、1816年にアメリカ人のギャローデットがパリに渡ります。そしてレペの弟子であるシカールの弟子クレールを伴ってアメリカに帰国します。これがアメリカ手話の起源となりました。ギャローデットは1817年にアメリカ最初のろう学校を設立します。アメリカ手話はフランスのものを多く取り入れています。

フランスをはじめヨーロッパでは、当初は手話法が圧倒的な支持を得ていました。しかし後にハイニッケの弟子のヒルが口話法を復活させ、口話法の勢力が拡大していきます。それにしても、彼らはなぜ口話法を発展させたのでしょうか。理由の1つとして、国家の統一を1つの言語で推し進めようとしたことが挙げられます。19世紀後半には口話法が支持を集めるようになっていました。ところで、そのころの日本はどのような状況だったのでしょうか。

手話が世界各地で禁止される:差別と苦痛 – イタリア・日本

日本の手話教育は、口話法の影響を受けずにスタートしました。1878年に古河太四郎が京都府ろうあ院を設立します。日本で初めてのろう学校であり、手話法で教育しました。日本の手話教育はヨーロッパとは違った教育観から生まれた独自のものと言われています。その後、各地にろうあ学校が続々と設立されてゆきました。

そして1880年。イタリアのミラノで最悪の事態が起きます。ろう教育に口話法が採用され、手話教育が禁止されたのです。国際会議による決議でしたが、あらかじめ口話主義者を大勢集めて開催された、口話主義者により画策されたものだったとされています。この決議により、ろう者の人権を抑圧される事態が約100年間続くことになりました。ろう学校では口話法が採用されるようになり、ろう教員が解雇されました。

19世紀後半に発展した進化論では、言葉の起源は意味のない唸り声や身振りにあるとしています。その考え方に影響されて、身振りを用いる手話は音声言語より劣ったものであるとの考え方もあらわれました。20世紀はじめの言語起源論では、手話を含む身振り言語を音声言語以前の未開語とされていました。

1920年代になると、日本にも口話法が普及します。日本のほとんどすべての学校で口話法が採用され、教育されました。教師の中には、哲学を学び口話法こそ絶対的なものだと確信していた人もいます。口話法が普及した結果、手話は否定され差別的な扱いを受けるようになりました。今でも苦痛をもたらす差別的な教育について、多くの人が経験を語ることができます。

手話を勇敢に擁護した人物もいます。大阪市立ろうあ学校長の高橋潔がその一人です。学校長としてはただ一人の擁護者でした。彼は手話法でろう者たちを教育しました。

口話法で教育するデメリットは、徐々に明らかになっていきました。口話法で学ぼうとすると、手話で学ぶよりもとても時間がかかりました。正しい発音をするのに、何年も練習しなければなりませんでした。手を使うことを禁じられることもあり、友だちとの交友も妨げられました。これらは、ろう者と家族にとって大きな苦痛となりました。ろう者にとっては手話が自然なコミュニケーション手段であり、手話を知る人はひそかに使い続けました。

手話は言語であると証明される – スウェーデン・フィンランド・デンマーク

1960年代に入ると、アメリカ人ホルコムが「トータル・コミュニケーション」を提唱し、ろう者のコミュニケーション手段として手話を使うことを認めようと働きかけました。この考え方は人々に受け入れられ、1970年代のおわりにはアメリカのほとんどのろう学校に採用されるようになりました。これは日本の一部のろう学校にも影響を与えました。

1972年、画期的な進展がスウェーデンのストックホルムで見られました。ストックホルムの大学言語学研究所がスウェーデン手話の研究をした結果、スウェーデン手話は独自の語彙と文法を持つ言語であることが明らかになったのです。これは手話が言語であると科学的に証明された瞬間でした。1981年にはスウェーデン議会により、スウェーデン手話が言語として認められました。スウェーデンは、公的に手話を認めた最初の国です。

教育の面でもスウェーデンで大きな進展がありました。1983年、スウェーデンでろう学校で新しいカリキュラムがスタートしました。第一言語を手話、第二言語をスウェーデン語とするバイリンガル教育です。スウェーデン語は書き言葉として教えました。このバイリンガル教育は影響を与え、1980年代には、フィンランドとデンマークでバイリンガル教育が採用されました。そしてフィンランドでは手話が公用語として規定されました。

スウェーデンで手話が言語として認められた功績は大きく、その後の国際会議で続々と手話が言語として公認されてゆきました。1985年にユネスコで、1988年にECで、1990年にアメリカのロチェスターで、1994年にスペインのサラマンカで、それぞれの国際会議で手話が言語として認められるようになりました。さらに2006年に国連総会で採択された条約には手話を言語として定義する明記され、2008年に発行しています。

日本では、徐々に手話による教育が認められてきたものの、1993年の時点では口話法による教育があくまで基本でした。しかし、2000年に東京都教育委員会の研究員が教育に手話を積極的に取り入れるよう促す報告書をまとめました。これは全国で初めてのことで、朝日新聞には「ろう学校に手話導入を」の大見出しが掲載されました。

国際会議と近年の進展 – 現在の日本

この記事を書くにあたり幾度も参考にした、米川明彦の著した「手話ということば もう一つの日本の言語」(PHP研究所)は2002年1月29日に初版となっています。その本が書かれた当時、日本で手話は言語として認められていませんでした。では、それから10年以上たった今、状況はどのように変化したでしょうか。

嬉しいことに、状況は以前よりずっとよくなっています。2011年8月施行の改正障害者法で「手話は言語」であることが明記されました。2014年からたどって数えても、たったの3年前のできごとです。そのとき、ようやく手話が言語として認められたのです。また2013年10月には、鳥取県本会議において「手話言語条例」が施行されました。

ここでもう一度、手話の歴史における重要な転換点をまとめてみましょう。1760年にフランス人のド・レペが手話で教えるろう学校を設立しました。1880年、イタリアの国際会議で、手話での教育が禁止されました。1972年、スウェーデンの研究所によって、手話が言語であることが明らかになりました。1980年代以降、次々と国際会議で手話が言語として認められるようになりました。2011年には、「手話が言語」であると日本の法律にも明記されました。

ろう教育は手話からスタートしました。しかし、手話が禁止される状況がおよそ100年間続きました。その背後には国家主義や哲学の影響がありました。手話は法による試練を受け、そして生き残りました。非常に苦しい状況を乗り越え、ついに手話が言語であることが認められたのです!